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石川県人 心の旅 by 石田寛人

お旅祭りと藩校サミット

2017.05.20 14:14

 5月13日、前田利祐名誉会長をはじめ多くの石川県人会や関東大小松会の方々に小松市にお運び頂き、お旅祭りの子供歌舞伎曳山曳揃えの芝居をご覧頂いた。小松出身者として、ただただ有り難く、心から感謝申し上げる。上演演目の一つが、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての名将新田義貞の子供が登場する「神霊矢口渡」の「頓兵衛住家の段」で、劇中、新田家の中黒(大中黒)紋の白旗が出てきたのを見て、新田義孝県人会専務理事のお顔がしきりに脳裡に浮かんだ。

 さて、今年の秋の行事として、第15回藩校サミットの金沢開催が9月30日に予定されている。江戸時代に、各大名家は、家中の子弟の教育のため「藩校」を設けた。加賀前田家の明倫堂の場合、武士の子弟以外も受け入れたが、この「藩校」と町中の「寺子屋」による教育が、江戸時代の我が国民の教育と文化の水準を著しく高めた。将軍のお膝元江戸には、湯島聖堂に、幕府の昌平坂学問所(昌平黌)があった。

 そんな「藩校」を経営した各藩主の御子孫をはじめ、広く関係者や市民が一堂に会して、その今日的意義を再認識するとともに、藩校教育の理念を今後の人材育成に活かそうとするのが「藩校サミット」である。藩主会議、各地の活動報告や記念講演など多彩な催しが計画されている。

 藩校サミットは、2002年に東京湯島聖堂でその第1回が開かれてから、東日本大震災の年を除いて毎年1回、各藩校所在地持ち回りで続けられている。主催は、湯島聖堂漢文検定を行っている一般社団法人漢字文化振興協会と開催地の旧藩や地元関係者を中心に構成される実行委員会で、実質的な事務局機能は金沢市当局が受け持たれている。

 前田家関係では、加賀藩の文の明倫堂と武の経武館、富山藩の広徳館、大聖寺藩の時習館、七日市藩の成器館があった。この他、会津の日新館、水戸の弘道館など広く知られる藩校も多く、鹿児島の造士館は旧制第七高等学校の校名に引き継がれ、福岡の修猷館、福山の誠之館、米沢の興譲館などは今の高等学校の名称になっている。金沢の明倫堂は、現在の金沢大学の源流となり、石川富山の出身学生が東京で学ぶための寮である石川富山明倫学館がその名を今に伝えている。

 このサミットの行事は、実行委員会で、さらなる具体化を急ぎつつあるが、状況をみてまたご報告したい。(2017年5月20日記)