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たくさんの大好きを。

cage (文

2021.09.10 20:07

注※)R18になるかなあ、、と思える箇所もあります🙏

苦手な方はスルーでお願いします🙏


外は快晴。澄んだ空が広がっている。季節は夏へと少しづつ舵を切り、新緑が煌めいて眩しいほどの光を注いでいる。

「のう、獠。いつまでもそんな顔をするでない。一時的じゃと何度言えば分かるのかのう?」

「……分かってますよ。顔はいつでもこんな顔です。失礼な」

「……いつでも、のう?」

「教授! 何が言いたいーー」

「獠?」 

言いかけた言葉を遮るように、名を呼ばれ、一瞬、間を置きながら獠がああ、と振り向いた。

「こんなとこにいた。ね、終わったよ。ごめんね、待たせちゃって」

「……痛みは? 大丈夫なのか?」

「うん? あー、うん。随分マシかも。うん、マシマシ!」

「……お前またそんな事ばっか言って」  

「ほんとほんと。ジクジク〜っていうのがなくなってチクチクぐらいだし。うっすらとならね、少しは開けられるようになったんだから」

ね? と笑いながら、伸ばした香の右手が彷徨うように宙を何度も切る。閉じたままの香の瞳に綺麗に並んでいる睫毛がふるると揺れ、眉尻は心許なく下がっていく。

その手をしっかりと掴まえて引き寄せる。

バランスを崩した香の体が、ふわりとほんの少しだけ舞い、すっぽりと獠の胸に収まった。

「あ!…ごめん……」

「謝る事じゃないだろうが。ほら、帰るぞ」

さして気にする事なく、帰宅を促す獠の言葉に香が俯き、戸惑いながら口を開いた。

「あ、あの! その……獠、あのねーー」

「行くぞ」

香の言葉は最後まで紡がれる事なく、言葉尻は小さく消えていく。胸が痛む。チクチクどころかズキンと重さを持つ。こっちの方がよっぽど痛い。

俯いた顔は曇り、言葉に出さぬ想いを背中越しに投げかけた。

帰る。その一言は香の心を不思議な温度に変えていく。


ねえ、聞いて

ちゃんと聞いて

あたしの願いは今はそこじゃないの

 


ため息を落とした。せめて飲み込んだ想いがほんの少しでも届けと。

獠が振り向いた気がした。多分見られている。繋がれた掌がしっとりと熱を持つ。促すように、ほんの少し強く手を引かれた。

行くぞ、と声が耳に届き、胸がトクンと鳴った。何も言えずにただ小さく頷くしかなかった。

「……獠、香くんは……」

「また来ます。香を連れて。世話になりました」

「まだ痛みはあるじゃろうから、また数日後には見せにくるんじゃぞ」

「分かってますよ。それじゃあ」

「……おまえさん、一度、鏡を見てみるがいい」

声は優しく諭す。それに振り返る事なく、香の手を引き、無言で去っていく。

「……何をそんなに焦っておる、獠……」

想いは時に重さの比例がバランスを崩し、迷い道へと潜り込んでいく。

香くんの瞳の奥の想いをちゃんと見てるかのう、獠。


「厄介じゃのう……」

澄み渡る空の色に目を細める。青の青さはどこまでも果てなく広がっている。あの男の心が晴れていくのはいつになるだろう。

「時間薬……か、それとも荒療治、どっちかのう」

男の横に並ぶパートナーの顔を思い浮かべて、フッと頬が緩む。彼女ならば違うことなく、いつもこちらの予想を遥かに超えていく。

「やはり、荒療治かのう……」

きっと時間を置くことなく彼女はまた訪れる。その時の空はどんな空だろうか。

ああ、そういえば、とふと言葉が浮かぶ。

病める時も、健やかなる時もーー

世間一般によく耳にするあの誓いの言葉は、

今の二人を表す言葉のようで、

「愛し、愛され、じゃよ、獠」

そうぽつりと言葉が漏れた。



クーパーは緩やかに家路へと進む。窓から差し込む光は、香の頰にキラキラと光の波を注いでいる。それを横目で見ながら、ハンドルを右側へとゆっくりと切っていく。

「獠」

「ん?」

不意に掛けられた言葉に、視線だけ移す。

「窓、開けていい?」

「どうした? 暑いのか?」

「ううん、そうじゃなくて…」

「そうじゃなくて?」

へにゃりと香が笑う。

「風、感じていたいの」

「……自分で開けられるか?」

うん。と嬉しそうに頷きながら、パワーウインドウのスイッチの場所を、左手で探る香の手首を持ち、

「ここ、な?」

そう言って誘導する。

「ありがとう、獠」

スルスルと下げられた窓から、心地いい風が車内に吹き込んでくる。香がシートに体を深く落として、はあああと息を吐く。

「気持ちいい!」

「そりゃよかった」

黄色の点滅が赤に変わり、ゆるゆるとクーパーが停止する。あ……と不満げな声に困ったように獠が苦笑いする。

「風、止まっちゃった」

「お前な、俺に信号無視しろって?」

「そんな事言ってないけど……」

「ばーか、直ぐにまた動くだろ? 子供みたいだな、香ちゃんは」

揶揄うように笑う真横の存在に、ぷうと頬を膨らませて、なによ、べつに、などブツブツと小さく応戦してくる。

香の癖のある髪が揺れている。膨れた頬はほんのり赤く色づき、差し込む光と香の肌の白さと少しの赤が混じり、思わず見惚れていると、「獠」と振り向いた瞳は閉じられていて、視線を逸らしながら獠の顔が僅かに歪む。


唐突に、それは本当に唐突にやって来る。

胸を抉られるほどに激しい衝動が突き上げる。

確かめたくて触れる。触れるなんて生やさしいものにはならなくて、奪うように抱き寄せて深く、何度も唇を重ねる。


パッパー!! とクラクションが鳴り響いた。

あまりに突然で抵抗する事さえ忘れていた香の肩が揺れ、拳で胸を何度も叩いて来る。のっそりと体を離すと、何事もなかったかのようにアクセルを踏み、青になった信号を超えていく。

「と、突然何するのよ! だ、誰か見てなかった? 後ろの車に怒られてるじゃない!」

見事なぐらいに真っ赤になった香の抗議の声もするりとスルーして、したかったから、と耳元で囁けば、ボン! と音が聞こえそうなくらいに香の顔が赤く熟れる。

「……誤魔化さないでよ」

「…………」

言葉を失う。

いつの間にこんなにも聡くなったのだろう。茶化してみても、いつだって胸の内側に辿り着かれそうで、暴かれそうで、更に軽口を重ねる事しかできなくて、いつもを装う。

「なんだよ? もっとしたかったから怒ってんの?」

「獠!」

「なんだよ」

「ちゃんとあたしを見て!」

「……見てるだろ」

獠が答える。香はもう何も言えない。聞いて、という言葉はやっぱり言えないまま、悲しそうに閉じた瞳を震わせる。

「あのね」

「ああ」       

「獠さ、ちょっとヘン」

「…なんだよ、それ」

香が獠の肩にもたれながら、フフと笑う。

「これさ、直ぐに良くなるって言ってたでしょ?」

「ああ」

「でも…時間は必要なのよ、やっぱり」

「……分かってるさ」

そう、と小さく呟きながら香が言葉を繋ぐ。

「あとね、もう一つ」

「もうひとつ?」

「離れてなんかあげないから」


息を呑む音が聞こえた。あたしの聴覚は期間限定でとても感度がいい。獠の気配がピンと張り詰めていく。


離れてなんかあげない。ここにいるよ。だけど……


「何言ってんだ。当たり前だろ」

「そっか」

だけどね、獠。本当はーー

「……香、お前さ」

「ん?」

「…いや、何でもない」

「……そう」

ツンと瞼の裏側が疼く。遮られた言葉の先は分からないままで。お互い測れぬ距離に、触れていてもなぜか遠くに感じる。近くて遠い。近いと思うそれさえ、どこか心許なく、香の胸に温かさとは真逆の風が凪いた。



派手な音を鳴らしながら、ガレージに乱暴に止められたクーパーの助手席から掬い上げられる。

「獠、あたし自分でーー」

「いいから抱かれてろ」

今度は香が息を呑む。沈黙が二人を包むが、構う事なく獠が階段を上がっていく。

返答の代わりに香の頬が獠のそれに重なり、閉じた瞳の奥は暗闇だけが広がっている。香の暗闇の世界に在るのは今は獠だけだ。

「ほんとにバカ……」   

あたしも獠も。抱えられた腕の間から手を差し出して、背を両手で思い切り抱きしめた。



抱かれてろ。なんて心臓に悪いからやめて欲しい。

抗えない。でも悔しい。

抱き合う事は簡単だけど、気持ちはどこか遠くに置き忘れているんじゃないかとさえ思う。

寝室に辿り着くと、顎を掴まれ、ベッドに倒れ込みながら唇に噛みつかれる。性急に交わされた唇はとても熱くて目眩さえ覚えた。止まないキスと同時進行であっという間に身に付けていた物全部が剥がされていく。肌を伝う指先は優しさを忘れたように乱暴に暴いていき、香の口から漏れる吐息と抑えられない声が獠を加速するように壊していく。

「ここ、熱いな……」

色を持つ声にゾクリと背が反応する。

指先で溶かされ、頭の中まで溶けていく。

「りょ…待っ…て」  

「無理だ」

懇願は煽りにしかならず、短い叫びを上げた香の更に奥へと貫き沈めていく。快楽は獠の全てを麻痺させていき、香の中をただただ求めて貪るように喰らい尽くした。



どれくらい時間が経ったのか、激しい揺さぶりの中で、手離した香の意識がふわりと浮かび上がっていく。

光を無くした世界では、正確な時間が直ぐには測れない。腕の中にいることに気付き、隣で寝息を立てる男の先刻までの激しさからは程遠い穏やかさに、ふうと息をついて、そっと腕に触れる。

多分、気持ちは同じなんだと思う。

ただお互い望む過程が違うだけだ。だけどそれはお互いに譲れないままで、どちらも譲れないなら隔たりだけがどうしようもなく広がっていく気がして、唇を結んで額に右手をぎゅっと押し当てた。


「……バカ獠。待ってって言ったのに」

言いたい事はこんな事じゃないけど、今は何か言葉にしないと、どうしても落ち着かない。

腕の拘束が強くなる。ごめんな、と低く掠れた声に、子宮の奥がまた熱を帯びていきそうで、悟られぬようにふるふると首を振る。

「香」

だからその声は反則だよと目の前の腕に額を押し当てると、肩に獠の頭が乗って、頰に首筋に、擦り寄ってきてくすぐったい。

獠の匂いが濃くなる。やめてよ、そう言いながらも肩に触れる頰や髪がとてもとても愛しい。ぬるま湯のような時間も全部愛しい。

獠の黒い髪と、あたしの色素の薄い茶色の髪が触れ合う距離でいられる事に、自然笑顔が溢れた。


「香」「んー?」間延びした返答に獠が肩先にそっとキスを落とす。「今日は特製オムレツな」「獠の?」「そ」「うそ!? やった!」そうして二人笑い合う。課せられた宿題はもう少しだけ後回しに。触れる髪の先を撫ぜて、掌の中にも獠を感じる。「獠」「あ?」「オムレツ、チーズたくさん入れて?」「…仰せのままに」ただ今は浸りたいと願った。名を呼びながら陽だまりの方へと両手を伸ばした。








目覚めれば元通りに。

なんて都合良くいく訳は無くて、閉じられた瞳を開かなくても暗闇の世界のままなのは分かる。

隣で寝ている男の気配を右側に感じて、右手をそっと伸ばそうとするが不意に手を止める。

多分これは浅い眠りだ。触れれば目を覚ましてしまうだろう。

今が朝なのか昼なのか夜のままなのか、それすら分からないけれど、なんとなくの感覚が寝ている時間ではない事を告げてくる。

「はあ〜、どうしようかなあ……」

悩んでばかりいるのは苦手だし、考えてばかりいるのも性に合わない。とりあえず起きてみようと、のっそりと体を起こすと、決して弱くはない力で右腕を反対側に引っ張られる。

「うわっ!」 

背中からドサリとシーツらしきものの中に落ちて、一瞬、何事かと瞳をパチパチとさせるが、クッと可笑しそうに笑う男の声に、仕掛けられたイタズラだと気付く。ほんと、心臓に悪いんだけどな。と呆れながらも、なによ? と少しの不機嫌を装って問いかける。

「どうしようって何がだよ? 」

あ、これはきっと口を尖らせて不貞腐れてる時の感じ。見えない事は大変だけど、妨げにならない事も意外とあるとはこうなって初めてわかった事だった。

なんだか可笑しくて、仰向けのまま額に手を当てて声を出さずに笑う。

「……だから、何だよ?」

わかりやすいなあ。分かりにくいくせに、想いが通じあってからの獠は、今まで全然分からなかった所が、時々ストレートに分かりやすい。

「当ててみて?」

今なら言える気がした。

朝が来たから。

見えなかったものが少しだけ見えるようになったから。

包まれたシーツの残り香が、二人の世界のままだから。

些細な小さな色々が背中をえいっと後押しする。

当ててみて? ううん。当てて、絶対。

背中の後押しだけじゃきっと、また停滞してしまうから。きっかけの次を違わず投げかけて、と願う狡さは情けないけれど、そうだから仕方がないと思う。無意識に喉の奥が鳴る。

「……これから、昨日の続きをまだしちゃおっかな〜、とか?」

馬鹿に聞いたあたしが馬鹿だった。片手で扱えるハンマーをこの辺かな? とあたりをつけてため息と一緒に落とす。

いてえ、とか何だよ、とか聞こえてくるけど、相手にする気になれなくて、床に足を着いて、勘を頼りに壁伝いに部屋を出て行こうとすると

「ば〜か、お前の手はここ」

と壁に着いた手を包み込まれる。

聞かなくても分かる。獠の掌だ。こんなに温かいのに何故だか嬉しいとかありがとうとかそんなプラスの気持ちが先に来ない。あるのは掌の中とは違う、変に冷えた心と頭。

優しさが苦しいなんてとても贅沢だけど、

「大丈夫だから」

と全然可愛くない冷めた声が出て、自分でもハッとした。

「なんで怒ってんだよ? 昨日の事ならーー」

「違うから」

どんどん冷めた声になっていく。あたしが踏み出したのに獠は…なんて勝手過ぎるのは分かっているのに、掬ってもらえなかった気持ちが宙ぶらりんで、素足から伝わる床の冷たさが余計に気持ちを落としていく。

望んだのは隣に居ることだけど

甘やかされてばかりじゃどうしても落ち着かない。

掌は離されることなく重なっている。

「お前はさ、どうしたいんだよ」

重なった掌の方を思わず見上げる。

獠はどんな顔をしているんだろう。分からないから困ったように笑うしかなかった。

「当てて、って言ったのに」

「わかんねーし」

「……嘘つき」

俯いて、絞り出すように声を出す。掌が離れていく。

「そんなの今更だろ」

低い声。そうだね、そんなの今に限ったことじゃない。だけど、瞳の奥が熱くて堪らない。

この場所からただ早く離れたくて、手探りで部屋のドアまで辿り着いて、階下へと繋がる道どりを辿々しく進んでいく。足が絡まる。重力に引かれるままに前のめりになりそうになると、ふわっと体を支える腕に囚われる。カッ! と全身が沸騰する。ぶつけるように力任せに腕を払いのける。反動で壁に右肩が軽くぶつかり、平衡感覚を失う。それでも右足を踏み出そうとすると背中の方から「香!」と獠の声が耳に入って、左腕を掴まれた感覚がするが、そのまま気持ち悪い浮遊感に襲われて、掴まれた腕の先と共に落ちていく。

一瞬だった。何が起きたのか分からず、足首の痛さに顔を顰める。抱きしめられている。そう気づいたのは、「くっ! 香?」そう問いかけ獠の声が側に在ったから。

「獠!?」

両手が震えて止まらない。声の場所を探りながら、確かめたくて手を伸ばしても掴むのは何もない空間ばかりで、なんで、なんで、と声は涙色を含んでいく。

「…アホ。だからお前の手はここだって言ったろ?」 

何も掴めなかった手が温かいものに触れる。離そうとばかりしていた意地悪な掌は、いつからか、見透かしたように必ずあたしを掴まえる。

「獠……怪我は?」

「これくらいで怪我なんかするかよ。お前こそ大丈夫か?」 

なんで、どうして。

「なんで…怒ればいいじゃない! こんな足手纏いで迷惑ばっかりかけてるあたしなんか!」

「香……」

困ったように呟く声に、宥めるように髪を撫でられて、これじゃあまるで駄々っ子みたいじゃない、と恥ずかしくて頭を埋めながら、掌を伸ばさなくても掴めるTシャツを握りしめる。

「たまにはいんじゃね? お前さそういうのあんま言わねーだろ?」

「……う〜〜〜」

きっととても滑稽だと思う。床に這いつくばったような体制で、頭を埋めて唸ってる大の大人なんてシュールで笑えない。

「は、鼻水……」

「おわっ! ったく、後で洗濯行きだな、これ」

ズルズルズル。ズーっっ!

「……マジかよ? はあ……もう好きにしろよ」

「ごめん……」

「気が済んだか?」    

「う……子供扱いやめて。そうだけど、そうなんだけど! ズルっ、ズー」

「…俺の胸って涙と鼻水だらけなんだけど? 

香チャン責任取ってくれる?」

揶揄うような言い方にいつもの二人が戻ってくる。

「子供は責任取れません」

「……泣いてる割に元気じゃねーか」

撫でる掌が、今度はくしゃくしゃと埋もれた頭ごと無造作に掻き乱してくる。

優しい。すごく優しくて大切な掌。あたしはずっとこの掌に守られている。だからーー

「ねえ、獠」

涙と鼻水だらけの顔をTシャツに押し当てながら、もう一度勇気を出してみようと思う。

「…なんだよ」

掌が髪を一撫でして止まる。

「あたし、教授のとこに行く。そうするから」

言えた。言った。なんだ案外簡単に言えるじゃない、とちょっと心がホクホクしていると、お前なあ……! と、髪をあり得ないぐらいにぐしゃぐしゃにされる。

「ちょ! 痛い! やめてよ」

全然優しくない掌の動きに、抗議の声を上げながら体を起こして、座り込む。頭を一振りしながら、あちこちに乱れたであろう厄介な癖っ毛を撫でつける。ぐしゃぐしゃが過ぎてきっと収集がつかない。でもこれだけは譲れないから。と、気配のある方を軽く睨みつけた。

「…………」

「なによ!」

喧嘩腰の声は心底可愛くないと思う。きっとまたため息をつかれるのかと思っていたら、

「お前ね、話の前後省き過ぎて意味わかんねーんだけど……まあ、いいや。腹減ってるだろ?  

まずは腹ごしらえするぞー。話はそれから」

間延びした声で、パチンと額が掌で弾かれる。

「え?……」

「だーかーら! 昨日あんなに頑張ったんだから、りょーちゃんぺこぺこー! ムフーー」

思い出し笑いであろうものに、反射的にぐーパンチをお見舞いする。ゴン! どうやらちゃんと当たったらしくて、なんだか目の前辺りで、悶える声がする。

「な、何言ってんだ! バカ! わ!」

「うるせー、暴れんな」

抱き抱えられた事に気づいて、両足をバタつかせると、こら! やめろ! とやんわりと制されて、面倒だからこのまま行くぞ。と耳元にとても好きな旋律が心地よく響いてきた。

それは狡いよ、と胸を軽く叩く。

「オムレツだろ?」

「…チーズたっぷりの、だけど?」

「りょーかい」

音符が飛んでいそうなぐらいの弾む声で獠が笑った。



「ほい、オムレツできたぞ」

ホカホカのオムレツが目の前にどん! と置かれて、バターとチーズの匂いに香の食欲が一気に増していく。そういえば……と、昨夜から何も食べていない。二人で熱さを分け合ったまま、意識を落とすように眠りについたのはぼんやりと覚えている。寝苦しい。合間に覚醒した意識の中、体に絡められた獠の腕をほんの少しだけ、億劫に思いながらも、振り払う気にもなれずに暑さに包まれたまま、また眠りに落ちていった事を思い出し、

「お腹空いた……」

とテーブルの上に置かれているであろうスプーンに手を伸ばす。手が添えられる。導かれるようにお目当ての品の場所に右手を導かれて、「これ、な」 

と頭上に声がした。

「…うん、ありがとう」 

浮き足立った気持ちが、するすると萎んでいく。左手に触れた皿は掬いやすいようにと、深さがあるもので、右側に置かれてあるコップはちゃんと柄がついていて、ほんの些細な事まで香の負担を減らせるように配慮されている。

少し時間を掛けながらスプーンに乗せた、オムレツを口に運ぶ。

やっぱりバターが効いている。半熟に近いそれは、トロリとしたチーズと抜群に相性がいい。

萎んだ気持ちとは裏腹に、食欲には勝てなくて夢中で口に運んでいく。

「美味しい」

「だろ?」

得意げな口調がいつもと変わらなくて、ほっとする。

「それでさ、」 

「え?」

不意に投げかけられた言葉に口の中のオムレツが零れ落ちそうになって、慌ててぐいと飲み込む。

「な、な、なに?」  

「おい、慌てるな。水飲んどけよ」 

「う、うん」

すぐ側にあったコップに手の甲が触れ、そろりと柄を持ち、一口流し入れる。

「いつからだ?」

主語のない問いかけに香の思考は一瞬フリーズするが、話を折るのも躊躇われて分からないまま、問いを返す。

「…いつからって?」

「うん? だから、行くんだろ? 教授んとこ」

「え!? い、行く! そ、そう!」

ガタンと机が揺れて、香がその場で立ち上がる。視線の合わない瞳の中に宿った光に獠が苦笑する。だよな、お前は…諦めたように漏れた言葉が香の耳に少しだけ届く。

「獠?」

「…まあ、座れって」   

「う、うん」

そのままゆっくりと椅子に腰掛けて、両手を膝の上で握りしめる。早鐘が香の胸を打っていく。

「行っても、いいの?」

「ダメだって言ったらやめんの? お前」

獠の言葉に俯きながら香がブンブンと首を振る。

「だったらそれを止める権利なんて俺にないよな」

胸が疼く。たまらず勢いのまま立ち上がり、バン! と机を激しく叩く。カタンとスプーンらしきものが揺れた音がしたが、構わず気持ちをぶつける。右手の人差し指で、「あんたね!」

とどんな顔をしているか計れない男に向かって、力を込めて指差す。

「け、権利とか、なんでそんなこと言うのよ! バカ獠!」

「……俺、そっちじゃなくてこっちだけど」

地味に指摘されて、なによ、雰囲気よ、雰囲気と、人差し指の修正をしていく。

「こっち?」

「そうそう」 

仕切り直しで、再度、ビシッと指差すが、

「なんだっけ?」

と、勢いで言った言葉に首を捻る。

「権利とかなんとか」

「あ! そうそう! あんたね! 権利とかなんなのよ、それ」

「お前が決めたんなら俺がどうこうできねーだろうが」

ため息混じりの声に、香のこめかみに青い筋が走る。

「なんでよ! どうこうしてるくせにこんな時だけなんであんたはそうなのよ!」

「いや、香、そっちじゃなくてーー」 

「うるさい! だいたいね、調子狂うのよ! お、お姫様扱いみたいなの! なんか落ち着かない!」

「…普通喜ぶんじゃねーの?」

バン! とけたたましく机が鳴る。壊れるぞ、と言う獠の言葉を無視して、ふつふつとした怒りの感情をストレートにぶつけていく。

「普通って何よ! お生憎様、あたしはそんなんじゃないから。あたしはーー」


甘える事に慣れていない

慣れていないけど、こんなのはやっぱり違うとずっと感じていた

その想いはちゃんと伝えられているだろうか


「あたしは……」

泣くのは違うとわかっているのに、上手く説明できないもどかしさが瞳から溢れ出す。

一息吐くと、袖口で涙を拭い、切れた言葉を紡ぎ直す。

「あたしはそうじゃないから。そうなれないから。それに、獠だってこのままじゃダメだよ」

「…………」

「このまま二人でいたら陽の光を忘れちゃう。そんなのダメ。優しいけど…嬉しいけど、でも、それに甘えていたくない。それにこの目が見えないままのあたしが一緒に居ると、獠がーー」

握った掌が熱い。俯いたまま言葉が繋げずにいると、獠の声が優しく降りてくる。

「決めたのか?」

予想外の柔らかな気配に、驚いて顔を上げると、

「そうしたいならそうすればいいさ」

といつもの調子で言いながら、あっちーな、これ、とオムレツを頬張る様子が伝わる。

「お前も食べちまえよ」

そう言われると、現金なお腹は合わせるようにぐう。と鳴って、ぶはっと吹き出す獠に、なによ、と応戦しながらも胸の辺りが穏やかに凪いていく。

「…うん」

逃がされた熱はどこかに飛散していき、すっかり角が取れた気持ちと共にゆっくりと腰掛けると、スプーンと皿を探り当てて皿の底にスプーンを掬い入れるが、上手く乗ってこない。たった一つの動作でさえおぼつかない。負けず嫌いが顔を出し、もう! と口を尖らせると、ほら。と真横から声がして、

「口開けてみろよ」  

「は?」 

「ほら、あーん」 

「? あーん」 

口の中にオムレツのバターの香りとチーズの塩味が広がっていく。

「ま、またこども扱い? ん? おいし〜!」 

「しゃべるか食べるかどっちかにしろよ」

呆れたように言われて、へへへと眉尻が下がる。

隣にいる。それはずっと変わらない。この距離感だってあたしと獠だから。ただ、どんどん深い場所に囚われていきそうで怖かったんだと気づいた。陽の光がなくてもいい、なんて思ってしまいそうで怖かった。

「……ねえ、どうしてか聞かないの?」

「あん? まあ、なんとなく、な」

「…そっか」 

「ああ」

あたしの想いは多分全部は伝わらない。それでもいいと思った。

「美味しい」  

ありがとうをたくさん伝えたかった。可愛くなくてごめんね、上手に甘えられなくてごめんね。


「……美味しい」

こんな言葉しか言えなくてごめんなさい。

「…おいーー」

「分かった! 分かったから! もういい」

大きな掌で、わしゃわしゃと髪を遊ばれる。獠はよくあたしの髪を弄ぶ。ここに色んな感情が詰まっているんだと気付いたのはいつの頃だろう。どんな感情を隠しているのか分からないけど、晴れている時も雨の時も隣にいると決めたから。


ねえ、獠だってそう思ってる?

辛い時こそ、見える気持ちがある。


だけど…こんな面倒くさいあたしのこと、嫌いになってない?


「美味しい…」

「…まだ言うか」

外は快晴だろうか。雨はきっと降ってはいないはず。

ハレの顔もあめのひの顔も、全部が獠だからその全部があたしは好きで堪らないけど、獠は…

「か、帰ってきたらまた作ってくれる?」

精一杯隠しても、声は変に上擦る。これから先もそれから先も。膝の上で握った掌は固く固くなっていく。心臓が痛い。病気かなって思うくらいに痛い。

一呼吸半程の時が経っても返ってこない返答に、きっと馬鹿なことを聞いたからだと、

「ご、ごめん! 今のーー」

と、勢いよく頭を上げると、ゴン! と頭の後頭部が何かにぶつかり、「いてえ!!」と気配が揺れる。

「え? り、獠? うわっ! ご、ごめん!」

「いってえ……」

「ど、どこ?」

右横に手を差し伸べる。人差し指が軽く肌に触れた。

「……顎」

「ええ!? わ、割れた?」

「割れるかよ! アホ」

「ごめん……」

しゅんと眉尻が下がる香を黒い双璧の瞳が穏やかに見つめる。机に右肘をついて頬を乗せながら、左手で少し癖毛の跳ねる髪を弄ぶ。

「俺はいいけど、お前は嫌なんだよな?」

「え?」

獠の言葉の意図することが分からず、香の口から戸惑いの言葉が漏れる。

「だからさ、こういう事とか、俺に頼る、って事」

言葉の意味を理解し、香の首が左右に振れる。

そうじゃない、と言えたなら。だけど全く違うわけでもない。でも嫌。とは違う。

「いや…じゃない」  

「じゃあなんで」

「嫌じゃないけど、でも……どうしてかすごく深くて暗い所に落ちていく気がしたの。そんなわけないのに…」

髪を弄ぶ掌が動きを止める。ほんの少しだけ獠の気配が固くなった気がした。何故かそんな気がした。

「獠?」

「…………」

自分でもよく分からない事だから、言われても獠も困るよね、と、それにね、と続けていく。

「それに、こんな状態じゃ万が一の時に獠の負担が今までよりずっと大きいでしょう? だから悩んでたあたしに教授が言ってくれたの。良くなるまでここに居たらいいって。ここなら自然もたくさんあるし、陽の光の相乗効果で治りも早いんじゃないかって」

「…あの、タヌキ……」

「ん?」

「なんでもねーよ、ほら」

へ? と少し開いた口に、ほわっとした塩気の効いたオムレツが放り込まれる。

「香チャンがお気に召すなら何度だって作ってやるよ。これから先、いつだってな」


これから先。いつだって。


オムレツの味が分からなくなる。言葉だけが頭の中で木霊して、胸の中にじわりと熱さが宿る。

「おいひい」

口の中はオムレツでいっぱいで、美味しいと思う気持ちと、嬉しいと思いたい気持ちと、冷静になれと言う気持ちがごちゃ混ぜになっていく。

あたしはいつだって笑っていたいけど

そうじゃない時もあれば

こんな風になってしまう時だってある

その時に願う選択がたとえ違っていたとしてもその先を願う気持ちが重なっていればいい

ねえ、獠

「…そうだよね?」

「ああ?」

間の抜けたような声がする。可笑しくなって、心は軽くなる。

「なんか、アレね。可笑しいよね、色々」

そう、色々考えすぎて可笑しい。ほんと馬鹿みたいだ。

「……お前、大丈夫か?」 

クスクスと笑うあたしを訝しそうに見てる獠の顔が容易に想像できて、また笑う。「だいじょうぶ」そう言いながら、両手を目一杯伸ばして背伸びをする。やっぱり今日は晴天であって欲しい。陽の光をこの身体一杯に取り込みたい。そうすればこの瞳にも光はいつか戻るはずだから。

「おまえってさ、向日葵みたいだよな」

「んー? え? なんで?」

「ーーーーーー」

「え? 何?」 

獠が呟いた言葉が聞こえなくて、右隣に問いかけると、カタンという音と共に獠の気配が揺れる。頭上から獠の声が降ってくる。立ち上がったんだ、と気付いた。

「なんでもない」

掌が頬に触れる。言い聞かせるようなその言い方に何も言えずにいると、掌が離れていく。

「そろそろ行くぞ」 

「え? どこに?」

「教授んとこ行くんだろーが」

「え!? は、早っ!」

ゼロから百への振り切りの速さに、香の思考はついて行くのがやっとだ。だけど悪くないと思う。獠の声はいつもと変わらない。だったら止まる選択肢なんかはない。

少しの時間になるか、長い時間になるのか先は何一つ分からないけれど、覚えていたいと、そっと机の淵を左手でなぞっていく。ほら、この角にはいつかの喧嘩で欠けた跡が残っている。

人差し指で何度もなぞる。こんな傷一つでも、今は帰ってくる場所の道標になると口元を緩く結ぶ。

掌が重なる。包まれる。

「ねえ、獠」

「なんだよ?」

一呼吸置いて、息を少し吐く。

「行こう」

帰ってくるために。だから今できる最善を。あたしはこの手の温もりも、二人で分け合う熱も何もかも手離したくないから。

   

「泣くなよ?」

耳元がくすぐったい。誰が泣くか。言い返す言葉よりも早く、横に立つ男の脇腹辺りに肘打ちをくらわす。いてっ。の声にフンと鼻を鳴らす。

「誰がよ」

「誰って…おまーー」

「泣かないわよ。泣くわけないじゃない。馬鹿じゃないの?」

「馬鹿ってなあ……」

「…泣かないけど、でも……」

「ん?」

手を伸ばして胸の中に飛び込む。獠の体が固まっている。五感がいつもより敏感になると、仕草が色々伝わってきて、見えないのに見えているみたいで不思議な気持ちになっていく。

またぐしゃりと頭を撫ぜられる。

「…泣くなよ?」

「だから泣かないってば」

「どーだか」

いつもの調子であたしを揶揄う獠の声が、鼓膜の奥に柔らかな音となって響いている。

あの重苦しいような、絡め取られていくような上手く言葉にできない違和感は消えている。

ぎゅっとしがみつく。無性にそうしたかった。

そうしたら、ちょっと顔が引き攣りそうなぐらいの強さで体をぎゅうぎゅうと抱きしめられる。違う。捕獲されているように頭まで顎でガッチリと固められている。

「い、痛いってば! 獠!」

「へーへー」

もう! 全く聞く気ないでしょ? と緩む気配のない腕に向かって、文句の一つでも投げかけないと気が済まない。

腕の中で暑さも急上昇していき、息苦しさを少し感じて、ふーと息を吐き出すと、こら、やめろ! と何故だか焦った声がする。

「なんでよ? だって暑い」    

「おっまえなあ! そんなエロい息吐かれたら変なとこ反応するだろうが!」

「…………」

はあ?

こんな時にまで何言ってんだ、この男は。とアホが伝染するように頭の中がゆるゆるに溶けていく。

馬鹿だ。ダメだ。脳みそおかしくなりそう。だけどーー

「…でもそれが獠だよね……」

頭はホールドされているから、脱力感に任せて両腕をだらりと下ろす。

「…ヘンタイ」  

「……それはないんでない? 香チャン…」

「もーいいよ。ヘンタイでもなんでも」

「へっ?」

脱力感は想いも緩やかに解いていく。獠の胸の鼓動が心地いい。

「バカでもヘンタイでも、どんなのでも、獠ならいいよ」

くたくたになった体は獠の体に沿って全部を預けている。ああ、気持ちいいな、と鼻から息を吸い込むと、あんなに強固に捕らえられていた拘束が解かれる。

「あ、やっと息がちゃんとできる」

そう呟くと、少し体温の高い掌で頬を挟まれた。

「こ、今度は何よ!?」

「……うるせっ、ほんと…お前ってやつは」

はあ…というため息と共に、降参だよ、と耳元で囁かれて、意味は全然分からないけれど一気に熱に浮かされたような暑い塊が頭の上の方に上ってくるようで、光はなくても、瞳は開かなくても、眩暈がした。

「香、顔あげて」

熱で揺れる頭上から、トドメのようにまた艶めいた低い声が降りてくる。

導かれるようにゆっくりと顔を上げると、獠の気配をとても近いところで感じたと同時に、優しく、深く、唇が重なり、もうどうなってもいいと思えるぐらいに脳みそが蕩けていく。おかしくなりそうだ、と泣きそうになる。


『おまえってさ、向日葵みたいだよな』

『んー? え? なんで?』


『いつも光の方に向かってる』



「あ、暑い…」

向日葵のようだと思った女は、黄色ではなく、茹でダコみたいな赤に染まっている。 

「…さ〜、行くぞ〜。ほれ、用意、用意」  

「うう……力、入んない」

ぐにゃりとなりながら、あーだのうーだの発声している体ごと抱え上げて、

「いい加減慣れろって」

愉しげにニマッと獠が笑う。

ささくれだって焦る心と、どうしようもなく堕ちていきたいと願う自身を蝕んでいた闇は、いつの間にか晴れている。

だから手放せるわけないよな、と俺だけのものであって欲しい光の、光をなくした瞳に口付ける。

「も…無理…」

無理って何だよ、と思わず苦笑するが、緩む頬は隠せない。足取りは自然軽くなる。


あの家に着いたら、あのタヌキに一言言ってやろう。

「……ほんっと、食えないよな」

「え?」

「いや、こっちの話」

「?」

首を傾げる香の背の方から、見えなくなっていた光が優しく差し込んでいる。

「……なあ」

「へ?」

あのさ、と白い耳元に、今日はいい天気だぞ、と伝えると、ほんの少しの間の後に、これ以上ないくらいに嬉しそうに香が笑うから、当たり前のように目を奪われる。 

眩しいな。

意図せず、口からするりと出た言葉に、クスクスと笑いながら、あたしも早く見たいな。と、腕が絡み付いてくる。

そのまま勘違いのままでいてくれよと、狡さは多分に残したまま、そうだな。と言葉を繋いだ。



タヌキだと思うと、そう見えてくるからヒトの感情は脳の働きにまで直結しているのだろうかと不思議に思う。タヌキが笑っている。

仏頂面を貼り付けながら、どーも。と、短く言葉を吐く獠に、

「あいさつぐらいちゃんとせんかい!」

と喝が飛ぶ。

「…どうも、です」

「……まあよい。だがな、アレはわしのせいじゃないぞ」

かすみに手を引かれながら教授の家に入っていく香に視線を移し、軽い口調で伝える。

「はあ、まあ、そーですね」

「……随分とわかりやすくなったのう、獠?」

「なにが、ですか?」

ニンマリと笑う顔は、どう見てもタヌキだ。頭がおかしくなってきたのかと、ぶるっと身震いして、頭を左右に振ってみた。

「なにをしておる?」

「いえ、別に……」

「そんなに心配か? 香くんの事?」

「いや、別に……」

探られているようで、まともに顔を合わせられず、そっぽを向いたまま獠が答える。

「心配は目の方かのう? 勿論それもあるじゃろうが、お前さんはーー」

「教授!」

「今更あの子はお前から離れはしないだろう。それよりも、何を怖がっておる? のう、獠?」

「…………」

勘がいいタヌキは嫌いだ。暴かれなくない部分をいつも必ず見抜かれていく。

流石、長い付き合いだよな、と眉間を寄せる。

「何のことだか」

相手のペースに呑まれるのはごめんだと、一言「よろしくお願いします」と告げると、屋敷の方へと足を向ける獠の背から、核心が耳に容赦なく届く。

「お前さんがどれだけ望んでも、あの子は堕ちてはいかぬよ。そして…どんなに見せまいとしても無駄じゃよ、獠。あの子は勘がいい。気づかずともお前さんの本質に必ず触れてくるじゃろう」

だから、それは。言葉が出てこない。他人から指摘されるとやけに現実味を帯びて、停滞する気持ちを誤魔化すように一つ息を吐く。

歩む歩幅が徐々に短くなり、足を止めると振り向かずに、静かに言葉を放つ。

「それでも、です」

「…そうか。ならばもう何も言うまい。ただな、獠、あの子は知らず受け止めるじゃろうて。お前さんの中の相反する想いごと、じゃよ」

「…………」

「それにしても面倒くさいのう、お前さんは。根暗にも程があるぞ、獠」

「は?」

聞き捨てならぬ単語の羅列に、獠の眉が不穏に跳ね上がる。教授という名のタヌキはニコニコと嘘くさい笑みを浮かべていて、更に言葉で獠の心をグサリグサリと刺していく。

「男子たるものあまりしつこいと嫌われるかもしれんぞ」

「なっ!?」

「しかも面倒臭いとくれば、香くんとてゲロゲロじゃな」

「!?」

「全くいつまで経ってもお前さんはそういうところは変わらんのう。ほれ、小さかったあの頃とてーー」

「い、いい加減にして下さい! 教授!」

額に嫌な汗が滲む。顔が熱い。タヌキの煽りにやけに胸が煩く波打つのは気のせいだと、握った拳で額を強く押して、気持ちを逃す。

ふおっ、ふおっ、ふおっと聞きたくもない笑い声を無視して、スライドを大きく立ち去ろうとすると、

「よい、よい、まさかお前さんのそんな顔が見れるなんてのう。長生きはするもんじゃ」

そう愉しげな声がして、言ってろ、と胸の中で毒付きながらも幼き頃からの縁はいつもどこか獠の本音をさらりと引き出し、やんわりと包み込む。他人、とは言えない距離感は何処か拠り所でもあるのを認めざるは得ないから、余計に腹も立つ。腹も立つが心底ではない。

「確かに、俺がこんなになるなんてな…」

そんな感傷を遮るように、馴染んだ声が初夏の空に溌剌と鳴る。

「りょーおー! あれ? りょー!」

青い空の下、よく映える向日葵はその声さえ晴天によく馴染む。思わず笑みが漏れる。

「りょーおー? どこー?」

りょー、りょー、と連呼される自身の名に、うるせーなと、苦笑しながら、近付いて行くと、

「お前なあ……どんだけ呼んでんだ? いるだろーが、ここに」

と、少し冷えた左手を掌で包み込む。

「あ、いた」

「ばーか、当たり前だろ」

香が左手でギュッと答えを返す。加減なく握ってくる横顔はほんのりと赤みを帯びている。

「……うん」

「え? なに? 冴羽さんてそんなキャラだっけ? やだもう、ミックに報告しなきゃ」

「かずえくん!」

冗談、冗談と明るく笑うかずえにつられて、香も笑顔が溢れる。

帰ってきたらやりたい事あるんだけど? と耳元で囁きながら、後毛を指に絡ませると、期待通りの解釈をして、真っ赤に頬が熟れていく。

「ご馳走様〜、冴羽さんて意外とーー」

「うるせっ。香〜行くぞ〜」



騒がしいやり取りが屋敷の中へと消えていく。

先日訪れた際の重苦しさは綺麗さっぱり払拭されていて、やはり荒療治の方だったかと、頰を緩める。

「敵わんじゃろうのう、獠よ」

これが彼女のハイスコアではなく、事が起こるたびにまた上書きされていくだろう。

それでいい。そうでなければーーと、独りごちる。

季節に幸あれ、二人に幸あれ。

初夏はもうすぐそこまでやって来ている。





2021.09.21





え〜、、、書いたのが夏前なので初夏ごろの設定でまるっと季節感がズレていてごめんなさい🙏しばらくサイトの更新ができなくて、私は暑さにアホみたいに弱いので、うだり〜んとしていたら、いつの間にか9月も終わりになっていました😅ゆるゆる人間なので先延ばし先延ばしにしてしまう癖がダメだなあと思いつつ、お絵描きばかりして楽しんでました😋書きたいお話あるんですが、だらりんとし過ぎて頭が全然回りません😋ゆるゆるやっていけたらいいなあと思います🙏


このお話はダーク冴羽さん大大好きで、大好きな作品もたくさんあって、何度も拝読させて頂きながら、めっちゃ仄暗いのさいこー✨✨といつも悶えてるので、私も書いてみたいな〜と書いてみたら全然ダークにならなくて、でもちょっとだけ堕ち気味冴羽さんみたいになりました😅仄暗いの大好きなんです。でも私の限界これぐらいみたいです😵‍💫ゆる〜いダーク(?にもなってないかもですが💦)

風味のお話ですが、読んで頂いて本当にありがとうございます🙇🙇

何度も書いていますが、どんなに堕ちて行っても結局はえいっと香ちゃんが掬い上げるのが大好きです(^з^)-☆