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石川県人 心の旅 by 石田寛人

忠臣蔵三部通し

2016.12.20 14:06

 北陸新幹線金沢開業2年目の今年も、残り少なくなった。県人会連合会全国大会の金沢開催をはじめ、ニューズレター「絆」の発刊や青年部の発足など、我が県人会が活発な活動を展開したこの年を、黒沢淳一広報委員長の加賀藩参勤交代ルートの踏破という明るく楽しい話題で締め括ることができるのは、誠に嬉しい。今年、県人会活動に尽力された数多くの方々に、厚くお礼申し上げる。

さて、12月は、我が故郷が舞台の「勧進帳」などと並んで歌舞伎の大人気演目である「忠臣蔵」の月である。それは、元禄15年12月14日が、主人浅野内匠頭を失った赤穂浪士46人または47人が吉良上野介の屋敷に討ち入り、15日未明にその首級を挙げたことに由来している。もっとも、これは旧暦の話。新暦では翌年1月30日ころのことであろう。

 この一件は「赤穂事件」とでも名付けるのが妥当かも知れないが、事件から47年目に初演された「仮名手本忠臣蔵」という外題の人形浄瑠璃と歌舞伎が大当たりして、今に至るまで、「忠臣蔵」と一般に呼ばれている。

 その内容は、広く知られているように、敵役の吉良上野介にあたる高師直(こうの・もろのう)は、権柄ずくで色好みの賄賂好きというどうしようもない悪い人間で、敵討ちの正義感に燃える大石内蔵助(役の名前は大星由良之助)をトップとする一統が、さんざん苦労を重ねた挙句、敵の首級を挙げて、本懐を遂げるという筋になっている。しかし、実際の善悪白黒は、そう簡単につけられるものではないであろう。

 私は、今年の国立劇場開場50周年を記念する特別公演の「仮名手本忠臣蔵」の三部通しを10月11月12月と見てきた。この14日には、泉岳寺に行って47士の墓にお参りし、15日には国立小劇場の文楽公演「仮名手本忠臣蔵」を覗いて、このところ、ちょっとした忠臣蔵づけになっている。

 そこで、この芝居を我が故郷に何とか関係づけたいと懸命に調べてきたが、なかなか難しい。今言えるのは、「忠臣蔵」の関連演目で、たまに上演される「大石東下り」という芝居では、勧進帳の趣向が取り入れられていることと、加賀藩の学者室鳩巣が「赤穂浪士は義士である」と論じたとされていることである。

 加賀は実に懐が深いので、これから調べを重ねれば、面白い事実も掘り出されるのではないかと思っている。

 みなさま、どうか良いお年をお迎えのほどを。(2016年12月20日記)