蛙の想い KIN186
このところ、家族での行事毎も有り 両親と私達姉妹とで久しぶりに会う機会がありました。
もう大人になった家族での「あのころ」話にも花が咲きます。大人として一緒に笑える なんとも豊かで幸せな時間。そんな中で、母が人の顔を覚えない・・・と言う話に。それは昔から・・・本人はいつも首をかしげながら「なんでやろう?」そうつぶやきます
そこに、「周りから見て目立つ人は 人の顔と名前覚えなくても覚えてもらえるからと違うかなぁ」とわたし。周りにそういう人がいたよ。・・・すると妹も・・・「そうそう」
で、ふたりで・・・「私ら、覚えとかな忘れられるもん」(笑)
「存在感」・・・それも持って生まれたものなのかも・・。四六時中働いているような母。気位も高く、いつも綺麗に整った人でした。今も・・・・。
「存在感」に繫がる行動は、母のKINにも顕われていますし、皆それぞれが素晴らしいと うたいつつも、KINもそう語っています。
KIN186 白い世界の橋渡し/青い夜/音4
周りが見れていない様子 それでもいいとそこに安住している様子を「井の中の蛙」と言います。「自ら」と「今の居場所」にこだわることへの教訓の言葉。「存在感」のある母ですが、少し周りの外堀を埋める感じのある人でした。世間知らずでかつ虚勢を張った様子を揶揄し叱咤する様な言葉ですが、実はこの言葉には、その先があるのだそう・。
「井の中の蛙、大海を知らず」周りが見れず見ぬ蛙。「されど、空の深さを知る」。
思考の枠を拡げることはとても大切。されど、自らの想いを馳せイメージを深掘りにつなげることも、枠を拡げること同様に素晴らしいこと・・・・。このことわざの深みは、母のかしげた首が 一瞬で忘れ去られもとに戻ることも、「よし」としているのかも。自らをきちんととらえること・・・が「存在感」を生むのかもしれません。
繋がり自らの幅を広げる、今日「白い世界の橋渡し」のエネルギー。「青い夜」の夢見るエネルギーに後押しされ、イメージはどんどん拡がります。どう拡げるのか・・・・は、皆それぞれ。自分の行動パターンのままにしか拡がらないのかもしれません。本来、どう拡げるべきかに意識を移すと それはちょっと「エゴ」の香りがしますが、どう拡げたいのか…を掘り下げるのは「意図の脈動」を生みます。皆さんそれぞれのKINの読み解きは、そんな自らをしっかりと見つめ「意図の脈動」を生む、スパイス。きっとね。