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こどもの にほんご

日本語はむずかしい?

2017.04.02 22:00

「日本語は難しい」「日本語は特殊だから」割とよく耳にする言葉です。 

イタリアの古典系と理系の高校では、卒業までの5年間ラテン語が必修科目ですが、ラテン語は言わばイタリア語の親みたいな言語なのに、この科目に四苦八苦するイタリア人は少なくありません。それでも、ゼロから始めて5年間勉強すれば、ラテン語の長文をイタリア語訳できるので、これは、日本人が高校で、古文の長文が何とか読み下せるようになることと近いのかなと思います。

 言語はどれも、ある意味難しいものです。

習得する時に、第一言語と近い外国語の方が理解しやすく、おぼえやすいのは自然なこと。

イタリア語話者がスペイン語と日本語を学ぶなら、スペイン語のほうが簡単なのは、スペイン語とイタリア語が大変近く、共通する部分が多い言語だからであって、それだけでスペイン語は簡単で日本語はむずかしい言語だとは言い切れないのではないでしょうか。

日本語だけが特殊な言語で、特別難しい言葉ではないと思っています。

 日本語は、難しいと言うよりややこしい言語だと、日本語を高度に学習した外国人はよく言います。文法や活用に不規則で予測通りにいかないものが多かったり、情緒的で曖昧な言い回しや文脈に頼った表現、擬声語擬態語が多種多様で、説明だけではわかりにくい等々、色々と理由や原因はあります。

 でも、これらは全部、成人してから日本語を学んだ人の感じ方です。

 日本で生まれ育った子どもは、文法を学んでから日本語を喋るのではないですし、語彙がまだ少ない子どもでも助詞の使い方を間違えることはまずありません。

 幼児は、助詞という言葉さえ知らないのに、「おかし ちょうだい」から「お菓子がほしい」、「こーえん いく」から「公園に行く」と言うようになります。「お菓子にほしい」「公園が行く」などの間違いは、ごく初期にはあっても自然にきちんと直るはずです。

 なぜそうなるかは文法を学習しないと説明できないけれど、文法を知らなくても間違えることはない。母語とは、そういうものだと思います。

外国語を学んだことがある人なら、これがどれだけすごいことか実感する機会は多いのではないでしょうか。

 何年も外国語を学び、何年も外国に住んでも、第2、第3外国語は、知識が増え運用能力の精度は上がっても、身体感覚として分からない部分がいつまでもあります。

 言語は何歳からでも勉強できますが、皮膚感覚としてわかるようになるのは、やはり母語として身につけた者の強みかもしれません。

海外で育った子どもが、成人してから外国語として日本語を学ぶことは、決して手遅れでも悪いことでもありませんが、幼児期にできるだけ日本語に親しむように親が心を砕けば、大人になってから学ぶよりは楽に、感覚的な要素として乗り越えられる部分が多いという考え方もできるでしょう。

国語教科書では、小学校の中学年から新出漢字が増え、同音異義語が多くなり、抽象的概念を日本語で学ぶようになりますので、いよいよ「難しい」局面になります。

それまでにできるだけ自然な日本語を身につけさせ、助詞の使い方や特殊音節の表記を身体的に習得させておき、「日本語なんて漢字が山ほどあって終わりがない」「一つの漢字にいろいろな読み方があるなんて、わけ分からない」「敬語なんてできなくても別に困らない」等々の子どもらしい文句を言い出すようになった時に、日本語だけがことさら特殊で困難な言語ではない、どんな言語も真面目に学ぶには地道な努力が必要なのだと、日本語学習をむやみに嫌わないようにぜひ支えてあげて下さい。