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まつり・天地人が一つになり、人々が一つになる

2018.09.08 03:29

【祭・祀り・奉り・間釣り】

敗戦を境に アメリカナイズされ続けた私たちは日本人としての誇り、日本人としてのメンタリティ、日本人としての文化と歴史を見失っているのではないでしょうか?

歴史の浅いアメリカでは骨董品に人気が集まると聞きます。

フロンティア精神でネイティブアメリカンを侵略し続けたピユーリタン達は祖国を追われた民でした。(西部開拓史)  

しかし、新天地アメリカも「人種の坩堝」といわれるように真実の祖国とは成らず・・・

植民地をどれほど得ても満たされない彼ら、自分の祖国・ルーツを失った彼らは 満たされることのない所属欲求を 生理的欲求(物欲)で満たすが如く更なる富と権力を求め続けます。

ディアスポラの民ユダヤ人もそうですね。

ユダヤの祖とされるセム族はメソポタミヤ文明の中で生まれました。

しかし木材を伐採し続けたセム族は 飢饉に遭遇することになり 族長の一人イサクは息子ヨセフの援助を得て エジプトに身を寄せることになります。

しかし寄留の国エジプトで その子孫が繁栄し続けたイサクの民は エジプト人から恐れられ、奴隷の憂き目にあうことになります。

「出エジプト」こそ「奴隷から解放されたユダヤ人」の救いの原点であり、モーセ5書こそユダヤ教の聖典です。

しかし「出エジプト」から導かれた「約束の地カナン」は まもなく ローマに征服されてしまいました。

ユダヤ教の会堂で礼拝を捧げ学びをしていた クリスチャンもユダヤ教信者も ローマから迫害を受けることになりました。

イエスは反ローマ運動の指導者として処刑されました。

イエスの死後 クリスチャンは もちろんローマの敵として 抹殺され続けました。

そのローマがなぜキリスト教を国教会と定めたのでしょうか?

「戒律を重んじるユダヤ教」や「多神教」よりも、「神の愛を説くキリスト教」は楽に信者になる=仲間を作ることができる教えです。(自力本願のユダヤ教:他力本願のキリスト教)仲間が大勢になれば国の統治に利用され、それによってさらにキリスト教会の地位が増し、信者になりたがる人も増える構図が見えます。

迫害をし続けたにもかかわらず クリスチャンはより大勢となったため、テオドシウス帝が統治に利用するため国教と指定するに至ったと考えられます。

ユダヤ教はキリスト教に キリスト教はローマに 乗っ取られたと言えば言い過ぎでしょうか?

ユダヤ人(ユダヤ教信者たち)は 約束の地カナンさえ失ってしまったのです。

祖国を失うとは 自分のルーツを失うことです。

それは満たされることのない飢えと渇きを産むことになるのではないでしょうか?

一方メソポタミヤ文明の崩壊の憂き目に晒された ヤコブ一族以外のセム族は どのように生き残ったのでしょう?

シルクロードが示す如く 新天地を求めて 民は中央アジアへと移住したとは考えられないのでしょうか?

実際日本にはユダヤ同祖論が 有力な論として存在しています。

もしかしたら 私たち日本人のメンタリティの中には自分のルーツを失った民の痛みがあるのかもしれません。

では自分のルーツを取り戻すにはどうすればよいのでしょう?

夏祭りのシーズンです。

祭のお囃子を聞くと血が騒ぐと よく言われます。

祭が深い意識レベルに関わることをよく示しています。

祭・祀り・奉り・間釣りとは 言霊的には「天とうつし世を繋ぐ「ま」を釣り合わせ すべてと調和バランスを回復する宴」と言えると思います。

その上、祭りに集う人々の心は一つになります。

天地人が一つになり、人々が一つになる=自分のルーツを取り戻す・・・

祭り(祭・祀り・奉り・間釣り)にはそんな力があるのではないでしょうか?