金具屋の歴史その9(平成時代1990-)
1990年代に起きた最大のトピックは、渋温泉の石畳と長野冬季オリンピックでした。
今は当たり前のように敷かれている渋温泉の通りの石畳は1990-91(平成2年~3年)の2年間かけて工事されたものです。渋温泉全体の工事ともいえる大規模なものとなりました。この時にはいろいろ議論されたのでしょうが、大きなハコものを作るのではなく、道を広げたりといった利便性ではなく、昔の街並みを整えるための工事を行ったというのはその後の渋温泉にとって大きな舵きりだったのかもしれません。
石畳の整備の終了後、金具屋は玄関周りの大規模な改装を行います。それまでの洋風の玄関・ロビー・フロントを、江戸時代の蔵の部材を使用し日本式にしました。これで現在の姿となります。
理由としてはやはり長野オリンピックが大きかったと思います。
オリンピックによって高速道路、新幹線が優先的に整備され交通網が整ったこと(昭和初期と似た状況ですね)。そしてそのオリンピックが、今のように先進的な技術を追求するものでなく、日本の伝統的な文化を示すという方針で行われようとしていたというのも大きい。時代としてはバブルの終焉と重なります。行き過ぎた浪費社会から少しずつ、日本の元々の文化が見直されてきた時代であったといえます。
金具屋はこの時に館内の売店をなくします。街並みの整備に合わせ、温泉街の保護のために売店をなくし、お土産を買うのもお客様に街へ出ていただくようにしたのです。
世の中ではすでにバブルが崩壊に向かい経済も一気に落ち込んでいきましたが、この地域ではオリンピックによりその落ち込みに少しタイムラグがあったようです。(逆に言うと、ここでラグがあったがばかりに時代に変化に気づけず、対応が手遅れになってしまった業界・地域がでてしまったのかもしれません。)インターネットが世の中に出始めたのもこのときです。
さて21世紀になりました2001年。ここで当館にとってはまた大きなトピックがあります。
7月、後にアカデミー賞を受賞する「千と千尋の神隠し」の公開です。ここでは余計なことは言いませんが、この作品によって全世界における日本中の古い木造の温泉旅館の価値観がガラっと変わったといっても過言ではありません。古くて不便でみっともないと思われていた木造温泉旅館が(※千と千尋の湯屋は温泉でも木造でもありませんが)、ものすごく価値のあるものになったのです。
千と千尋における「湯屋のある世界」というのは、現代日本で失われたものが集まる世界。神も川も妖も故にあの世界にいるのですが、建物もそうなのです。ほとんどが失われて、辛うじて残っていた我々のような木造建築が再び脚光を浴びるようになったのは間違いなく、ここがターニングポイントでした。
2003年には木造4階建斉月楼と大広間が文化庁の登録有形文化財に認定されました。これにより、建築に興味のある方々にたくさん来ていただけるようになりました。
金具屋の建物が面白いものであると知ったのは、同じ2001年、雑誌の取材で『建築探偵』藤森照信先生が来られたのがきっかけです。この時に受けた説明が非常に面白かったため、これを泊まりに来られたお客様に伝えたいと思い始めたのが「金具屋文化財巡り」です。現在も毎日多くの方にご参加いただいています。
「知ってもらう」というのはとても大事なことであると思っています。
その後、金具屋、渋温泉では新たな世代に知ってもらおうと音楽や芸術のイベント、人気ゲームとのコラボイベントなどを行ってきました。最近は漫画に登場することも多くなっています。また当館で撮影されたコスプレイヤーさんの写真が世界中から注目されるということもありました。大変ありがたいことです。
今後もさまざまな方に当館について知ってもらい、そのために伝え続けていく、これを第一に金具屋の歴史をつないでいきたいと思っております。どうぞみなさま、今後ともよろしくお願いいたします。
(文章・金具屋九代目予定 西山和樹)