「どこでもドア」と「私たちのドア」の違い
2021.09.09 06:17
ドアを開けるとその先に目的地がある道具といえば、ドラえもんの「どこでもドア」です。
ドラえもんの道具はいつも夢があり、私たちの観念を破壊してくれるのが好きです。
ところで、どこでもドアの先にあるのは私たちが「行きたい」思っている場所です。
例えば朝、「沖縄の首里城にいくぞ」と本気で思って自宅のドアを開けたならば、多くの社会人はきっと、電車や飛行機などを駆使して5-6時間後にはそこたどり着くことができます。
「アラスカに行きたいな」
「どこでもドア」なら一瞬ですが、私たちの場合、本気ならば、いくつかのハードルを超えれば三日以内には辿り着けます。
難しくしているのはいつも、その他の付加条件で。
休みの申請や、引継ぎや、タイミング、あれがああで、これがああで、など。
「アルバイトをしてお金を貯めてから...」となったとしても、「ドア」を開けてから数ヶ月後には、アラスカにいます。
経費や必要な体力などを度外視したならば、「どこでもドア」と「私たちのドア」の違いはただ「時間だけ」です。
そして二つに共通するのは
「どこへ行きたい」と思ってドアを開けているか
ですね。
どこでもドアは、自分の思いにより作られる。
手段や条件を整えるより、思いを明確にすることが先にくるようです。
L&R matsuo