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むかーし、むかーしのお話②

2017.03.06 04:56

さて、とくに頭の中でまとまらずに書いてゆくので、着地点がどうなるかわかりませんが、とりあえず書いていきます。


前回の記事のゴスペルのくだりからの、演技論になってくるわけですが。


ひとつ疑問が湧いたのです。


役者は自分とは違う人物になることができる。それは、クリスチャンかもしれない、イスラム教の人かもしれないし、外国人にだってなることもあるわけで。


「クリスチャンを"演じて"ゴスペルを歌うならばそれは讃美になるのか?」



ここです。


ここなんですよ。



役者は観客に対して、生き生きとそのキャラクターを表現し生きなくてはならない。


観客には本物に見える、嘘をつかなくてはならないわけですね。


ステージに立つなら、

演じるのなら、

観客にとって、

パフォーマーのステータスなんぞ関係ないんじゃないかと。


あ、観客ありきでの話ね。


で、私が今のところ考えた結果が、


「自分自信が"そうであることを"認めているかいないか」


なのではないかと。


今回の例で言えば、クリスチャンであるか、ないかってことね。


だから、実はそういうのって第三者がどうこう言う問題ではないのでは?


と思ったわけです。


ただ、人間は「自分に都合のいいこと」しか見ない生き物ですから、

第三者の助言があることで、修正していったり、また積み上げていったりすることができるのだと思います。


ですので、結論としては、


「私は新約聖書でキリスト教のことを勉強した人間で、その上でゴスペルを歌う。讃美しているかどうかは、神様というものが決めるのであって、私が歌うことを楽しみ、観客が楽しんでくれたら良い」


ということを自分で認めるしかないわけです。


ここに嘘偽りはないのです。



まあ、現状の結論ですし、

これが合っているかもわかりません。

もしかしたら、また意見だって変わるかもしれないしね。


そんなこんなで、長らくもやもやしていた話はおしまい。