良い本に出逢うとひとまず打ちのめされた後に出てくるナニモノか
一方的なご縁を感じている九鬼町のトンガ坂文庫さん(の通販)で、岬書店から出ている大阿久佳乃さんの『のどがかわいた』を買った。
三重県の鈴鹿市出身の作者、隣市出身の僕はこれまた一方的なご縁を勝手に感じて、前々々々から買おう買おうと思っていた「干物と本のセット」と一緒にこの本を買った。
九鬼町は昔からの港町(村?)という事で干物が名産。そんな九鬼町にある本屋という事で、干物と本のセット。こっちは再来週くらいに届く予定なんですが、なんとも楽しみ。
せっかくの干物だけどその話はいずれにして。
『のどがかわいた』は、大阿久さんの日記や高校時代に発行していた詩のフリーペーパー『詩ぃちゃん』をまとめた一冊。
僕はこれを読んで、言いようのない衝撃を受けている。今もなお受けている。
普段思う事、感情が振れた瞬間に起きる細波のような感傷、矯めつ眇めつ眺めてその正体を言葉に起こすにはあまりにも瞬間的で儚い存在のそれら。そういうものが言葉になっている。
僕はそれを今なおうまく捉えることが出来ない。自分のそれを自分のこれに置き換えることが出来ない。それでいつもいつまでも歯噛みしている。
自分の未熟さを心底痛感する。ああなんとも悔しい。
誰に見せるともないところで、僕は僕自身に向けてこういう風に言葉を紡ぎあげたい。
どうやって言葉を言葉の生りのままそこに留められているのだろう。
そういう一方的な悶絶を抱えながら、そして魅入られながら読み終えた。
明日は午後からBOOK PORT CAFEで在店する予定となっている。店主にこの本を持っていこうと思う。
そしてトンガ坂文庫さんから送ってもらった、九鬼町のかわら版も持っていこう。
そのどちらもが今僕らが作っている『舫』の何か参考になるかもしれないし、ならないかもしれない。そこは実際のところ二の次で、単純に「これ良くないすか?」と言って回りたいだけだ。