ケアできない“悲しみ”
第14回全国自死遺族フォーラム(2021年9月10日)の参加報告です。
今年は仙台で開催とのことで、関東方面から参加されるご遺族様と仙台駅で合流し、会場へ向かいました。
📷アエル~TKPガーデンシティ仙台~
31階展望台からは、あの仙台大観音が遠目に見えました。
去年11月に田中幸子様の事務所へ行く機会があったのですが、せめて遠目にでも拝めないものかと、Amebaブロ仲間の(仙台在住)r-hakuyoさんからおしえていただいた展望台だったのです。
今回は(遠目ですが)しっかり眺められる時間がありました。
(^^)/ありがとうございます☆
次は実際に中を観光して、合掌したいなと思わせる巨大観音です。
さて、トイレを済ませて(←いちいち要らんレポート)いそいそと30階のホールへ。
ん?………
入口で現地スタッフの皆様への挨拶をしていると、横からスラリとした長身のご婦人が話しかけてきました。
どこか関東方面のわかちあいでお会いした方だろうか…と、頭を捻っていると、なんと、r-hakuyoさんでした(;゚Д゚)!おーい!マジですか!
現地スタッフ陣として今回お手伝い参加されていたようです。
(お疲れさまです、お世話になります汗)
遠目観覧→大観音様から、間近初対面→r-hakuyoさんという流れに、神々しい導きを感じつつ。。。
※⇒こちらr-hakuyoさんのフォーラム参加関連記事です。
◆ ◆ ◆
午前は研修会兼懇談会を20名ほどで行いました。
(上智大の岡先生、フォーラム司会者の寺島様を含む)
実際のわかちあい時に纏わる疑問点や、近況報告、現時点での活動における問題点などのお話会ですね(^^)。
『星のしずく』からは、わかちあいの集いの他、アートワークについてのお話を少しさせていただきました。
それについての問いにサクサクご助言くださった田中幸子様ならびに福島県郡山市『えんの会』代表の斎藤智恵子様ありがとうございました。
たまたま研修会の参加者様の中に、『星のしずく』曼荼羅やキャンドルアートワークに参加されていたご遺族様がいらっしゃいまして、感想などを熱く語っていただき、とても嬉しく思いました。
出会いと繋がりに感謝し申し上げます。
午後13時30分からフォーラムが開始。
主催者、連絡会の理事長: 田中幸子様からのご挨拶。
続いて上智大学教授: 岡知史先生の【~悲しみと共に生きていく~悲しみは愛しさ~自死遺族の自助グループの悲しみについての考え方】についての講演。
ポイントを絞って要約シェアさせていただきます。
◆ケアできない“悲しみ”もあるということ。
・悲しんでいる人を憐れだと思っているのか。
その深い悲しみはケアされることなどない、あまりにも重い真実をそのまま受け入れることを決意した遺族。
・遺族は「病人」ではない。
愛する人が亡くなって悲しむのは当然、悲しまないほうが「病気」であるように思う。
・悲嘆回復のプロセス論は遺族の心情を否定する。
「私が回復するのは愛する亡き人が生き返ったときだけだ」
その声を「病理的だ」とするのが「悲嘆回復のプロセス論」ではないのか。
・(悲しみ)愛からの回復はありえない。
「私の悲しみ」は「私」とともにあり、「私」が最もよく知る者なのであり、どんな「専門家」といえども「私」よりも「私の悲しみ」を知っているということを許さないということ。
・遺族を「病人」や「問題」としない。
自死の予防も大切、けれど防ぐことができなかった自死もあるはず、その事実の前に耐えながら生き続けている遺族たちは、避けられなかった重荷を背負った人である。
実際に、ある日突然自死遺族となってしまい、私がこれまで経てきた事後からの日々の中で感じていた、言葉にし難い「ズレ感のある支援サポート・ケア・対策」に、常日頃モヤモヤした思いが拭い去れないでいましたが、その部分について明確に述べられていたことで、かなり靄が晴れたような気持ちになれました(^_^;)。
講演のあとは、「遺族の声(いじめ・パワハラで大切な人を自死に追い詰められたご遺族)」と参加者の「遺族意見交換」、閉会となりました。
次回第15回全国自死遺族フォーラムは、東京開催予定とのことです。
体調を万全にしてまた参加できたらなと思っています。
夕刻はご遺族方と連れ立って、仙台駅近くでマスク夕食会。
勿論ノンアル閉店20時です(^_^;)。
久々の対面わかちあい&クールダウン的なひとときが持てたことにも感謝!
またいつの日か☆
◆自死遺族の集い