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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

恐怖政治9-リヨン反乱と虐殺

2021.09.10 08:49

「政治のカメレオン」フーシェは、国民公会派遣議員として、仏西部の反乱鎮圧に派遣されていた。フーシェ自身西部のナント選出議員だったからしょうがない。ところがこの地方で、統治の才能を見せる。彼は思想ではなく、勝つためにはなんでもするというマキャベリストだった。

ということで、まず貧民に金や食料を出して支持を獲得し兵も募集、一方で教会を破壊し、金持ちの高価な家具などを没収してどんどんパリに送った。一緒に活動していた議員ショーメットは「市民フーシェは数々の奇跡をなしとげた」と称賛するほどだった。

その結果、彼は反乱の大都市リヨンへ送り込まれた。リヨンは穏健な産業都市で、急進的革命に反対し、町の指導者シャリエを処刑、1793年8月から革命政府に派遣された3万の兵がリヨンを包囲し、砲撃によって降伏させたばかりだった。

11月、リヨンに派遣されたフーシェとコロー・デルボアは、国民公会の方針に従って、徹底的な処刑を開始した。ギロチンでは間に合わぬと、自ら穴を掘らせて、その前で2000人を銃殺した。フーシェはこれで「リヨンの虐殺者」というあだ名も頂くことになる。しかし彼は逃げ込んできた知り合いには「革命の手先になる奴らは頭のおかしなヤツばかりだ」と言ったとのことだ。