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パフィン物語

パフィン物語 番外編

2017.03.04 01:25

 「京都に行こうよ!」また、夫の声がする。 


3月5日、京都で、ラジコングライダー競技会がある。


 先日、知己を得た、グライダー達人が、その競技会に出場されるのだ。 


 夫が遺した、パフィン号のデザイン画。 


2年前、そのデザイン画を出版したいと思った。


 

でも、出版するには、パフィン号を、開発した方から、許可をいただかねばならない。


 その方は、石井潤治さん。


 石井さんの名は、生前、夫の口から、何度も出ていた。 


夫にとって、石井さんは、憧れの人であった。


 32年前、夫は石井さんがパフィン号を製作中だと知り、突然、オートバイに乗って、会いにやって来たそうな。

 その日以来、夫はパフィン号、レモン号の2機の超軽量飛行機の組み立てイラスト図を任された。


 夫は、パフィン号、レモン号のイラスト図を、描けたことを、とても誇りにしていた。

 

私立高校の美術教師をしながら、夫は、いろいろなデザインを描いていた。


 最近では、階段を自力で上る、車椅子のデザインを描いていた。 


この車椅子デザインを石井さんに見てもらいたいと、言っていた。 

 

しかし、55歳で突然、旅立った夫には、その機会は訪れなかった。


 石井さんと夫は、パフィン号とレモン号が完成してからは、交流はなかったのだ。


 それぞれに、違う分野で、多忙な日々を過ごし、余裕もなかったのだろう。


 石井さんに、夫の死をお知らせし、パフィン号デザイン画出版の許可をいただかねばならない!


 しかし、私の中にその勇気が、わいてこなかった。


 夫が憧れていた人にお会いするのに、自分は、ふさわしくないと思えた。 


自分の一方的な思いつきで、パフィン号のイラスト集なんて、おこがましいと、思えた。


 ピアノと歌とバレエばかりの人生で、飛行機のことは、まったくわからなかった。


 私は、石井さんに会う準備を始めた。


パソコン教室で猛特訓を受け、オートバイの免許取得し、飛行機の本を読み、自分の中で、

勇気がわいてくるのを待った。 


夫の死後1年と10ヶ月、ケニー・ロバーツに会いに、単独九州ツーリング成功後、

やっと石井さんに会う、勇気が出た。


 長い長い手紙を書き、夫のイラスト集Vol.1を添えて、イラスト集Vol.2には、

パフィン号のイラストを使いたいことを、お願いした。


 石井さんは、すぐにお返事くださり、許可をくださった。


 ただし、イラスト集だけでなく、もっと範囲を広げて、飛行機づくり、ものづくりに関して、

文章化してみてはどうかとアドバイスをいただいた。


 私にできるかしら? でも、とても魅力的なテーマだった。


 夫が愛していた飛行機やものづくりに関して、もっと深く知りたい、勉強したいと、

思っていたから。 


文章化することを自分に課せば、きっと、どんなに難しい本でも、逃げ出さず、勉強するだろう。


 どうしてもわからないところは、石井さんが助けてくださることになった。


 こうしてパフィン号物語が、スタートした。 悪戦苦闘、七転八倒しながら飛行機の勉強をし、

取材をし、パフィン号物語No.6まで進んだ。 


次回作、No.7で、ラジコン飛行機がテーマなのだ。


 ラジコンは、やっぱり、何にも知らない。ちょっと本を読んだくらいでは、

面白さも、共感できない。 


これは、実際に見聞するしかない。


そう思っていたら、3月5日のラジコン競技会の情報を得た。 


もちろん、行きますとも!オートバイに乗って! 


さあ、2017年、オバサンにとって初のロング・ツーリングだ。


安全運転で行ってこよう!


 2017年3月4日 大江利子