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無理ゲー社会

2018.09.03 06:09

Facebook・上田 誠さん投稿記事 「人が怖い、その理由。」

先日、知人と話をしていて、その知人が「ウエダさんがよく言っている、顔を覚えることができない人にこの間、会いました」と。

顔を覚えられない子(者)が意外に多いのを知っていますか?

そして、その本人も自分が顔を覚えられないということを知らない。。。

知人で40 歳になるまで人の顔の見分けがつかないということを知らない方がいました。

その知人は自分の子どもが写っている集合写真を見て 我が子がどこにいるのかがわからなかった。。「私の息子はどこにいるの?」そこに居合わせた友人はとてもびっくりしたとのこと。

私の教え子でも「ウエダ先生、あの人だれ?」と尋ねてくる子がいました。

それは担当の先生ですが、洋服を変えたばかりにその先生が誰かを見失ってしまったのですね。相貌失認と言ってしまえばそれまですが、これは「部分」をフォーカスしてしまうASDの子の特性です。

例えば、顔全体で他人をイメージするよりも顔のホクロに見入ってしまう、鼻の穴をじっと見てしまう子はその他人の顔全体を表象することができません。

表象が苦手というよりも「部分」にだけ吸い込まれてしまうのですね。

いつまでも全体・抽象をイメージしない、という感じです。

また悪いことに、人の表情は千変万化、「変化」の連続です。

自閉症の子はこれが最大の苦手。ですから、顔全体を覚えることができない、しない。。

これが相貌失認の一つの理由です。

程度の差こそあれ、顔全体を覚えることが苦手な子は多いのですよ。

ところで、自閉症の子の心の内に絶えず渦巻いているのは、「不安・恐怖」だとよく言ってきましたが、顔を覚えられない、したがって、周囲の人たちが誰だかわからない不安というものがあります。

大雑把には服や靴、その模様などで覚えようとしますが、突如、服装を変えたり、履いている靴がサンダルになったりするととたんに誰だかわからなくなる。。

突如、知らない人々、その世界に入り込んでしまう。。。

その子はなんとか声をよすがに心の安定を図ろうとしますが、本当にその人なのかがはっきりわからない。

そのいつまでも続く疑心暗鬼が度々あると、次第に不安から恐怖心に苛まれるようになります。

私がいつもマスクをしているのは何もコロナ禍だからではありません。

自閉症の子ども、知人がたくさんいるからです。

つまり、まずは、季節外れのマスクで認識してもらうからですね。

そしてまた、声による過敏を防ぐためです。

でも、最近はみんなマスクをしている。。

だから、自閉症の知人に会うにはかなり慎重に近寄ることにしています。

これも「多様性」と「配慮」なのです。  『東田直樹』

・・人の顔については、部分がわからないから全体がわからないのだと思います。人の顔を見るときは、どの部分から見たらいいのかわからずに少しだけそっと見ると、なんだか部分がバラバラな感じだけで、その人の顔が思い出せないのです。

顔は、表情が変わるから覚えられません。顔が覚えられないから、今まで人のことが怖かったのかも知れません。人が怖いというのは、その人が何かわからないからだと思います。


行徳 剛

無理ゲー社会・・・シェアさせていただきます。https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00432/00009/

『無理ゲー社会』橘玲に聞く 「自分らしく生きる」が生んだ絶望  北川 聖恵ライター

2021年7月末に発売し、既に7万部を超えるヒットとなっている『無理ゲー社会』(小学館新書)。誰もが自分らしく生きることに価値を置くリベラル化する社会が、むしろ生きづらさに苦しむ人を急増させ、才能のある者以外にとっては絶望的なディストピアを誕生させたと指摘する。コロナ禍の困難な社会状況の中、反響を集める本書の執筆背景を、著者の橘玲氏に聞いた。

橘玲氏と『無理ゲー社会』 作家 橘 玲 氏

たちばな・あきら。1959年生まれ。早稲田大学卒業。2002年に小説『マネーロンダリング』(幻冬舎)でデビュー。ベストセラーとなった『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)、『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)他、近著に『上級国民/下級国民』(小学館新書)、『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』(幻冬舎)など

──『無理ゲー社会』は発売以来、書店売り上げランキングで上位に入り続けるなど、好調な売れ行きです。著者としてヒットの理由をどのように分析していますか?

 タイトルのインパクトは大きかったと思います。執筆以前から、今の若者たちは社会に対して、自分では攻略不可能なゲームの世界に放り込まれているような感覚を持って生きているのではないかと感じていました。「自分たちはどうせ年金なんてもらえない」「生涯独身で、このままどう生きていけばいいのか」という彼らの声も聞いてきた。日本は人類史上未曽有の超高齢社会へと向かっていますから、この不安には杞憂(きゆう)とは言えない面がある。社会そのものもどんどん複雑化し、個人に要求されるスペックも上がってきていることが、さらに不安や絶望を膨らませています。

 そんな若者世代の状況について、あるインタビューで「無理ゲー」という表現を使ったところ、若いライターや編集者からその言葉が「すごく刺さった」と言われた。そこで、タイトルを『無理ゲー社会』にしようと思いつきました。

橘玲『無理ゲー社会』(小学館新書)。2021年7月発売

──本書の序文には、収入や親の介護といった将来への大きな不安から、「早く死にたい」「苦しまずに自殺する権利を法制化してほしい」といった、若者世代の生々しい絶望の声が複数紹介されています。「無理ゲー社会」から脱するには、もはや安楽死しかないとまで思い詰める若者がこれほどいるのかと……。

 2020年1月に自民党の山田太郎参議院議員が、SNSで若者に向けて「あなたの不安を教えてください」「私たちに何かできることがありますか」とアンケートを取ったところ、「苦しまずに自殺する権利」としての安楽死を望む声が殺到した。

 もちろんネットで集めた意見は平均的なサンプリングではありませんが、それにしても将来に対する絶望や、日々を過ごすのが精いっぱいだという苦悩を記したネガティブな回答があまりに多くて衝撃を受けました。その後、コロナ禍によって世の中の理不尽さがさらに際立ってきている中で、今ならどのような回答が集まるのかと考えると、空恐ろしいものがあります。

「自分らしく生きる」を目指す社会からこぼれ落ちる絶望

──「すべての人は自分の人生を自分で選び取り、自分らしく生きるべきだ」という、一見良いことに思えるリベラルな価値観の広まりが、一方で「自分らしく生きられない」と苦悩する人を急激に増やしている。本書の柱になっているこの構想は、どのように固まっていったのでしょう。

 今はSNSを開けば、ビヨンセやレディー・ガガ、マイケル・ジョーダンといった有名人たちが、「自分らしく生きて夢をかなえなさい」「人と違っていてもいい、あなたらしく生きていけばいい」という強いメッセージを送ってくる時代です。しかし、彼らのように成功できる人など、現実にはほとんどいない。「強く願えば夢はかなう」と信じて、かなわなかった人たちはどうなってしまうのか。一方で、こうしたリベラルな価値観は、既に確固としたものになっているため、もはや誰も否定できなくなっている。

 歴史的には、「自分の人生は自分で決める」「すべての人が自分らしく生きられる社会を目指すべきだ」という思想は、1960年代の米国西海岸のヒッピーカルチャーの中から生まれて、10年もたたずに世界中の若者をとりこにしました。これは、キリスト教やイスラームの誕生に匹敵する人類史的出来事です。この新しい価値観のもとでは、すべての子供に夢を持たせて、その実現に向かって頑張らせなければならない。でも、「夢なんてない。どうすればいい?」「頑張っても実現できなかったら?」と聞く子供に対して、どんな答えが返せるでしょう。

 そんな理不尽な価値観の押し付けに対し、社会の底辺から様々な異議申し立てが出てきました。露骨に表れたのが男性の「性愛格差(モテ/非モテ)」で、日本では自分の父親世代まではほぼ100%結婚できていたのに、あっという間に婚姻率が5~6割にまで下がってしまった。データを見ると、それでも年収600万円以上なら恋人がいる割合はほぼ100%ですが、200万円以下の若い男性では3割程度にすぎません。

 マジョリティーの中から現れた脱落者たちの存在は、米国では白人至上主義が台頭する背景にもなっています。白人男性という「高い下駄」を履いているにもかかわらず、自分たちは底辺の生活を強いられている、「差別」されていると不満を漏らせば、過去の奴隷制(黒人差別)の歴史を引き合いに出されて、エリートのリベラルから批判されバカにされるだけです。こうして憎悪と絶望を募らせていくことになる。

 前近代的な身分制社会の残滓が色濃く残る日本では、男はそもそも男であるというだけで優位性を持っています。学校では男女平等でも、企業に入れば男性優位が明らかで、労働組合やリベラルな主張をするメディアですら、社長や役員は男ばかり。そんな中で、「ボクはモテません」なんて不満を言えば、それこそずっと「無理ゲー」を強いられてきた女性たちから、何を泣き言を言っているのかと批判され、フェミニズムへの憎悪が膨らんでいく。

 白人至上主義も「モテ/非モテ」問題も、社会的にも性愛からも排除され、「攻略できない無理ゲー」に放り込まれてしまったと感じている者たちが、マジョリティーの中から現れてきたことが根底にあるのだろうと考えたことが、構想のスタート地点でした。

──「才能のある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア」という表紙の文言も強烈です。

 リベラル化する社会では、あらゆる人生の選択を一人ひとりが個人の自由意思で判断しなくてはなりません。そのため、あちこちで利害が対立して社会が複雑化し、その複雑さに適応できる人とできない人が出てくる。適応できるのは「賢い」人で、これが現在の「知能格差社会」ともいうべき状況を生んでいる。賢いというのは知能だけでなく、コミュニケーション能力も高いことで、そうした人は人間関係を円滑に構築できますが、そうでない人は引きこもってしまう。

 いたずらをした子供を叱る場面を考えると分かりやすいですが、「なんでそんなことをしたの!」と叱られたとき、その理由をきちんと言葉にして答えられる子供は許される。答えられずに黙りこんでしまう子供は、理由が分からないことに不安を覚える大人から、さらに怒られます。そうなると子供は、世界を恐ろしい場所だと思うようになり、家族・親族や地域などの狭い共同体から出ようとしなくなるでしょう。子供時代のIQ(知能指数)で将来の政治イデオロギーを予測できるという研究もあり、言語能力の低い子供(男性に多い)は保守主義に、言語能力の高い子供(女性に多い)はリベラルになる傾向がある。

──本書の中では「秋葉原通り魔事件」の加藤智大死刑囚をはじめ、リベラル化した社会で追い詰められた人間がテロリズムに走る経緯も分析されています。刊行後まもなく現実に、小田急線内での傷害事件も起こりました。

 小田急線の事件は、若く魅力的な女性をターゲットにした日本で初めてのミソジニー(女性憎悪)による無差別テロではないでしょうか。『無理ゲー社会』で取り上げた秋葉原通り魔事件の加藤智大は「女神(運命の女性)」と出会いたいと思っていて、「非モテ」特有のひがみやコンプレックス、彼女さえできれば人生が好転するという「一発逆転」願望はあったとしても、女性への憎悪はなかったように思います。京都アニメーション放火殺人事件にしても、私立校に通う小学生を狙った川崎市登戸通り魔事件にしても、憎悪の対象は女性ではなかった。「きらびやかな勝ち組の女が憎い、殺してやりたい」と動機を明言した今回の事件は、その点で象徴的だったといえます。

 また、加藤の場合は女性と交際した経験がほとんどありませんでしたが、小田急線事件の容疑者は、大学生の頃までは人気者で女性にもモテていた、いわゆる「リア充」でした。それがなぜか大学を中退し、バイトしながら自称「ナンパ師」になり、最後に行き着いたのが、生活保護を受けて家賃2万5000円の部屋で暮らし、生活必需品を万引きする生活です。

 男の場合、「持てる者はモテ、持たざる者はモテない」という明らかな傾向があり、30代で社会の最底辺に落ちてしまえば、どれほどナンパテクニックを持っていても誰も相手にしてくれないでしょう。彼がドロップアウトした経緯は分かりませんが、それでも自分でその生き方を選んだわけですから、自己責任で誰のせいにもできない。何のために生きているのかと絶望して暮らす日々があと半世紀続くとなれば、「無理ゲー」を強いる社会を破壊するしかないと考えるように( 機能以下は会員限定です)


https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001282.000013640.html  【あなたが生きづらいのはあなたのせいじゃない。『無理ゲー社会』】より

才能がないものにとって、今の世はディストピア。

株式会社小学館2021年8月26日 

『上級国民/下級国民』などの著書で知られるベストセラー作家が、知能格差のタブーに踏み込み、リベラルな社会の「残酷な構造」を解き明かす!

「年収は200万に届かないくらいです。家賃、光熱費、食費で手一杯で、住民税や国保、年金が払えません。早く自分なんて消えてしまいたいけど親がいるうちの自死は親がかわいそう」(千葉県・30代)

「非正規雇用労働者、いわゆる派遣社員です。月収手取り14万~15万円で、30代後半です。日々生きるのがやっとの収入のなか、自身も病気をし、両親も歳をとってきました。未来に希望をもてない」(静岡県・30代)

「母親になりたいとは思っても、生んで育てて大学まで出すという資産のイメージがどうやっても立ちません。真面目に勉強して卒業して就職したら報われる時代の親に育てられたので、現代はそうはいかないんだよ。も通じません」(東京都・30代)

現代社会に生きづらさを感じている人は多い。それは、あなたに問題があるのではなく、参加させられているゲームの難易度が極端に高いだけなのかもしれない。

13万部を超えるベストセラー『上級国民/下級国民』(小学館新書)で現代社会のリアルな分断の構図を描いた作家の橘玲氏は、この理不尽な社会を「無理ゲー」(攻略がきわめて困難なゲーム)にたとえた。わたしたちは今、「無理ゲー社会」に放り込まれている状態なのか?橘氏は多くの人たちが生きづらさを感じるようになったのは、「リベラル化の必然」と看破する。

«本書で述べたのは、とてもシンプルなことだ。あなたがいまの生活に満足しているとしたら素晴らしいことだが、その幸運は「自分らしく生きる」特権を奪われたひとたちの犠牲のうえに成り立っている。ひとびとが「自分らしく」生きたいと思い、ばらばらになっていけば、あちこちで利害が衝突し、社会はとてつもなく複雑になっていく。これによって政治は渋滞し、利害調整で行政システムが巨大化し、ひとびとを抑圧する。

「リベラル」を自称するひとたちには受け入れがたいだろうが、リベラル化が引き起こした問題をリベラルな政策によって解決することはできない。すべての〝不都合な真実〟は、「リベラルな社会を目指せば目指すほど生きづらさが増していく」ことを示している。

ヒトの認知能力には限りがあるので、私たちは複雑なものを複雑なまま理解することができない。こうして「なにか邪悪なものが世界を支配している」と考えるようになる。この陰謀思考の標的は、右派では「ディープステイト」、左派では「資本主義」が最近の流行のようだ。

だがどれほどワラ人形に呪詛の言葉を投げつけても、この巨大な潮流をせき止めることはもちろん、流れを変えることすらできないだろう。

それに加えて日本の若者たちは、人類史上未曾有の超高齢社会のなか、増えつづける高齢者を支えるという、〝罰ゲーム〟を課せられ、さらには1世紀(100年)を超えるかもしれない自らの人生をまっとうしなければならない。この状況で「絶望するな」というのは難しいだろう。

それにもかかわらず、きらびやかな世界のなかで、「社会的・経済的に成功し、評判と性愛を獲得する」という困難なゲーム(無理ゲー)を、たった一人で攻略しなければならない。これが「自分らしく生きる」リベラルな社会のルールだ。»

(本書「あとがき」より)

こちらは本書の内容の一部です。

「夢の洪水」に溺れかけている若者たち

「愛されることも、愛することもない」敗残者

 サンデルが告発するメリトクラシー社会

 日本人の3分の1は日本語が読めない

 遺伝なのか、環境なのか

 非大卒は大卒より2倍も死んでいる

「苦しまずに自殺する権利」を求める理由

 結婚に失敗すると社会の最底辺に突き落とされる社会

 コロナでわかった「日本の敗戦」

誰もが「自分らしく」生きられる社会で「自分らしく生きられない」人はどうなるのか? 発売即重版されるなど反響轟々。ベストセラー作家が現代社会で起こっている諸問題の根源を解き明かす衝撃の話題作。

〈目次〉

はじめに 「苦しまずに自殺する権利」を求める若者たち

PART1 「自分らしく生きる」という呪い

 1 『君の名は。』と特攻

 2 「自分さがし」という新たな世界宗教

PART2 知能格差社会

 3 メリトクラシーのディストピア

 4 遺伝ガチャで人生が決まるのか?

PART3 経済格差と性愛格差

 5 絶望から陰謀が生まれるとき

 6 「神」になった「非モテ」のテロリスト

PART4 ユートピアを探して

 7 「資本主義」は夢を実現するシステム

 8 「よりよい世界」をつくる方法

エピローグ 「評判格差社会」という無理ゲー

あとがき 才能ある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア

小学館新書

『無理ゲー社会』

著/橘 玲

定価:924円(税込)

判型/頁:新書判/288頁

ISBN978-4-09-825400-2

小学館より発売中(7/29発売)

本書の紹介ページはこちらです↓↓↓

https://www.shogakukan.co.jp/books/09825400

【著者プロフィール】

橘 玲(たちばな・あきら)

1995年生まれ。国際金融小説『マネーロンダリング』『タックスヘイヴン』などのほか。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『幸福の「資本」論』など金融・人生設計に関する著作も多数。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。近著に『上級国民/下級国民』、『スピリチュアルズ「わたしの謎」』など。