北米連邦同時多発テロ20年 体験した日本人男性語る
「世界が変わった日」たらから20年
20年前の2001年9月11日。アメリカ東海岸上空で4機の飛行機がハイジャックされた。
1機は墜落、1機は首都ワシントンDCの国防総省へ、そして2機はニューヨークの中心部である世界貿易センタービルの2棟に衝突した。
2棟は大きく損傷を受け瞬く間に崩壊。一連のテロによる死者数は3000人を超え、世界最悪のテロ事件として記憶されている。
米国を始めとする世界はテロとの戦いを宣言し、翌月アフガニスタンに侵攻。その後も米国を始めとする西側諸国はイラクなど、「テロとの戦い」を標榜して戦争を継続していった。
9.11は、文字通り「世界を変えた日」だったのだ。
体験した日本人男性 「テロを許さない」
同時多発テロに巻き込まれた日本人は少なくない。そう語るのは事件発生時、世界貿易センタービル南棟35階にいた保険会社職員の三宅宏樹さん(50)だ。
30歳だった三宅さんは、保険会社の会合の為ロサンゼルスから出張で訪れていた。
8時46分。休憩中だった三宅さんが窓の外を眺めていると、反対方向から「爆発音」に近い音が聞こえたと話す。
北棟の93-97階部分にかけて、ハイジャックされた旅客機が衝突したのだった。三宅さんは外にいた同僚からの連絡を受け、その場にいた全員で避難を開始し、その場にいたイタリア人の男性の勧めで非常階段を使うことにした。
階段を伝って13階に到達した頃、大きな爆音と揺れが襲った。
「落ちて死んでしまいそうだった。それはまさしく、南棟にジェット機が衝突した瞬間だった」
三宅さんらはその後外でたどり着くことができ生還した。しかし、上層階にいた同じ保険会社の友人が亡くなるなど、自らに関する被害がなかったわけではない。
三宅さんはその後定期的に「グラウンドゼロ」を訪れ祈りを捧げる。20年経った今年は、当時の同僚らとともに訪れると話す。
「テロを許すことはできない。世界では未だに多くのテロが発生している。自らのような思いをする人が現れて欲しくない」
同時多発テロでは日本人24人が犠牲になっている。事件全体の犠牲者数は3000人、負傷者は2万5000人を超える。
20年を迎えたアメリカでは今日各地で追悼式典が行われる予定だ。