茶色い黒コート
今年の夏はあんなに暑かったのに、すっかり寒くなった。藤原敏行朝臣の名歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」をもじって、「秋来ぬと思うまもなく冬が来て風の冷えにぞ驚かれぬる」とでも言おうか。で、愛用の黒いコートを出した。黒い服といえば、時に略礼服やモーニングコートや黒背広を着るけれども、このコートには一入の愛着がある。いつ買ったのか忘れた程長く着ていてヨレヨレ、左ポケットの底が抜けている。金沢学院大学時代、これを着て休日出勤し、クマと間違えられそうになった。黒とはいいながら、衿と袖のあたりはやや茶色を帯びている。落語「抜け雀」の導入部に『小田原の宿に来た若い絵師。着ている黒紋付が日焼けで赤紋付になっている』というくだりがあり、黒い着物が赤くなるとは大袈裟だと思ったものだが、私のコートもそのデンだ。
この「抜け雀」は、落語の名工もののひとつである。名工の噺で活躍するのは、飛騨高山の左甚五郎。竹で作った水仙の蕾が開く「竹の水仙」などが知られる。甚五郎は、服装に極めて無頓着で、宿屋の宿泊も断られそうなボロボロの身なり。着ている着物は「東海道」。これはツギ当てが53もあるというシャレである。毎日宿屋でゴロゴロして酒ばかり飲んでいるが、一旦、仕事にかかれば、千両万両の作品を仕上げる。「左甚五郎の忘れ傘」が名高い京都の知恩院には、伝説の「抜け雀」の襖絵もあるから、落語「抜け雀」は、これもヒントにしたのかもしれない。ただ、この演目に登場する絵師の名人親子は、名前が語られない。しかし、場所は小田原と決まっている。
私は、当然ながらかような名工には全く無縁で、酒もいけるクチではないが、服装に無頓着なことだけは彼等に負けない。だた、ひと様に不快感を与えてはいけないので、背広は着るが、ほとんどがいわゆるダークスーツで、ワイシャツは文字通り白シャツのみ、眼鏡は黒縁に限っている。職場の同僚や県人会の仲間が私に持つイメージを変えたくないので、このスタイルはずっと続けるつもりだ。ということは、無頓着と言いながら、意外に気を使っているということになるのかもしれないが。
さて、「抜け雀」の噺は次の通りである。赤くハゲた黒紋付を着る若い貧乏絵師が宿賃代わりに描いて宿屋に置いていった絵は5羽の雀。朝になると絵から抜け出すので大評判になり、小田原の殿様大久保加賀守から千両で買いたいと言われるほど。宿屋はその絵を売らずにいると、ある日年配の絵師が来て、雀は休む籠がないと死んでしまうと言って籠を描き足して去って行く。これで、絵の評判がますます高くなるが、やがて、再びやってきた若い絵師はその絵の籠を見てハッと驚く。籠を描いたのは彼の父親だった。そこで「現在父をカゴカキ」にして申し訳ないと言うのがこの落語のオチだが、これは必ずしも駕籠舁きを下に見た言葉ではない。濡髪(ぬれがみ)と放駒(はなれごま)という力士が登場する文楽や歌舞伎の有名な演目「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょう・くるわにっき)」の「橋本」の場で、自害しようとする遊女が自分が先に死んで遺骸を乗せた駕籠を父に担いでもらうのは悲しいと言って「現在父をカゴカキに」と嘆きクドくことから来ている。私の妻はくだんの茶色い黒コートは早く買い換えないと自分が恥ずかしいと嘆く。しかし、私は、そんな嘆きもものかは、もっと長く着てさらに赤茶けるのを目指したいと心に決めている。(2020年11月14日記)