自分の義務について
先月からちょいちょい上京しています。
先週は久しぶりに、弟妹家族と、両親を囲む会を開きました。
都庁の隣のホテルに集まって、総勢10人でいっぱい飲んで食べて・・・楽しい時間でした。
私の父は、この2月、30年間経営していた会社を手放しました。
子どもが3人いるのに、誰も会社を継がず、申し訳ない思いですが、幸いなことにあとを引き受けてくれる会社が現われて、廃業せずに済みました。
零細企業とはいえ、従業員さんもいるので、畳まずに済んだことは本当に良かったです。
父は、人生の義務の1つを、ここで降ろしたのだと思います。
父の働きのお蔭で、母も子ども達も不自由なく暮らしてこれたことを感謝しています。
これからは自由に穏やかに生きてくれますように。
今日捲っていた本に、こういう一節がありました。
「(略)忘れてはならない一つのことは、われわれは常に他の民族の義務を彼ら自身の目を通して眺め、決して彼らの習慣を自分たちの標準で判定しないよう、努めるべきだということです。」
父の義務の話から、話は、ぐわん!と飛ぶのですが(-人-;)
今日たまたま、今から4年前の「蓮池薫」氏のラジオ音声をネットで聴きました。当時、北朝鮮から帰国して10年という節目で、確かこの頃この本を出版された筈。私も発売当時読んで、すごく感動した記憶があります。
で、ラジオのインタビューの中で、蓮池氏は、24年間の拉致生活の中で、自殺をせず生き延びたのは、結婚して子どもが生まれ、自分には守るべきものが出来たから、という意味のことを仰っていました。
また、夫婦だけでの帰国後、北朝鮮に戻ることをせず、子どもを待ち続けることにした時は、辛い決心だった。
1人で考え決断し、奥さんには辛い思いをさせたことを苦しく思った、とも。
そして、私が感動したのは、北朝鮮への思いについて。
彼が、朝鮮語の翻訳をした時、お母さんからは、あなたを拉致したあんな国の言葉で仕事するのかと問われ、
「悪いのは指導部、上の人間であって、北朝鮮には、ましてやあの国の言葉には罪はない」と答えたそうです。
・・・すごいなあ。
蓮池さんは北朝鮮にいた時も、帰国してからも、ご自分の義務を粛々と努めているんだと思います。
自分の大切なものを守るために、自分が生きていくために、その時その時の最善の判断をしてきたのだと思います。
生きている時代や環境によって、自分の義務は変わっていく。そしてその義務はこちらから見たら是でもあちらから見たら非、ということだってありうる(そもそも争い事はこういった見方の違いから起こるのだと思う)。
だから、他者からどう見られようと、瞬間毎に、自分が是と思う義務を果たすことが本当の正解なのだと思います。
そして、その瞬間が紡がれて、結果、善い人生だった、と言いたいです。
新宿西口の、ビルの谷間に咲いてました。珍しい種類の、桜?のようでした。
この1本だけがぽつんとあり、精一杯咲いていました。
この樹の義務を果たしているのだと感じました。