Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

神と神楽の森に生きる

2018.09.08 03:19

Facebook・長堀 優さん投稿記事

東大名誉教授の矢作直樹先生は、日本人は、「神性」を直接感じることができる民族と語ります。

矢作先生によれば、「神性」とは、「森羅万象のもとにある理そのもの」と「理を創造したもの」です。

 そして、「宗教」とは、「神性」を感じるためのしかけ、つまり組織や教義・戒律などであり、その一方で、理屈で説明できないものを信じることが「信仰」です。

 神典も戒律もなく、預言者もいないのに、神性を感じ、大いなる存在に感謝を捧げ、調和を大切にし、謙虚に暮らす、

 良くも悪くも、これが日本人が古来大切にしてきた「信仰」であり、生き方と言えるのでしょう。

 では、この日本独特の神道は、世界から見ればどう映るのでしょうか。

 この点について、たいへん興味深いお話に触れることができました。

 高千穂神社、後藤俊彦宮司のご著書「神と神楽の森に生きる」からの抜粋です。

 1989(平成元)年の秋、高千穂神社は2度目のヨーロッパ(ユーロパリア・ジャパン)での神楽公演を行いました。

 ユーロパリアというのは"古代ヨーロッパの収穫祭"という意味の合成語です。

 ECが、毎年加盟国の中から一国を選んで、その国の文化や歴史を紹介する欧州最大限の文化と芸術家の祭典です。

 平成元年は、ヨーロッパ共同体に加盟している域内の国々が一巡したため、域外の国としてヨーロッパで関心の高いわが国が選ばれました。

 平成元年とは、またなんというタイミングでしょうか。

 ユーロパリアは権威ある催しであり、この年も、名誉総裁は主催国ベルギーのボードワン国王夫妻で、日本側の名誉総裁は皇太子殿下でした。

 開会式は、ボードワン国王・王妃両殿下と皇太子殿下の御臨席のもとブリュッセルで開催されました。

 ベルギーのマルテンス首相が、世界で二つの重要な文明、文化を所有するECと日本とが、文化の面でも深い交流を行なうことの喜びを語りました。

 日本人として、なんとも誇らしい思いがします。

 日本側からは竹下登元首相が特使として答礼の言葉を述べたそうです。

 後藤宮司は、神楽の公演に先立ち、いつもと同じように、舞台と奉仕者と観客をおはらいしました。

 そして、公演終了後には神前に向かって、その国の平安と人々の幸福を祈って神道式の拝礼を行いました。

 この行為について、外国では一切の批判が出ることもなく、むしろはらいについては、

 「あれは私たちをピュアファイ(お清め)したんでしょう」

 と感動の言葉もかけられるほどでした。

 帰国後、現地で通訳を務めた女性が後藤宮司に感想を寄せてくれました。

 「神々の道は美しい言葉だと思います。

 日本の国でもきっと大切な役割を果たしてきたに違いないと思います。

 特に、神道は『自然』を意味するので、空気と同じく、自然を吸い込むような『自然の感覚』を与えてくれるものと思います。

 天地のあらゆるものは、国民に幸せと希望をもたらしてくれる神となりうると思います。

 人々は皆それぞれの神を信じていますが、神道では人々は自分の信仰をなくさないで、異なる宗教を信仰することができる寛容な心を持っているように思いました。」

 日本人よりも、神道について深く理解されているようで、えもいわれぬ感動を覚えます。

 宮司様は、このような体験を踏まえ、

 「日本文化の根源にある神道を、外国人の軍事占領下で作った憲法の一文で日本人自らが忌避している現状こそ異常に思えてならない」

 と語りますが、私もまったく同感です。

 高千穂神楽の第一回欧州公演は、1985年にフランスで行われた国際伝統芸術祭で行われています。

 フランス文化庁の招待により、世界14カ国から選ばれた団体が集まっていました。

 他の国が30人から70人以上のグループで構成されていたのに比べ、神楽は一人舞でした。

 しかし、主催者からは大歓迎を受けたばかりか、次のような言葉をかけられました。

 「ヨーロッパには宗教と演劇の一致したものがなく、西洋の演劇界は行き詰まりの状態にある、

 その意味で神楽のような神事芸能には強い関心を持っている」

 そして、公演後には、神楽日本の神楽が最も伝統的様式を残し伝えている、との評価を受けることになったのです。

 これを受け、後藤宮司は、

 「一人舞の『手力男(タヂカラヲ)』や『入鬼神(イレキジン)』の舞が、他国のそれを圧倒するような迫力と重みを持っているのは、

 高千穂神楽が守り伝えてきた数百年の伝統の重みと信仰の深さではないか、と思った。

 そして信仰と伝統を失った演劇と同様に、

 民俗国家もまた固有の伝統文化を失っては力強い発展を遂げることはできないのだと思われた。」

 私自身、留学の際、日本の古典芸能である雅楽について何も語ることができず、恥ずかしい思いをしたことがあります。

 自らの国の文化を大切にしない者は、他国の文化にも敬意を払うことができない、と外国では捉えられることがあるのです。

 戦後、世界最古の皇室を抱くことさえ教えられることのなくなった我が国は、大袈裟ではなく、民族存亡の危機にあるといえます。

 日本人としての矜持を思い起こさせてくれる大切な一冊でした。

 また長くなりました。ここまでお読みいただきありがとうございました。

 高千穂神社、必ず参拝させていただきます。


https://blog.goo.ne.jp/kuusounomori/e/fc8d4066b746993a6407dbe79c232175  【高千穂の神髄を語る/「山青き神のくに」後藤俊彦(1999:新潮社)[本に会う旅<51>]】より

高千穂神社・後藤俊彦宮司の著作群である。筆者ごときが後藤宮司のことを論評することは畏れ多いので、著作の「帯」に記された文を転載する。

『「山青き神のくに」(角川春樹事務所/1999)ー鎮守の森に息づく思想が、二十一世紀の人と文明を蘇らせる。自然の恵みと、悠久の歴史にはぐくまれてきた神道の叡知を現代に生かし、「心の豊かさ」を取り戻すために必要な知恵を、平易な言葉で綴った神道人のメッセージ』

『「神棲む森の思想」(展転社/2005)―山青き神の国・高千穂。文明のふるさとは〈鎮守の森〉にある、とする独自の神道的世界観や、重要無形民俗文化財「高千穂神楽」の解説を通して、神話の魅力や人間が自然と共生する思想の大切さをやわらかな筆致で展開』

『「神と神楽の森に生きる」(春秋社/2009)―故郷の〈神話〉を語ろう。山々に囲まれた、天孫降臨の原郷、日向高千穂。この地に生まれた神職ならではの人間味あふれる神々の物語』

     ☆

高千穂夜神楽の奉納される民家の御神屋で、後藤宮司が祝詞を奏上すると、そこに「神」が降りてきた、と皆が感受する。神の声を聴き、神意を伝える古代のシャーマンとはまさにこのような人である、と誰もが思い、静かに頭を垂れる。神聖であり、謹厳であり、かつ静粛な瞬間。神のいます里・高千穂ならではの風景である。

「神棲む森の思想」の「まえがき」によると、後藤俊彦少年は、かなりやんちゃな文学少年だったらしい。悪たれとか無頼などという田舎のわんぱく小僧とは少々風合いを異にしていたのだろう。青年期に一時政治の世界を覗くが、一転して神道学の道に進み、帰郷後は高千穂神社に奉職する。学識と教養と神道に関する敬虔の念にもとづく神事儀礼は、神と語り、神を招くにふさわしい所作と風韻をもって執行されるのである。

私は、後藤宮司の講演を聴き、社務所でお話を伺う機会が何度かあったが、これは無類に面白い。高千穂の歴史や神楽の由緒、仮面神の性格や神楽の内容などをわかりやすく説き、時に軽妙な挿話や鋭い社会批評を含みながら、神の里・高千穂の神秘世界へと聞くものをいざなうのである。掲示の著作には、その講演記録をまとめたもの、高千穂を訪れた論客との対談などを軸に、味わい深い筆致の随想と現代文明論、高千穂神楽三十三番の解説などが載る。高千穂探訪必携の書というべき著作群である。

     ☆

ところで、冒頭に掲示した三冊の本の写真の背後に「仮面」が映り込んでいるが、このことについて私事を交えて記しておこう。これらの仮面は、宮崎県に分布する神楽面の古作(「九州民俗仮面美術館」の展示品)である。私が仮面の蒐集と神楽探訪の旅を始めて、40年以上の年月が経過した。これらの仮面は、明治の廃仏毀釈などの宗教変革期、戦後の混乱期などに神社や神楽を伝える一座などから流出したものである。それを丹念に収集した人たちがいた。民俗学や民芸運動などをベースとしたコレクターたちの活動であった。そのコレクターたちの中に宮崎県西都市で「神道美術館」という美術館を開設した人がおられた。その人が当時の地元選出の国会議員で、後藤青年は、その人の秘書として活動したことがあった。その折に、仮面を拝見する機会があったという。その議員先生は惜しくも急逝され、仮面たちは散逸の危機に直面したが、地元のコレクター仲間が奔走し、一か所にまとめて収蔵された(鹿児島県霧島市「松下美術館」)。そのコレクションの傍流というべき一つのグループが私の手元へきた。それが「由布院空想の森美術館」に収蔵・展示された「九州の民俗仮面」の一群である。その後、同館の閉館など、数時の経緯を経て、その中の90点は、現在「九州国立博物館」に収蔵され、後世に引き継ぐべき文化遺産として取り扱われている。漂泊を続けた仮面たちの一世紀にわたる旅である。その旅の過程で、後藤宮司もこれらの仮面に出会っていたことを知り、今こうしてその著作群と一緒にそのエピソードを掲示される機会を得たことを、私はありがたい縁だと感謝しているのである。