得意だと思っていることを辞めてみると、今よりもラクに生きられるかもしれない。
昨日はゲストハウスのお手伝い。団体のお客さんが来ていたので、夕食のお片付けと朝食の準備。なんだかんだ、2時ごろまでチーム雪見大福で日本酒と豪華すぎるまかないを食す。
最近アサリハウス率が高い。ゆるゆるとノマド仕事しながら、ゲストハウスのヘルパーさんとして暮らすのも良いなと思った。
必要以上の準備をしないで飛び込む。
ここ数日のテーマ「ダメなまま進む」。しばらくはこのテーマを書いていく。というか、このブログの大きなテーマにしてしまっても良いかもしれない。
「ダメなまま進む」と決めた。それは「失敗を恐れずに飛び込む」という意味がある。そして、「必要以上の準備をしないで飛び込む」という意味もある。
必要以上にというのは、ガチガチに知識や技術を身に着けないという意味だ。
作られたコミュニケーションを辞める。
「ダメなまま進む」ことを決めて、さっとんは「作られたコミュニケーション」を辞めることにした。作られたコミュニケーションとは、言ってみれば営業トークのことだ。
具体的には、無理に相手を喜ばせようとしない。場をつなごうとしない。テンション上げようとしない。自分の持っている言葉をしゃべる。思ってもないことを言わない。喋る技術がないことをごまかさない。
こんなところだろうか。
無理をしない方がコミュニケーションが充実する。
作られたコミュニケーションをやめると、不思議なことが起こった。なぜだかコミュニケーションが充実する感じがしたのだ。
取り繕わないで話すと、落ち着いて話すことが出来る。話す店舗が落ち着き、程よい間ができる。間が出来ると、相手も自分も考える時間が増える。そうするとじっくりとコミュニケーションがとれるようになる。
今まではコミュニケーションに怯えていたのかもしれない。楽しませなきゃ。場をつながなきゃ。気まずい空気にしないようにしなきゃって。
実はコミュニケーションが苦手だったことを思い出した。
作られたコミュニケーションをやめてみたら、面白いことに気づいた。実は自分はコミュニケーションが苦手だったということだ。
さっとんはコミュニケーションが得意だったのではなく、コミュニケーションを得意になろうとして技術を身に着けていただけだったのだ。
もともと得意な人と技術を身に着けた人の違い。
コミュニケーションが得意な人と、コミュニケーションを得意になろうとして技術を身に着けた人というのは大きな違いがある。
コミュニケーションが得意な人は、生まれつきコミュニケーションが得意なのだ。ときどき、よくこんなに話題が途切れずに話ができるなぁと感心する人がいる。芸能人で言えばさんまさんみたいな人だろうか。
この人たちはきっと人と話すことが普通で、何の苦労もせずに話ができるのだろう。でも、コミュニケーションを技術として身に着けた人は、基本的にはコミュニケーションが苦手なのだ。だから技術を学んだ。
技術が身についたんだったら良いじゃん!という声が聞こえてきそうだが、それは違う。技術はあくまでも技術だ。それは自分の自然の姿ではない。自分の言葉ではない。
そして、得意ではないことを無理やり得意だと思ってやっていると、じわじわと精神的にすり減っていってしまう。無理した矢先には、一週間ほど人に会いたくなくなってしまう。かなり身に覚えがあることだ。
得意だと思っていることを疑ってみる。
さっとんはコミュニケーションが得意なほうだと思っていた。人前で話すのも得意だと思っていた。でも、実はそうではなかったのだ。これは技術として身に着けて得意になろうとしたものだったのだ。
技術を身に着けることが悪いとは言わない。いざというときに役に立つことも沢山あるだろう。でも技術で覆いかぶせすぎてしまうことには注意したほうが良い。それは上にあげたように、自分の本来の良さを見失ってしまうということ、無理に続けていると精神的に辛くなってしまう可能性があるということだ。
もしかしたら他にもあるかもしれない。得意だと思っていることを疑ってみることは大切なことだと感じた。
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僕は「ダメなまま進む」ということを決めました。これまで自分の弱さを隠して、沢山の「ヨロイ」を身にまとい、それを隠すことに必死になっていました。でも、これからは違います。自分の弱さを認め、受け入れ、そしてそれでも大丈夫だと信じ挑戦する姿を見せていきます。もし僕の言葉に少しでも共感することが出来たのなら、感想や応援のメッセージをいただけると嬉しいです。
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