明日への疾走
鈴木アトリエ一級建築士事務所
鈴木 ようこ
コロナ感染の拡散が始まった頃は1年も経てば、事態も収束するだろうと思っていた。
しかし一向に収まらない。重い空気、医療関係者の逼迫した状況からやはり中止した方が良いのでは?という意見にうなずく一方で、頑張ってきたアスリートたちの物語を見ては思わず応援したくなりつつも心は混沌としたままで、ついに東京オリンピック2020、次いでパラリンピックも開催となった。
今回の開催を、特に楽しみにしていたのは、1964年の東京オリンピックを当時直接経験している私たちの親世代だろう。なにせ人生2度目の東京オリンピックである。高揚する心、華々しいビックイベントとして、待ちに待っていたのに違いない。
それは義理の両親も例外でなく、特に義父にとっては並々ならぬ想いがあり、「オリンピックまでは頑張る」と大病と闘っていた。
1964年、開会式の入場行進で先頭を颯爽と歩いた義父。その雄姿はカラーテレビの電波に乗り、新聞掲載され、見合い話が殺到したと、イタズラな目でお義父さんを見つめながらお義母さんが話してくれたことがある。「その時にはもう既婚でこの子(夫)は生まれていたのよ!」と付け加えて。
しかし、お義父さんは、楽しみにしていた2度目のオリンピック開催に間に合わずに天国へ、お義母さんも後を追うように逝ってしまった。
開会式のテレビを見ながら「両親はこのコロナ禍のオリンピックを知らずに済んでよかったのかも」と夫がふと呟いた。高度成長期の兆しの中での夢膨らむオリンピックと比べ、こんな寂しいオリンピックでガッカリしてしまったかもしれないと思うと、その言葉にうなづいた。
それもこれも、得体のしれないウイルスがあっという間に地球中を覆ってしまったせいだ。マスクが手放せない、出勤もできない、友人との食事すら自粛し、飲み会はゼロ。画面越しでしか顔を合わさない日々、それが全部、一瞬で日常になり、まるでS F映画のようだ。
この変化に追従して、家族の拠り所でさえありさえすれば良かった住まいも、年々勢力を増す台風や豪雨から家族の命を守る砦、外部気候に影響されない室内の快適な温熱環境、いつでもリモート会議のできる独立した仕事スペースなどなど、要望欄が変化している。
でもこれは未来への通過点なんだろう。
向田邦子の随筆集に、未来への高速走行を気付かさせてくれた話があった。
日本人の足の指の話。現代の若者の足の5本指はすべてぴったりと閉じている。
だけど、1964年の東京オリンピックに青春を過ごした日本人の足の多くは親指と人差し指の間が少し離れていたそうで、その上の世代は、パチンコができるほど足の親指と人差し指が離れていたと。ふとその変化に著者の向田邦子は気づき、家族の足の記念撮影をしておけばよかったと綴っていた。
生活様式の変化からとはいえ、1世代ごとに人体の形状が変わっているのに、ほとんどの人は気づいていない。
この話を読んで、変化に器用に追従しながら私たちは高速で未来へ向かっているのだと思った。
もしかしたら100年後の未来、巨大台風などの災害から、その都度避難できるよう、建物は宇宙船のごとく、移動できるのが当たり前になっているかもしれない。
そういえば、建てられなかったザハ・ハディド設計のオリンピックスタジアムの絵は、まるで宇宙船のようだった。