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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

恐怖政治3-マラーの暗殺

2021.09.02 11:16

内憂外患とはまさにこの時期のフランスである。1793年3月18日、ネールヴィンデンの戦いに敗北し、連合軍はフランス国内に進軍。敗北の責任を追及されそうになった司令官デュムーリエは、墺軍に寝返り、ヴァランシエンヌやコンデが包囲された。ここが陥落すればパリまで遮るものはない。

ダントンは「人民が怖ろしい存在にならぬように、我々が怖ろしい存在になろうではないか」と言う。そして3月10日に「革命裁判所」が設置された。4月6日に9人からなる公安委員会も設置され、反革命的と思われる者は、24時間以内に処刑してもいい権限を与えられた、恐怖政治が始まったのだ。

ロベスピエールは、穏健派のジロンド派を攻撃し、またまたサンキュロットの革命軍を募る。6月1日ジロンド派の女王と言われたロラン夫人が逮捕され、翌日国民公会が包囲されて、ジロンド派が追放、以後山岳派独裁となった。7月13日、山岳派指導者マラーが、シャルロット・コルデーに暗殺されたことで、さらに恐怖政治は加速する。

このマラーの暗殺を描いたのが、ナポレオンの絵で有名なダヴィッドである。彼はマラーの死を殉教者のように描いたが、実は山岳派議員であり、この後権力を得て、「筆のロベスピエール」と呼ばれたのである。