医は仁ならざるの術、つとめて仁をなさんと欲す。
Facebook・竹元 久了さん投稿記事 🔵ホリスティック医学とは
人の生と死を深く追求し完成した“医学の定義”です。
健康(health)を表す用語です。
「全体・関連・つながり・バランス」といった意味をまとめて語訳したもので、昔から医学用語として使われていた様です。
● 医学は科学でも美学でもない。
物理には法則が・数学には方程式が・スポーツにはルールが・・・・、どの分野にも決め事
や約束がなければ、世の中は非道と混乱が蔓延ってしまいます。
法治国家で罪を犯すと罰が下される様に、何等かの規則・規律が必要になります。
しかし、犯罪を裁く側に落度があった場合、冤罪と言う不条理があるのも事実です。
間違いが間違いを増長し、終いには収拾がつかなくなるのです。
そこで医学・医療を考えた時、肝心要の規律さえ確立されていない様に感じます。
医療とは、患者を病気やケガから救う事で成り立つ高度な仕事です。 患者に対し、治癒と言う暗黙の契約が存在します。 それが、履行されていないのです。
日本では、ガンで年間40万人近くの患者が死んでいます。
医者は、残された家族に「難しい病気でした・医療の限界でした」と、弁解しながら高額の治療費を請求します。 それが、問題なのではありません。
現行のガン医療に、論理や倫理が欠如している事を指摘するのです。
早期発見・早期治療を施せば治ると吹聴し、結果が出ない切除手術・抗癌剤治療・放射線治療を繰り返し、ガン征圧・抑止を曖昧にして来た現実を言うのです。
現行医療は、ガンを治す事が出来ません。 それでいて、危険な手術や治療を拒絶する医者がいないのは不思議です。 完治と言う勝算(確たる実績)がなければ、医学も医療も成立しないばかりか存在価値が問われます。
そもそも、発症原因が解明されない病気を治療する事自体、矛盾であり問題なのです!
●ホリスティック(全的)な健康観に立脚する。
人間を「体・心・気・霊性」等の有機的統合体と捉え、社会・自然・宇宙との調和に基づく
包括的・全体的な健康観に立脚する。
生活の中には、常に病気と言う危険因子が潜んでいます。
特に科学技術が進歩した現代は、病原菌どころか化学薬品・放射線・環境ホルモン・・・と言う、不可解な危険に晒されいるのは事実です。 合理的で豊かな社会を築いた積りが、自ら造った危険物質で自己被曝したのですから自業自得と言えます。 そんな化学物質で体が蝕まれた場合、子々孫々受け継いで来た免疫で対抗した処で、到底 勝ち目はありません。
自然界に存在する病原菌と化学合成された物質では、強さも質も桁外れに違うのです。
それを何とか、医者やクスリの力で治そうとしても、非を見るだけで何の解決にもなりません。 人間はロボットでないのですから、科学(化学)の力で生体をコントロールする事など不可能です。「科学を応用した医学は日々進歩しています。しかし、難病・奇病は増え続ける一方です」それが、論理も倫理もない現代医学の偽らざる実態です。
医療界が、化学物質の危険性を世の中に訴えなければ、一体誰が科学の暴走を止められるでしょうか? それを無視し「苦痛を癒す為に、化学療法剤を大量に与えました」そんな医者は、暴利をむさぼる企業と癒着していると揶揄(やゆ)されても仕方がありません!
「医は算術」と言う前に、「医は仁術」ゆえに尊ばれる事を理解するべきです。
ホリスティックの精神は“仁術”です。 自然に従う事・体に優しい事・心が通じる事・・・、あらゆる社会環境と調和しなければ、医学も医療もただの商売になり下ります!
https://www.med.or.jp/nichinews/n200605j.html 【医は仁ならざるの術,務めて仁をなさんと欲す】 より
これは,江戸時代の中津藩藩医,大江雲澤の言葉であり,その意味は,「医を仁術たらしめるためには,文献のみならず,自らの経験と先輩や同僚の意見,なによりも患者から学ぶ謙虚さが必要であると考える」である.
この言葉は,現代の医療人の心にも響く言葉といえる.
医療行為を行う者は,その医療が患者に病気を良くする治療を受けさせようとした行為であったとしても,結果が悪ければ,患者にはそうとはとらえられないということを認識すべきと考える.
以前は,多くの場合,結果が思うようでなくても,それは,「あの先生に診てもらったのだから,手術してもらったのだから,仕方がない」という信頼関係があったように思う.
しかし,最近では,医療行為が複雑で難しくなったということもあるかも知れないが,診療側と患者側との信頼関係は希薄になり,種々の医療訴訟裁判が増え続けていると言っても過言ではない.
今回の診療関連死(医師法第二十一条)の死因究明制度の問題であるが,もちろん私も診療関連死は犯罪性はないのだから,警察に届けるべきものではないと考えるし,今度の制度設計でも,そのようになる方向である.
また,一九九九年の冒頭に起こった医療事故の問題以前には,社会的に大きな注目を集めていたわけではなかったわけであり,まったく悪意がない場合には,刑事罰が与えられなくて当然と思う気持ちも分かる.
しかし,このような事件が明らかになった後の社会情勢を考えれば,現在はとても医療行為だけを例外として,刑事罰の対象から外すということは,社会に受け入れられる状況にはないと考える.
これは,患者の立場にたって考えれば,分かることではないだろうか.ある日突然,自分または家族が,病院または診療所で,医療行為を受けて予期せぬ結果が出た時,納得出来る説明を受けられなかった場合,あなた自身だったらどうするかを考えて欲しい.
(副会長・宝住与一)
http://kawashimahp.jp/rijichou/media_sub01.html 【医は仁ならざるの術、務めて仁をなさんと欲す】より
九州大学名誉教授 福岡歯科学園理事長田中健藏
近時の医学、医療の進歩は目覚ましい。分子生物学、遺伝子解析法の進歩などによる病因、病態の分子レベル、遺伝子レベルでの解明、コンピューターの進歩による画像診断技術の進歩、新しい素材・機材の進歩、新薬の開発などには目を見張るものがあり、人々はその恩恵に浴している。
しかし、反面では「医の心」、「医の倫理」が問題にされ、患者の人権や生命の尊厳を尊重した「患者中心の医療」、「患者の長命」と同時に、患者の「生活の質(QOL)」を重視した医療が求められている。医療については「医は仁術」という一言では、社会が納得しないのが現状である。
「医は仁ならざるの術、務めて仁をなさんと欲す」という警句が明治初期の名医・大江雲沢の著書にあることが、大分県中津市の川嶌眞人先生らの調査によって明らかにされている。
大江家は代々続く中津藩医で、雲沢(1822~99)も医師を志し、1841年、華岡青洲が開いた華岡医塾大坂分塾に入門し、
青洲の弟・華岡良平から医学を学んでいる。その後、中津に帰郷して藩医となった。卓越した医療技術の知識は勿論、雲澤の人柄を慕って、多くの患者や弟子入り希望者が押し寄せたといわれている。明治4年には、中津医学校の初代校長になっている。
川嶌先生らは、残されていた雲沢の著作「傲瘡経験方付録」に「医則」と題する漢文四条があり、その第一条に「医は仁ならざるの術、務めて仁をなさんと欲す」と書かれていることを明らかにした。
「医療は無条件に善なのではなく、医者次第で善にも悪にもなるから、医師は常に謙虚に患者のために尽くすべきである」という意味で、雲沢は常にこの言葉で弟子を戒めたという。
スモン、薬害エイズ、オウム事件など、一部の医師のモラルの欠如が人を苦しめ、また殺す場合さえある。
「人間の幸福」、「生命の尊厳」、「生活の質」、「医の倫理」を、謙虚にじっくり考える必要性を痛感している。
https://gunmahbpsurg.med.gunma-u.ac.jp/about/column/column28.html 【教授コラム Vol.28「医は仁ならざるの術、つとめて仁をなさんと欲す。」】より
昔から「医は仁術」とされてきました。仁という言葉は現代の日本人には少しなじみの薄い言葉になっているかもしれません。新渡戸稲造は有名な「武士道」を著しましたが、仁・義・勇・礼・誠・名誉・忠義は、単に武士階級にとどまらず広く人間形成における普遍的規範として西欧におけるキリスト教的な個人倫理に比肩されうるものであると強調しています。仁とは儒教が主張した愛情の一形態、愛とは、他人を大切に思い、いつくしむ感情をさす語だそうです。仁術とは人命を救う博愛の道ということでしょう。そうだとしたら、表題の言葉の医は仁ではないとはどういうことでしょうか。
これは中津藩の医師だった大江雲沢(1822-1899)の言葉です。雲沢は華岡青洲(1760-1835)が開いた華岡医塾大阪分塾に入門し、青洲の弟 華岡良平から医学を学び、明治になってつくられた中津医学校の初代の校長先生でした。
華岡青洲は1804年、世界で初めて全身麻酔下に乳がんの手術を成功させた世界に誇るべき医師です。この成功は西欧でエーテル麻酔が用いられる40年以上前のことでした。華岡青洲は、全身麻酔の下手術を行うために全身麻酔剤の開発に20年以上も取り組んでいました。その結果開発されたのが、通仙散でした。通仙散を開発する過程で、妻と母が薬効と副作用を確認するための被験者として志願し、妻は失明し、母は健康を害し、死に至ります。
このような青洲の妻と母のわが身を省みない犠牲的な行為により通仙散は完成しました。その結果、はじめて青洲の手で乳癌手術が成功し、世界の医学史上に燦然と輝く業績が誕生しました。この成功の蔭で、妻は視力を失い、母も健康を害しました。青洲はこのような光と影の両面の経験から、医は仁でなければならないと、塾生には厳格な修業を説いていたそうです。大江雲沢が「医は仁ならざるの術、つとめて仁をなさんと欲す。」という言葉を遺したのは華岡青洲の塾に学んだことと無縁ではないでしょう。
もう20年以上前のことです。九州大学の第二外科の若手のスタッフとして勤務していた私に兼松隆之先生からお電話をいただきました。兼松先生は九州大学第二外科のご出身で、私も医師になった頃、ご指導を受けた肝臓外科の大先輩です。電話をいただいたときには長崎大学の外科の教授としてご活躍でした。「調君、患者の○○さんに連絡をしてもらえませんか。」とお願いされました。○○さんは1970年代に兼松先生がまだ若いころ、当時の井口 潔教授の外科で肝臓の血管腫という良性の腫瘍に対して肝臓の切除術を受けた患者さんでした。しかし、その時受けた輸血でC型肝炎に罹患してしまいます。当時はC型肝炎ウイルスも発見されておらず、しばしば輸血で感染することがありました。また、当時は肝臓の血管腫は破裂する可能性があり、破裂すれば命に関わることから、無症状でも切除の適応とされていました。いまでは血管腫自体の破裂は稀で、無症状なものは経過観察でもよいのではないかと考えられています。
兼松先生は10年以上前の前任地で手術を受け、C型肝炎に罹患された患者さんのことを気にしておられたのです。C型肝炎に罹患すれば慢性化して30年後には肝硬変や肝癌になってしまいます。
患者さんに電話をしたところ、大変お元気にされており、幸いにもインターフェロン治療を受けられ、C型肝炎も治癒したとのことでした。「連絡ありがとうございます。ああ、兼松先生、なつかしい、ぜひよろしくお伝えください。」といわれました。そのことをお伝えすると兼松先生は大変喜ばれ、「ああ、よかった。ずーっと気になっていたんだよ。」といわれました。兼松先生には様々なことを教えていただきましたが、このときには外科医としてあるべき姿勢という大切なことを教えていただいたと思います。
われわれ外科医は日々患者さんに最良の医療を届けようと努力をしていますが、目指した結果が得られないことがしばしばあります。また、短期的には患者さんによいことをしたと思っても長期的にはどうかわかりません。その時にはベストの判断に基づく治療選択と考えても時代が変われば全く違うこともあると思います。私達は慎重に、慎重に判断をし、自分の手術した患者さんの長期的な経過をいつも気にかけていなければなりません。また、いつも最新の情報を学び続けなければなりません。そして、その結果を謙虚に真摯に受け止め、反省すべき点は反省すべきと思います。
医療が提供するものが高度になればなるほど医療の光はより明るく患者さんに希望を与える一方で、影は深くなります。大江雲沢は、「決して医療はよいことばかりではない。結果としていろんなことがおこる。患者さんにとってよいことをするよう意識をして努めなければならない。」と医師を戒めたのだと思います。
「医は仁ならざるの術、つとめて仁をなさんと欲す。」という大江雲沢の言葉は、高度医療を提供する宿命をおった現代に生きるわれわれにとって益々重みを増しているように思います。