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株式投資家の暮らしと夢

信長の野望・創造・PK・プレイレポート・最上家・1(最上義守の夢)

2017.03.27 00:00


「・・・殿」

わしは夢を見ていた。


天文3年の正月の夢じゃ。

あの頃、われら最上は伊達家の傘下にあり、わしは年始の挨拶に米沢城に行った。

わしはまだ齢10の時じゃ。

当主・稙宗の顔が、優しげなのだが奇妙に恐ろしゅうて、伴の頼長にしがみついてしまった自分の姿が見えた。


「・・殿」


おお、これは天文11年の夢じゃ。

伊達家でお家騒動が起こり、わが最上家が独立を決意した日のことじゃ。

家臣の定直や頼長に酒を嫌というほど飲まされたの


「殿」


「うむ。」

わしはまた評定中に寝てしまったようじゃったが、周りは静かなものだし、わしも動じぬ。

議案は、われらが最上領の北羽前の統一に向けて、ついに兵を動かすというものだ。

わかっておる。


「北の小野寺家を攻めれば、今ならば間違いなく安東舜季は救援にくるでしょう。安東家に戦を仕掛ける大義名分は、この時をおいて他にはありませぬ。」

筆頭家老の氏家定直が、静かに微笑みかけたので、わしは意を決した。

「頼長、小野寺を攻めよ」

「おう!」

山形城内に、出羽随一の猛将の声が響き渡った。


最上家は、北羽前、今の山形県にある。

1551年4月の当主は、最上義守。

当主の最上義守は、2歳にして伊達稙宗に擁立された傀儡城主で、最上家は伊達家の傘下にあったが、天文の乱【天文11年から17年までの6年間(1542年~1548年)、伊達氏当主・伊達稙宗と嫡男・晴宗父子間の内紛に伴って発生した一連の争乱。】で、伊達家から独立した。

伊達家は今の山形県南部(南羽前)から宮城県に渡って勢力を保持する大名で、本城を2つ保有する強国だ。

最上家は天文の乱では、前半は稙宗陣営につき、この乱は最終的には晴宗の勝利に終わったために、その後は伊達家とは関係が悪化した。

1551年4月の時点では、最上家は本城の山形城と支城の天童城を治めていた。

本城があるので大名格だが、全国的に見ればかなり弱い大名だ。

2017年2月21日 火曜日 15:30

家臣団は少人数ながらも、粒ぞろいだ。

氏家親子は文官、天童親子は武官だ。

その中でも、天童頼長の戦闘力は、当時東北では一二を争うほどの強さだ。

目下の敵は、2つの支城を持つ豪族・小野寺家と、その北の羽後を領国とする大名・安東家だ。


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