ダメなまま進めもう。
今日は一日休みだった。まるまる休みだったのは久しぶりな気がする。きのうの夜は気持ちがどん底だった。何も考えられない状態だった。
部屋で一人うずくまる。
部屋でひとりでうずくまっていると、自然と心が開いてくる。頭が整理されると、勝手に答えが見えてくる。最近、ひとりでじっくりと考えることが出来ていなかったのかもしれない。インプットの時間が多すぎたのかもしれない。
山田孝之から自分らしさを学ぶ。
ふと思い出した。こんなときはアレだ。Amazonプライムで「山田孝之の東京都北区赤羽」の最終話とその前話を見た。この作品はなんだか自分を思い出させてくれる。
山田孝之が自分の思考ととても似ている気がするからだ。目の前のことに必死になり、周りが見えなくなってしまう。でもだからこそそこにエネルギーがやどり、周りの人たちも協力してくれる。
勝手なことだが、輝き方が似ている気がする。置かれて輝ける場所が似ている気がする。
これまで全く興味のなかった俳優だったけど、この作品を見てからすっかりファンになってしまった。いずれこの感謝を伝えられる機会があると嬉しい。
ダメなまま進む。
「山田孝之の東京都北区赤羽」を見ていたら、ふと気づいたことがあった。「ダメなまま進めばいい」ということ。山田孝之はこの作品の中で、「劇をつくりたい」と赤羽にある劇団をやっている人に交渉する。
結果的に胸熱なラストにつながるのだが、そのときに劇団の人に「ザックリですね...いつもこんな感じなんですか?」と言われてしまう。でも山田孝之は一歩も引かない。純粋な力強い眼差しで前を見つめるだけだ。
これだと思った。僕に足りないものは。交渉術や話術、コミュニケーション力、プレゼン力、ロジカルシンキング、クオリティの高い資料作成力なんかじゃない。僕に足りなかったものは「ダメなまま進む力」だったんだ。
ダメを克服して進むのではなく、ダメなまま一生懸命進む。
僕は「ダメな自分」をダメだと思っていた。だからダメな自分を克服するために、あれこれ必死に勉強した。そしたら、それなりに良いものが出来た。褒められた。
でも、そこに費やした労力と時間は大変なものだった。なんとかそのクオリティを保とうとした。できなかった。辛くなった。体が悲鳴をあげていた。
ダメなものはダメでいいんだ。ダメでも伝わるものは伝わる。ダメなところは別の良いところで補えばいい。ダメだから手を抜けばいいということではない。ダメだから諦めるのではなく、ダメなまま一生懸命前に進むのだ。そうすれば、その心に共感する人が現れるということだ。
ダメなまま進もう。
僕はダメなまま進んでみようと思う。まだまだいつもの弱気な自分が出てしまうことがあるだろう。そのときにはまた山田孝之から学ぼう。きっと大丈夫だ。
今日の僕にありがとう。そして、さようなら。
あでゅ。
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