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花と暮らす・富良野/花七曜

今日は、国際女性デー

2017.03.08 13:40

今日は国際女性デー

この間から、 エマ・ワトソンがセミヌードになって物議をかもしている。  

エマ・ワトソンは「ハリーポッター」でハーマイオニーを演じた女優で、 

フェミニズム運動をしているので有名だけれど、 彼女がセミヌードになったことで、

フェミニズムの人たちも、そうでない人たちも 

フェミニズムを唱えながら 体を売り物にするのは何事だ、ということらしい。 

  

フェミニズムをきちんとわかっていなかった、 若いころの私ならば、

きっとエマ・ワトソンが体を売り物にしていると、非難しただろうと思う。 


自分が好きなものに正直ではなく、 スカートは女を象徴しているような気がして、

Gパンばかりをはいていた若かりし頃の私。 

男に見せるためではなく、自分のために、化粧して、

おしゃれしてもいいんだということを知らずに、 女ということに背を向けていた。 

それがフェミニズムだということを信じて。 


ちょっと、悲しかったね、ワタシ。




西加奈子の「きりこについて」を思い出した。  

「きりこはブスである」で始まるこの小説で、 

「自分のしたいことをしてあげられるんは自分しかおらん」 

「うちは、容れ物も、中身も込みで、うち、なんやな。」 

「うちの人生すべてで、うち、なんやな!」 

と、きりこは言う。 


 自分が着たい服を着て、 

自分が行きたいところに行って、 

自分がしたいことをして、シゴトをして、 

どんな選択をしても、それが自分で選んだもので、 

女のくせにと言われることなく、 

厚化粧と言われることもなく、 

それぞれの多様性を受け入れて、差別することなく、 

そして、女性が男性と同じだけ稼げる社会。  


ハフィントンポストの 

「エマ・ワトソンの下胸は、ある現実を私たちに突き付けた」というコラムに、  

「すでに2017年であるにも関わらず、私たちの社会は、女性がセクシーな方法で自己表現しながら、同時に平等な権利を求めることを受け入れていない。 まるで、「自分の美しさを表現することと、フェミニストとして活動することは相容れない」と告げられているようだ。」 と、

「ジェンダー平等の闘いとは、女性が「選択」を手にするための闘いでもある。仕事をするか家庭にいるかの選択。子供を生むか中絶するかの選択。自分の好きな格好をするという選択。そして体を使ってどんな表現をするかの選択。」  

とあった。



すべての女性が、もう少し、 女性はこうあるべきという通説から離れて

自由に生きられたらいいのにね。 


 ただ、それを推し進めるのも女性だけれど、 

それの足を引っ張るのも女性が多いということが残念。 




 エマ・ワトソンはとても美しかった。 

フェミニズムは、自分で自由に選べるということ。 

自分の体をどう見せるかも、彼女が決めることなので、 

彼女のフェミニズムの活動を妨げるものにはならないと思う。