木村政彦はなぜ力道山に殺されたのか
1954年12.22 初代日本ヘビー級王座決定戦は、力道山と木村政彦が対戦した「昭和の巌流島」。
試合終盤、明らかに空気が変わる。
金的に激昂した力道山、猛攻というか暴行。殺気立ちまくり殴る蹴るの力道山、たじろぐ木村はされるがまま。意識が飛ぶまでぶっ叩かれての無惨なKO負けにて、閉店ガラガラ。
間違いないと思う。両者は中盤までプロレスをしているが、その間も力道山は薄っすら殺気を漂わせている。金的をキッカケにしたのも確実に仕留める為の作戦だろう。ブック破りとは気付かせず事を始める為とか、罪悪感で躊躇させ僅かでも対処を遅らせる的な。
その上で、全部ひっくるめたその上で、
試合の映像や一連の顛末は「力道山の底抜けの強さ」を知らしめる。
木村政彦は本当に本当に凄い柔道家である。
全日本選手権13年連続保持、15年間無敗のままプロ転向。師匠である牛島辰熊のプロ柔道に転向後も連戦連戦。日系人柔道家らを連破してブラジル格闘技界の雄であったエリオ・グレイシーを子供扱い。「絶対に木村が史上最強だ。人間離れした強さがあった。」「ヘーシンク、山下、ルスカ、ロジャース、誰も敵わない。遥かに上をゆく。」等々と評された柔道界のレジェンドである。
そんな木村が力道山に完全に怯んでいる。
そもそもこの試合、柔道界で英雄だった木村がプロレスでは力道山の引き立て役をやらされている事を不服として仕掛けている。年下でもあるし、と。(木村37才、力道山30才)
にもかかわらず、木村は「引き分け」に応じた上で、ブック破りに為す術なく惨敗。本気で勝てると思っていたなら八百長を受けなかっただろうし、少なくとも試合後に「この野郎、裏切りやがって」と殴りかかりしそうなもの。
何もしないどころか、試合後にはテヘテヘと握手してしまっている。終いには、力道山の死後に精一杯の負け惜しみ「呪い殺してやった」と語ったとか。悲し過ぎる。
力道山は木村を完全に怯ませる存在だった。
全てが伝聞であったなら、「そういう見方、意見もあるんだろうね」ってなもんである。だが、冒頭の映像、まさに一目瞭然、これぞ百聞は一見に如かず。
力道山は終始一貫して、木村よりも格段に強者の雰囲気を放っている。単に一回り大きいという以上に、風格?貫禄?余裕?魅力?武威?オーラ?或いはそれら全て?何でもいいが、そういった尋常じゃない何か湛え、時代や画質などを超越し「強さの可視化」を実感させられる。
力道山の強さは計り知れない。