パフィン物語 番外編
「京都に行こうよ!」また、夫の声がする。
3月5日、京都で、ラジコングライダー競技会がある。
先日、知己を得た、グライダー達人が、その競技会に出場されるのだ。
夫が遺した、パフィン号のデザイン画。
2年前、そのデザイン画を出版したいと思った。
でも、出版するには、パフィン号を、開発した方から、許可をいただかねばならない。
その方は、石井潤治さん。
石井さんの名は、生前、夫の口から、何度も出ていた。
夫にとって、石井さんは、憧れの人であった。
32年前、夫は石井さんがパフィン号を製作中だと知り、突然、オートバイに乗って、会いにやって来たそうな。
その日以来、夫はパフィン号、レモン号の2機の超軽量飛行機の組み立てイラスト図を任された。
夫は、パフィン号、レモン号のイラスト図を、描けたことを、とても誇りにしていた。
私立高校の美術教師をしながら、夫は、いろいろなデザインを描いていた。
最近では、階段を自力で上る、車椅子のデザインを描いていた。
この車椅子デザインを石井さんに見てもらいたいと、言っていた。
しかし、55歳で突然、旅立った夫には、その機会は訪れなかった。
石井さんと夫は、パフィン号とレモン号が完成してからは、交流はなかったのだ。
それぞれに、違う分野で、多忙な日々を過ごし、余裕もなかったのだろう。
石井さんに、夫の死をお知らせし、パフィン号デザイン画出版の許可をいただかねばならない!
しかし、私の中にその勇気が、わいてこなかった。
夫が憧れていた人にお会いするのに、自分は、ふさわしくないと思えた。
自分の一方的な思いつきで、パフィン号のイラスト集なんて、おこがましいと、思えた。
ピアノと歌とバレエばかりの人生で、飛行機のことは、まったくわからなかった。
私は、石井さんに会う準備を始めた。
パソコン教室で猛特訓を受け、オートバイの免許取得し、飛行機の本を読み、自分の中で、
勇気がわいてくるのを待った。
夫の死後1年と10ヶ月、ケニー・ロバーツに会いに、単独九州ツーリング成功後、
やっと石井さんに会う、勇気が出た。
長い長い手紙を書き、夫のイラスト集Vol.1を添えて、イラスト集Vol.2には、
パフィン号のイラストを使いたいことを、お願いした。
石井さんは、すぐにお返事くださり、許可をくださった。
ただし、イラスト集だけでなく、もっと範囲を広げて、飛行機づくり、ものづくりに関して、
文章化してみてはどうかとアドバイスをいただいた。
私にできるかしら? でも、とても魅力的なテーマだった。
夫が愛していた飛行機やものづくりに関して、もっと深く知りたい、勉強したいと、
思っていたから。
文章化することを自分に課せば、きっと、どんなに難しい本でも、逃げ出さず、勉強するだろう。
どうしてもわからないところは、石井さんが助けてくださることになった。
こうしてパフィン号物語が、スタートした。 悪戦苦闘、七転八倒しながら飛行機の勉強をし、
取材をし、パフィン号物語No.6まで進んだ。
次回作、No.7で、ラジコン飛行機がテーマなのだ。
ラジコンは、やっぱり、何にも知らない。ちょっと本を読んだくらいでは、
面白さも、共感できない。
これは、実際に見聞するしかない。
そう思っていたら、3月5日のラジコン競技会の情報を得た。
もちろん、行きますとも!オートバイに乗って!
さあ、2017年、オバサンにとって初のロング・ツーリングだ。
安全運転で行ってこよう!
2017年3月4日
大江利子