心が乱れたら掃除をする(BG 2-47)
2017.03.11 07:17
ヴェーダから
人生のカラクリとカルマを理解し、
愛に生きるお手伝いのラーデーラーデーです。
心はうつろいやすく、
時に感情的に、自己否定のスパイラル
に入ります。
それがないに
越したことはないのですが、
私たちの多くは聖人君子ではなく、
本音では
時々、多かれ少なかれ
そうなると思うのです。
では、誰でもなるのに
なぜヴェーダを学ぶのか。
そこに、普通の知識では得られない
心の平安への祈りと可能性
があるからです。
生きている師匠たちは
同じ道を辿り、
心を整える生き方を
見せてくださっています。
だから可能性を確信しています。
心の整え方の答えは
1つではなく、
何が心が整った状態か、
は
お一人お一人の人生観によって変わると思いますが、
ヨーガの教典
「バガヴァッド・ギーター」の中で、
1つこの節を読みたいと思います。
「君には、
定められた義務を行う権利はあるが、
行為の結果については、
どうする資格はない。
決して、
自分が行為の結果の原因
(自分の努力で結果が得られる)
とは考えるな。
また義務の遂行に
怠惰になってもいけない。 」
(2章47節)
心が落ち着かなくなった時、
ヨーガの師匠から、掃除をしなさい
と言われます。
なんでこんなに辛い時に
掃除しろ、なんて言うのかしら...と
はじめはムッとしたり、
掃除をすることが嫌で嫌で
気持ち悪くなったりします。
でも、渋々はじめてみると
だんだん気になっていたことが気にならなくなってくる
から不思議です。
聞けば、完璧に見える私たちの
師匠たちも(段階は違えど)
心が乱れた時に
掃除していた、とおっしゃるのです。
無心で義務として行うこと。
こればかりでは味気ない人生ですが
この修練をし、心が落ち着いてこそ
本当の心の豊かさや魂の情感を
感じやすくなるのかもしれません。
ラーデーラーデー