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石川県人 心の旅 by 石田寛人

梅嫦軒と鰻眠洞

2017.02.20 14:09

 私は調布に住んでいるが、先祖から引き継いだ小松の家も維持している。その家の前のささやかな植え込みには、小さな梅の木が2本。11年前、私が日経新聞夕刊の「あすへの話題」に書いた小文がご縁で、太宰府天満宮の西高辻信良宮司が、金沢において三尖塔で有名な旧制二中、現紫錦台中学校と金沢くらしの博物館の前に梅を植樹されたのを機に、我が家にも植えたものである。玄関には表札よりもはるかに大きい「梅嫦軒」の扁額を掛けている。「ばいこうけん」と読むこの3文字は、いわば私の「号」である。雅号の一種ということになろうか。「雅(みやび)」なるものには縁が無い私には、号は全く似合わないが、高校の同級生で金沢の大茶人、表千家茶道教授吉倉虚白宗匠の命名のため、この「軒号」は断らずに頂戴した。ここで「嫦」は、月のことである。この号自体は、梅の枝の間から仰ぐ月が美しい建物に居る人間という意味と私は解しており、我が実像のように、髪が薄くなって頭部がお月さんのようになった者を意味するわけではないと思っている。

 かくして、友人から号を頂いたのをキッカケに、自分でも、別のものを案出したくなった。考えついたのが「鰻眠洞」である。読み方は「まんみんどう」、意味は「鰻の寝床」である。小松の家が、極めて細長く鰻の寝床そっくりであることから発想した。また、店子の人々に自分の義太夫を聴けと強要して大迷惑をかける落語「寝床」の大家さんのように、妻や子供や孫に私の下手な芝居の声色を聴くことを無理強いしてはならないと自戒する意味も込めている。

 郷土が生んだ文豪室生犀星の号が「魚眠洞」であることは広く知られているが、これは加南地方の文化人として知られた小松の山本美勝先生の号でもある。先生は、旧東洋信託銀行のトップ経営者として活躍された我が友人山本洋一氏の父君で、犀星と交流があり、直にこの号を使うことを許諾されていて、私はまだ拝見していないが、小松波佐谷の御自宅のあたりに「子供らや墨の手洗ふ梅のハナ」の犀星の句碑を立てられている。この「魚眠洞」のもじりが「鰻眠洞」というわけである。

 「鰻眠洞」はともかくとして、扁額に掲げた「梅嫦軒」は人目につく。小松の友人達はいよいよ中華料理店を開店するつもりかと訊いてきた。「鰻眠洞」の額に代えれば、今度は鰻屋開業かと冷やかされるであろう。しょせん、私は「みやび」ではない。しかし、それを遠い遠い目標として、この号の落款を使っていきたいと思っている。(2017年2月20日記)