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石川県人 心の旅 by 石田寛人

斧三と安留軒

2017.04.20 14:12

 この前、私の号「梅嫦軒」と「鰻眠洞」について、駄文を草したが、これはその続編。

 私の遠い親戚である大聖寺の稲坂謙三医師は、老後、自宅を「雨後軒」と名付けたと聞いている。雨上がりの爽やかな風情の表現か、雨後の筍の如く庭に竹が生えてヤブになったという諧謔かと想像を巡らせたが、訊けば、自分は年をとって、もうこの家から「ウゴケン」という意味とのこと。その発想を我が身に転用して、「安留軒」という号を考えついた。読みは、呉音風には「アルケン」、漢音風には「アンリュウケン」。「安」は我が先祖が代々用いた字で、自分のこと。私も足が弱りつつあるように感じるので、なるべくじっくりひと所に留まって、心安らかに過ごしたいという気持ちの表現なのだが、いかがだろうか。あまり動けなくとも歩けなくとも、充実した生活を送っておられる方は多い。私もこれからぜひそのような方を見習いたいと思っている。

 3月19日、金沢市東京事務所の肝煎りで、目黒区総合庁舎にて開催され好評だった金沢の能に関する金沢講座で、金沢能楽美術館の山内麻衣子学芸員が持参された能面は「斧三」(ふさん)という号の方が打たれたものだった。この作者は近代能面打ちの名人とも言われる入江美法師に学ばれ、自身もすばらしい面を打たれた小野光康さんで、「斧三」は、読み下せば「オノミツ」。自分の名前を雅号風にしたもののようだ。

 「斧」は「ヨキ」とも読まれ、「よろしい」に繋がって縁起が良いと思われる字だが、文楽・歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の敵役として知られる斧九太夫(おの・くだゆう)の名字なので、私なら使いにくい感じもする。しかし小野さんが堂々と号に使われているのに、そんなことに拘らない強い気概を感じる。これから長い歴史を刻んでいく未来の人々には、このような一時の事象や事件における善悪の印象を超えて、豊かな表現を楽しんでほしい。

 私は漢字文化についてあまり知らないが、今年は石川漢字友の会の諸先輩にご指導頂ける機会もできそうだし、9月30日金沢で開催予定の「藩校サミット」(このことについては稿を改めて述べたい。)で、湯島聖堂で活動される漢字文化振興協会の会長にして漢詩と漢文の超大家石川忠久先生の謦咳に接するチャンスもありそうだ。極めてささやかなりとも、自分の漢字表現を豊かにすべく、蝸牛の歩みを続けたい。(2017年4月20日記)