恐怖政治4-自由の女神登場
2021.09.03 11:14
マラーは革命の殉教者に祭り上げられた。ダヴィッドはこの死を神聖な美しさで描こうとした。フェルメールを思わせる静謐さだ。暗殺者のシャルロット・コルデーは24歳の女性で、逃げずに処刑された。彼女は革命は支持したが、自分の神父が殺されたことでパリに出た。後に暗殺の天使と称えられ、やはり描かれる。
そして1793年8月10日にはダヴィッド演出の「統一祭」が行われた。ここで元ルイ15世広場、当時革命広場に置かれたのが即席に造られた「自由の女神像」である。自由の女神は前年のアッシニア紙幣にも使われた。さらにイシス、ヘラクレスもあり、ごった煮である。
ダヴィッドは革命の理想を描こうとしたわけだが、現実はそんなもんではない。7月末にはコンデとヴァランシエンヌの砦が破られ、最後のモブーが残るのみ。ドイツ方面では、マインツが連合軍の手に落ち、キュスティーヌ司令官は反逆者の烙印を押され、可哀そうにパリでギロチンにかけられた。
ここでロベスピエールは、公安委員会を使い庶民の不満を抑えるため「価格統制令」を出した。そして生活必需品をため込んだ者は、反逆者として死刑にすると決めた。戦時共産主義というか、何のことはない、王制よりも厳しい統制経済を実施した。国王ルイも、断固としてこれをやれば死なずにすんだだろう。