義経四天王
松井秀喜選手が始球式を行った第100回全国高校野球選手権大会で、星稜高校は大活躍しておおいに見せ場をつくったが惜しくも敗退した。来年は、石川県代表がさらに躍進することを願っている。なお、前回本欄に書いた大相撲名古屋場所は、石川県の出身力士あるいは関係力士は、優勝には届かなかったけれども、それぞれ良い相撲で奮闘した。次の場所での一層の充実を期待したい。
さて、相撲に関しては、私は番付を見るのが大好きである。番付は大相撲の力士という大きくて強い人達の名前が全員書かれているのだから、壁などに貼っておくと、悪者や病魔がその家に入りにくいと言われる。お守り札のようなものかもしれない。
お守りと言えば、仏教における四天王が脳裏に浮かぶ。帝釈天の四方を守る東方の持国天・南方の増長天・西方の広目天・北方の多聞天で、邪鬼を足下に踏みつけている。その名前の本当の意味は知らないが、それぞれ、力が強く、成長力があり、広く見て、多く聞くなど情報収集力も十分、まさに仏の守りとして安心なように思われる。
我が国では、トップに立つ人を守る立場の4人を四天王に喩えることはよく行われ、義経四天王が有名である。歌舞伎などでは、亀井六郎・片岡八郎・伊勢三郎・駿河次郎の4人で、武蔵坊弁慶は入っていない。しかし、歌舞伎十八番勧進帳では、この中の誰か、多くの場合伊勢か駿河に替わって、常陸坊海尊が加わる。これは、前4者がいずれも若い青年武将といった趣なのに対して、常陸坊はやや老年で頭髪の色や扮装で他の3人より違う雰囲気を醸し出すので、舞台に変化がつくからかもしれない。勧進帳の舞台での常陸坊は、弁慶を主将とする義経守護チームの副将格に見えるが、ものの本によれば、なかなか複雑な人物なようで、また、本欄で論ずる機会があればと思っている。更に言えば、実態としての義経四天王は、上記の4人よりも、佐藤継信・佐藤忠信・鎌田光政・鎌田盛政とされ、中でも佐藤継信は屋島の合戦で義経を守って命を投げ出し、弟忠信は、兄の死後もずっと義経に従い、文楽や歌舞伎の義経千本桜で大活躍する。
四天王といえば、義経に先立つ源頼光の四天王も広く知られており、独り武者平井保昌を別にして、卜部季武・渡辺綱・坂田金時・碓井貞光の4人である。これらの人物、特に綱と金時は、謡曲、歌舞伎、長唄などにしばしば登場する。金太郎が成長した武者とされる金時は、赤い顔と赤い衣装に特色がある。「金時の火事見舞い」などという成句や、金時豆、金太郎飴あるいは氷水の宇治金時などに名を残している。その息子金平(きんぴら)も極めて力の強い武士とされ、今日、力がつく食べ物として我々が食べる牛蒡と人参を細く切って油で炒めた「きんぴら牛蒡」の名前は、この人から来ているとか。
徳川家の場合、家康四天王として酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政の4人が挙げられるが、我が前田家の場合は8家。4の倍にも及んでいるのだから、今日まで前田家が安泰であり続けてきたのも、けだし当然とも思えるのである。 (2018年8月19日記)