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あかまつの丘 西本梅

埴生城をシンボルに

2021.04.05 07:01

埴生のシンボル復活プロジェクト

副代表 塚脇誠さん

広報 野々口康史さん

会計 佐々谷平光さん


 週末のハイキングコースとして、認知されつつある埴生城。2年前、代表 美馬謙一さんを中心に「埴生のシンボル復活プロジェクト」が発足しました。定期的に山の整備を続け、誰でも20分ほどで登ることのできるハイキングコースになっています。

明智光秀と埴生城

 埴生城主である野々口西蔵坊(ののぐち さいぞうぼう)は、明智光秀の丹波攻めに際して、協力した人物とされています。

 一説には篠山の八上城主、波多野秀治との闘いに苦戦していた光秀の味方となり、和解をすすめたのだとか。

 しかしこの交渉の際、命を保障されていたはずの波多野秀治は、殺されてしまいます。波多野を裏切った代償として、八上城に人質として送られていた光秀の母や西蔵坊の息子など13人が無残にも殺されました。

 西蔵坊も波多野の一味に攻め入られ、なんとか逃げ延びたものの、埴生城は落城。合戦後、埴生城の西に位置する八田川は三日三晩赤い血で染まったと伝えられています。



ハイキングコースからみる城の痕跡

 現在埴生城は、2年間の整備の結果、きつい登り坂がなく、子どもやお年寄りでも簡単に登ることができます。また、距離を示す立て看板や、テープの張られた道のりが、初めての方を迷わず頂上まで誘導してくれます。

 道のりには屋敷跡や城門跡をなんとなく見てとることができます。城郭があったとされる頂上には石垣が残り、当時の面影がはっきりと感じられます。



今後は・・・

取材をしたこの日は、より登りやすくするため、階段づくりに励んでおられました。今後、子どもの遊び場としても活用していく予定です。

 ぜひ天気の良い日には、埴生城ハイキングに出かけてみてはいかがでしょうか。気持ちの良い景色が皆さまをお待ちしております。