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柳花笠

2018.09.08 13:45

https://blog.goo.ne.jp/utyucosmos/e/5b9e74099d072767a652e94e266458a3  【ヤナギハナガサ(柳花笠)】より

ヤナギハナガサ (柳花笠 クマツヅラ科 クマツヅラ属 学名Verbena bonariensis 多年草 原産地南米ブラジル・アルゼンチン) 園芸種であるが逸出して野生化し、畑の縁や道傍で見られる。葉は対生し葉身は細長へら状(長い披針形)で葉柄がなく基部が茎を抱く。茎は上部で案山子のように大きく3分岐し、その先に半球状の花序をつける。花は淡紫色で長い花筒が萼筒から突き出て、花冠が5裂する。蕊は花冠の奥にあり見え難い。別名3尺バーベナ。バーベナはクマツヅラ属の学名で園芸用語として使用されている。美女桜もバーベナのひとつである。同属にアレチハナガサ(葉の基部が細くなっていて茎を抱かない)、ダキバアレチハナガサ(葉の基部が茎を抱き、花筒が短く萼筒からあまり突き出ない)がある。

属名Verbena クマツズラ属の一種に対する古ラテン名とある。私は同属のクマツヅラ(学名Verbena officinalis)を指すのではないかと思う。クマツヅラは西欧で古来より神聖で神秘的な力を持つ薬草として、胃腸・肝臓・婦人病などに効く万能薬として用いられてきた。日本でも古くから馬鞭草という生薬として使用されてきた。officinalis 薬草を意味し、サンシュユの学名(Cornus officinalis )や多くのハーブの種小名になっている。

種小名bonariensis ブエノスアイレスを指す(wikipedia)とあるが、語源不詳。Buenos Aires はアルゼンチンの首都で、語源はスペイン語でbuenos(良い)aires風で順風の意味。 フランス語で良い風はbonne eolien/vent なのでフランス語風の呼び名だろうか)

Verbenaの語源

同属のクマツヅラ (学名Verbena officinalis) は古来、不思議な力を持つ薬草、神聖な薬草としての評価があり、胃腸、肝臓、婦人病他様々な薬効があるとして、長く万能薬として用いられてきた。英名はEuropean Verbena。日本でも古くから生薬の原料にされ用いられてきた。

Verbena has longstanding use in herbalism and folk medicine, usually as a tisane. Among other effects, it may act as a galactagogue (promotes lactation) and possibly sex steroid analogue. The plants are also sometimes used as abortifacient.

ヴァ―ベナは長く本草学や民間医薬において通常煎じ薬(ハーブ茶)として使用されてきた。その他の効能としては、催乳薬(授乳促進)や性ホルモン分泌器官に作用する。この植物はまたしばしば堕胎薬としても使用される。

Verbena has long been associated with divine and other supernatural forces. It was called "tears of Isis" in ancient Egypt, and later on "Juno's tears". In ancient Greece it was dedicated to Eos . In the early Christian era, folk legend stated that V. officinalis was used to staunch Jesus' wounds after his removal from the cross. It was consequently called "holy herb" or (e.g. in Wales) "Devil's bane".

ヴァーベナは神聖で不可思議な力を持つものとして長い間支持されてきた。古代エジプトでは“イシス<豊穣の女神>の涙”と呼ばれ、後、ローマ神話では“ユノの涙”呼ばれた。古代ギリシャでは暁の女神エオスに奉げられた。初期キリスト教時代に、十字架からイエスを解放した後、彼の傷にV. Officinalis(クマツヅラ)を使って血止めしたという民族伝説がある。そのため、“聖者イエスのハーブ(薬草)”或いは(例えばウェールズでは)“悪霊払い”と呼ばれた。


https://blog.goo.ne.jp/tetsuo_shiga/e/9e7bd8b6e164b480e6cf4eb5948562bf  【三尺バーベナ の 花】より

「バーベナ」は“よい薬草”を意味する“”ヘルバ・ボーナ(heruba bona)“から転じたといわれており、バーベナの中で最も早くヨーロッパに伝来したのが、この「三尺バーベナ」だった。

「三尺バーベナ」は、南アメリカのブラジルからアルゼンチン、チリーが原産地で、ヨーロッパ社会には1726年に入ってきた。

ブエノスアイレスからイギリスに送られた標本の種子からジェームス・シェラード(James Sherard 1666-1738)がエルタムの庭で育てたという。

このシェラードは、薬剤師として財を形成し、1720年にロンドン郊外のエルタムに屋敷を買って引退した。ここから植物栽培に目覚め、世界の珍しいものを集め素晴らしい庭を作った。その植物コレクションをカタログとしまとめた「シェラードの庭」は、1732年に出版され、この時代の英国を代表する植物庭園として後世の記録に残った。

草原の貴族

この「三尺バーベナ」のスリムで筋肉質のボディが、南米の草原で、風にゆれている孤高な姿は、“草原の貴族”というイメージが似合う。

ケニアからタンザニアにかけての先住民である“マサイ族”。

遊牧生活で磨いた驚異的な視力、スリムでノッポで筋肉質な身体など身体能力が高く、彼らも“草原の貴族”といわれている。

どこかで見た既視感は、“草原の貴族”がつないでいたようだ。

マサイ族は人口が20~30万人と減ってきているようだが

三尺バーベナは、今では、世界に広がり、野生化するほど増殖しているようだ。

確かに、こぼれダネでも増えていくので、いつの間にか意外なところで芽を出す。      

三尺バーベナ

・クマツヅラ科 バーベナ属の耐寒性がある多年草。(寒冷地では一年草として扱う)

・学名は、Verbena bonariensis.L。英名は Purpletop verbena、tall verbena、Brazilian verbena。別名は、バーベナ・ボナリエンシス、立バーベナ、ヤナギハナガサ(柳花笠)。

・原産地は、南アメリカのコロンビア、ブラジル、アルゼンチン、チリー。

・草丈 60cm~180cmと細長くすらっとしている。 茎の節間が長く横断面は四角い。1尺は、30.3cmなので三尺バーベナの草丈の基準は90.9㎝か?

・春先に茎の先を摘心し枝を分岐させるようにする。

・花期は、6~10月で赤紫色の花が頭上に咲く。

・風通しの良い乾燥したところが適している。

・こぼれダネでも増え野生化しやすい丈夫な植物。

命名者:Rendle, Alfred Barton (1865-1938) 1904

英国の植物学者でリンネ協会の理事長などを務める。       

身体尺和名ではヤナギハナガサ(柳花笠)英名ではパープルトップバーベナ。

名は体を表すというが、実に良く言い当てている。

もっと優れているのは、“三尺バーベナ”だろう。スラッとした草丈は、長さを測るメジャーとなりそうだ。

人間の身体で測れる尺度を“身体尺”というが、大人が親指と人差し指を広げた長さを「尺」といったみたいで、この長さは、だいたい18cmであった。

「尺」という文字自体が、親指と人差し指を広げた形を現しているというから面白い。

ついでに、東海道などの主要幹線には、一里塚などが立っており、この距離は、人間が一時間歩いた距離であり、「1里=約4km」であった。

1891年(明治24)に度量衡法が制定され、1尺は1メートルの33分の10(30.3㎝)となったので、三尺バーベナの草丈は、90㎝が基準として適当であり、度量衡法以降に渡来したようだ。


http://blog.ota.moo.jp/?eid=218  【荒れ地に咲く花笠、アレチハナガサ】より

今回ご紹介するアレチハナガサも帰化植物です。

以前はほとんど見かけなかったのですが、ここ数年の間にあちこちで見かけるようになりました。

よほど繁殖力が旺盛なのか、群生しているところもあります。

このアレチハナガサの仲間で、非常によく似たヤナギハナガサという植物があります。

こちらは園芸植物として、別名の三尺バーベナの名で流通しています。

どちらも南アメリカが原産で、国立環境研究所の侵入生物データベースに記載されているので、ヤナギハナガサも野生化しているのでしょうね。

これは散歩の途中、田んぼの水路脇で見かけるアレチハナガサです。

あちこちの道ばたで見かけます。

大人の背丈ほどまで生長しています。

薄紫色の小さなかわいい花を咲かせますが、なにぶん背が高い割には花が小さいのであまり目立ちません。

アレチハナガサ、ヤナギハナガサはともに帰化植物なので、本国での薬草としての利用はありません。

ただ、ともにクマツヅラ科クマツヅラ属の植物で、クマツヅラの近縁植物です。

クマツヅラは馬鞭草(ばべんそう)という生薬名を持つ薬草です。

民間療法では、腫れ物や種々の皮膚病に、すりつぶして汁を直接塗布したり、煎じた液で患部を洗ったりして用います。

欧米でも、クマツヅラ科の植物は薬用植物としていろいろ利用されているようです。


https://www.medicalherb.or.jp/archives/4890  【【自然療法シリーズ】日本の本草学(ハーブ)の先達 貝原益軒(1630−1714)】より

順天堂大学医学部特任教授・名誉教授 酒井シヅ

図1 貝原益軒 60歳頃の寿像

幕末まで、日本の医学は中国医学の流れを引く伝統医学が主流であった。その中で、いわゆるハーブは「本草」と呼ばれる学問であった。本草とは、薬用に値する植物、鉱物、動物の名前、特徴、薬効を述べた学問である。

日本に登場する、最も古い本草書は、701年、大宝令が定められ、医学教育が制度化されたとき教科書にあげられた中国の古典『新修本草』である。その後、中国からたくさんの本草書が入ってきたが、日本に大きな影響を与えたのは、江戸時代の初めに伝わった李時珍の『本草綱目』であった。本書は中国の本草の歴史で古来の書き方を根本的に変えた画期的な本草書であるが、これは日本でも、本草学の発展に大きな影響を与えた書編である。

しかし、日本人が著した、日本の本草学のはじまりは18世紀初め、江戸中期、宝暦5(1708)年に、貝原益軒(図1)が著した『大和本草』16巻(図2)であった。

『大和本草』は、宝永6年1709年、益軒79歳のときに刊行したものである。益軒が生涯をかけて本草、名物、物産について調べた結果の総まとめである。

本書には本草の総数、1,362種を掲載している。その中の772種が『本草綱目』からの引用で、『本草綱目』以外の数々の本草書から取ったものが358種、日本産で、この本で初めて取り上げられた本草が358種であった。

それ以前に出された本草書に比べて、本書の特色は、

序文で本草に関する総論を述べていること

『本草綱目』の分類に従わない、独自の分類をとっていること

漢名のないものに、強いて漢名を作らず、和名をそのままつけたこと(従前の本は漢名を作っていたために、混乱が生じていた)

『本草綱目』以外のさまざまな書物を参考にしたこと

読みやすくするために仮名まじり文で書いていること

虚偽の文章がないことである。

元禄時代まで、学問書は漢文で書くことが当たり前であった。仮名交じり文で書くことは、大変勇気のいることであっただろう。しかし、益軒が、あえて、仮名交じり文にしたのは、より多くの読者に本草の学問を知らせたかったに違いない。それもあって、『大和本草』は独創性に富んだ本である。

ところで、『大和本草』には、鉱物、植物、動物以外にもさまざまな記事がある。例えば「饅頭」の記事もある。

饅頭について

「南都塩瀬が先祖、中華にてその法をならいて日本に来たり作る故に、南都を始めとす。いまは京都江戸に名産あり、多くを食えば、気を塞いで病癖を長じ、心腹痛を為し、虫を生じ、歯を損ず、小児は、これを食えば、よく疳疾を生ず。脾胃を痛め、吐瀉撹乱となる。病人食わすべからず。皮を去りて後、蒸熟し、熱食すべし。消化しやすし。蒸して後、皮を去れば味あしし、皮を去らずして冷食すれば、脾胃を傷る。また米饅頭あり。皮は糯米を用いる。味は可なり。停塞す。葛饅頭は皮を葛にて作る。焼饅頭は久しく耐えうる。おおよそ饅頭は軽小にして口に適う故に、今世に賓筵して欠かすべからず也」

と、塩瀬の先祖が中国から饅頭の技術を伝えたこと、子どもが食べ過ぎると、疳疾を起こし、脾胃をいためるなど、病と饅頭の関係もちゃんと書いている。脾胃とは漢方でいう胃腸系の重要な器官のことである。

『大和本草』で、初めて本草書に取り上げられた、漢名のない、日本産の草に「ほととぎす」(図3)がある。

「葉はサギソウの葉に似て短小なり、すじ多し.また笹の葉ににたり。つぼみは筆の如し。花は秋開く、六出あり。中より一蕊出て、また花の形をなせり。毎蕊ごとに小紫点多し.杜鵑の羽の文に似たり、絞り染めの如し、茎の高さは一二尺にすぎず。漢名知らず」

と、強いて漢名をつけずに、「ホトトギス」の呼び名で、この植物の生態を記している。

日本本草の書『大和本草』を書いた貝原益軒は、本草以外にもたくさんの書物を出版している。最も有名なのが『養生訓』である。712年前に出されたものが、21世紀の今も読まれている。最もロングセラーの養生書である。

次回は旅を愛し、日本各地を旅した貝原益軒、その人と著作について語る予定である。

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順天堂大学医学部特任教授・名誉教授

酒井シヅ さかいしづ 

元日本医史学会常任理事、同理事長。日本における医学・医療史の第一人者として、谷口財団医史学部門国際シンポジウム(1976−1999)、國際アジア伝統医学会(ICTAM/1994)の開催、アジア医史学会の設立、さらにテレビドラマ「JIN-仁-」、「八重の桜」では医事監修などを務める。著書『日本の医療史』ほか多数。