今日9/3は、プリンスが初来日した日。今年は35周年となります。
2021.09.03 01:11
1986年3月、プリンスは地元ミネアポリスにて「Parade Tour」をスタート。8月初旬までに全米各地をまわり、8月中旬、ロンドンに渡りヨーロッパツアーを開始。そして9月3日、ツアーの最終目的地である日本に降り立ちました。
これは日本におけるプリンスの初のコンサートで、日程は下記のとおりでした。
9/5 (金) 大阪城ホール
9/6 (土) 大阪城ホール
9/8 (月) 横浜スタジアム
9/9 (火) 横浜スタジアム
この当時、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の宣伝マンが作成した、媒体関係者向けのチラシが残されており、来日時の状況とコンサートの内容を伝えていましたので、ここに転載いたします。
「早くも多くの華やかな、わがままなエピソードいっぱい」
定刻よりも少し早め、16:15頃大阪:伊丹空港にパリ経由ハンブルグから着いた殿下一行。ターミナル内に入り込んだ取材陣のフラッシュの嵐ですべてが始まった。空港出口から非常用通路までのほんの40メートルを、プリンスは日本人セキュリティの人の鎖の内側を早足で抜け、消え去った。
「PRINCE! I LOVE U!!」と叫んだファンの声も虚しく、人々がプリンスを見ることが出来たのは3秒程。あとは報道陣VSスタッフのモメごとが残るばかり。
ホテルの超高級スイートにチェック・インした殿下は長旅の疲れでいきなりお夕寝。百戦錬磨の日本人スタッフは口々に「今まで来た誰よりも大物だわい」と嘆きながら、数々のリクエスト処理に追われております。
「こんなにグレイトなコンサート、ありがとうプリンス」
9/3、エア・フランス274便で大阪空港に到着、9/5〜6:大阪城ホール、9/8〜9:横浜スタジアム、そして9/10、ノース・ウエスト2便で日本を去ったプリンス。あたかも台風一過の趣のある1週間の滞在でした。
コンサートの曲目は日によって変更はありましたが、「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」〜「クリストファー・トレイシーのパレード」〜「ニュー・ポジション」〜「アイ・ワンダー・ユー」〜「ラズベリー・ベレー」〜「デリリアス」〜「戦慄の貴公子」〜「ラヴ・ビザール」(シーラ・Eと共演)〜「ドゥ・ミー・ベイビー」〜「レディ・キャブ・ドライバー」〜「オートマティック」〜「D.M.S.R.」〜「ビートに抱かれて」〜「リトル・レッド・コルヴェット」〜「コンディション・オブ・ザ・ハート」〜「ペイズリー・パーク」〜「ザ・ラダー」〜「アンダー・ザ・チェリー・ムーン」〜「アナザー・ラヴァー」〜「セヴンティーン・デイズ」〜「ヘッド」〜「ポップ・ライフ」〜「ガールズ・アンド・ボーイズ」〜「ライフ・キャン・ビー・ソー・ナイス」〜「1999」〜「ホール・ロッタ・シェイキン」〜「マウンテンズ」〜「アメリカ」〜「KISS」〜スノウ・イン・エイプリル」〜「パープル・レイン」といった曲をプリンス&ザ・レヴォリューションは聴かせてくれました。
肌の色やジャンルを超越したプリンスの音楽は評判通り究極のロックであり、まさに’70年代、’80年代を通じて最高の天才ミュージシャンであることを証明してくれました。それにしてもオープニングでのプリンスの登場の比類なきカッコ良さ。「パープル・レイン」でのすべてを包み込んでしまうようなスケールの大きさは、コンサートを見た80,000人以上の観客の心に永遠に見たことのない感動として生き続けるはずです。
肝心の「わがままエピソード」とはなんだったかの言及がなかったり、ライヴレビューは感動ポイントの具体的描写にかけるなど今見ると物足りない内容ですが(失礼!)、当時の宣伝マンはこのチラシをフックに自分の言葉で媒体に売り込みをしていたのでしょう。
ツアーが終わった同年10月、ザ・レヴォリューションからリサ・コールマン(Keys)、ウェンディ・メルヴォワン(g)、ボビー・Z(ds)が脱退、これをもってプリンス&ザ・レヴォリューションでのコンサートは日本が最後となりました。
YouTubeにて、9/9の横浜スタジアム公演のセットリストを再現したプレイリストを公開中です(セットリストの曲目は「setlist.fm」掲載のものとなっています)。
当時の興奮、感動の追体験の一助になれば幸いです!