一日中脱力して生活するのは結構大変だった。けど、新しい自分が見えた。
『仙人と魔女の交換日記』という企画をはじめてから、自分が自分らしくいることを追求しようとしている。
誰かに合わせた生き方ではなく、自分で選んだ生き方をするために。
自分を生きるとは脱力することだ。
自分で自分らしくいることは結構難しい。意識していないと、ついつい癖で人に合わせてしまう。
その癖をぶっ壊すためにやること。それは脱力することだ。人に合わせて生きてしまうことととは、人のことを気を使ってしまうということだ。
人のことを気を使ってしまうということは、常に何かを気にしていて考えているということだ。それを辞めるにはどうすればいいか?簡単だ。考えなければいいんだ。
考えないとは、ボーっとすること。ボーっとすることとは脱力することだ。
ついつい力が入ってしまう世の中だ。
ボーっとすればいいのか!とわかっても、それが上手くいかない。ボーっとするということは、ダメな自分でいるということだ。
ボーっとしていたら、いろいろ使い物にならない。ダメなところが沢山表に出てくる。それでもボーっとしているとは、かなり至難の業だ。
ついつい、ちゃんと作ろうとする自分が表に出てしまうものだ。
身体はよく理解している。
ついつい「ちゃんとしなきゃ」と力が入ってしまうさっとんだが、脱力して生きていられるかを判断できるわかりやすい基準があることに気づいた。それは身体だ。
さっとんは首と肩と背中が以上に悪い。
東京で働いていたころは左半身、首から指にかけて痺れていたくらいだ。気休めで整体に行ったときに言われた言葉を今でも覚えている。
「渡辺さん、常に緊張してますね」
そう。さっとんは、常に緊張しているらしい。脱力できていない。確かにその通りだ。常に首や肩に力が入っている気がする。最近まで、それすら意識できなかった。
「ちゃんとしなきゃ」という社会的なことよりも、首や肩に力が入っているかどうかを優先にすること。これは結構いい基準となりそうだ。社会的な立場よりも、自分の健康の方を優先にするということだ。
自分なりの脱力の仕方がある。
そしたら面白いことに、脱力にもいろいろあることが気づいた。その人にはその人のなりの、自然の姿があるということだろう。
さっとんの場合は、かなりテキトーなスタイルだ。
思い返せば社会人になるまでの学生時代はかなりだらけていた。友達と付き合うのも面倒で、学校が終わればすぐに家に帰って寝ていた。ちなみに学校でも寝ていた。どんだけ寝てたんだか。
学校が休みでバイトがある日もバイトまで寝ていた。バイト先から家が近かったので、バイトの休憩中は家に帰って寝ていた。どんだけ寝てたんだか。
そんだけだらけてたのを今になって思い出した。
もしかしたら、さっとんにとってそれが自然体なのかもしれない。認めたくないが。
自分なりの自然なスタイルを見つけよう。
認めたくないが、試す価値がある。なぜならば社会人になってから5年以上、そんな生活はしていないからだ。
いや、といっても世の中の社会人の皆さんから比べたらかなりだらけているだろう。それは認める。ああ、もしかしたら自分でもわかっていることなのかもしれない。わかっていながら、しがみついているのだろうか。
自分なりの自然なスタイル。見つけるために、まずは脱力してみよう。
今思うこと。それはとにかく寝たい。