恐怖政治10-ダントン、エベール処刑
2021.09.11 09:06
93年末には徹底した殲滅作戦の結果、フランス各地の反乱は鎮圧された。ヴァンデ地方の反乱は鎮圧された後も「地獄部隊」が送られ、容赦なく殺人が行われた。リヨンの反乱は降伏し開城したが、その後2千人もの市民が虐殺された。トゥーロンでも2千人が虐殺、この包囲戦で活躍した砲兵大尉がナポレオンである。
しかし敵がいなくなると内部闘争が起こるのはお決まりのパターンなのかもしれない。恐怖政治をめぐる対立から、ダントン派とエベール派が対立して、どちらも粛正された、その口実が冤罪かは知らないが、どちらも汚職というから笑うとことか。ダントンはロベスピエールに「次はお前だ」と予言した。
ロベスピエールは、開き直って「徳なき恐怖は有害であり、恐怖なき徳は無力である」と言う。そして道徳性を高めるための祭典を行った。1794年6月8日「最高存在の祭典」である。プロデューザーはダヴィッド。ロベスピエールは、「神を創造しなければならない」と言ったらしい。
しかし徳を高める一方で恐怖も高まった。7月までの一カ月で、ギロチンはフル稼働し、1376人の血が流れた。さすがに次は誰の番と思う。7月26日、ロベスピエールは「まだ粛正されなければならない議員がいる」と言った。さすがに一同は殺さなければ殺されると思った。