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海鼠

2018.09.14 05:53

https://ameblo.jp/ak296910/entry-12511358491.html 【兼題「海鼠」主宰長谷川櫂 NHKBS『俳句王国』(H.22.11.13)】より

主宰は長谷川櫂(「古志」主宰)  ゲスト 小池昌代(詩人・小説家)

司会は塚原愛アナウンサー  兼題「海鼠」

月光をこぼさぬように海鼠切る

4点句(長谷川主宰、小池選)。綺麗だけど生々しい句。月光がフワフワと出て来るような感じがして面白い句(小池)。/「こぼさぬように」は常套的に言われるが、この海鼠の場合は許されると思った。海鼠ならずあらゆる生命への作者の慈しみが感じられる句、感動した。/発光しているような感じ。包丁を入れると零れそうな、巧く行っていて、いい句。若い時に賞をもらった人はすぐダメになることがあるが、こう言う句を作っていれば大丈夫(長谷川主宰)。/イメージの中に実景を重ねた句(作者)。

寒海鼠星は生れつつ滅びつつ

3点句(小池選)。寒い時期の海鼠。寒空に光るものと海のものの対比。海鼠や人間とかかわりなく星が生まれて流れてと時間が流れてゆくということを考えさせられた。/海鼠はぐにゃぐにゃして混沌としていて何か宇宙を感じさせる。星は生まれつ滅びつつと転生のイメージに結び付けているのがみごと(小池)。/海鼠と星の取り合わせはよくあるんだが、この句の場合、「切れ」がない海鼠と言う嫌いがある。大きく景を詠んだところはいい(長谷川主宰)。

さびしさの穴つきとほる海鼠かな       長谷川 櫂主宰

2点句。海鼠の孤独感のある繊細な暗さがいい表されていてとてもいい句。

海鼠突く船ごと海にへばりつき

2点句。必死さが「へばりつく」に出ていてインパクトがある。/船よりも舟の方が感じが出る(長谷川主宰)。

海鼠噛む人には言へぬことばかり

1点句。黙っている海鼠に自分を重ねているような句。また海鼠に語りかけているようなユーモア感もある句。/暗い海の底の海鼠と黙っている人の対比。/即き過ぎの感じがある。もっと「切れ」がはっきりするようにしたい(長谷川主宰)。

腹に悪事たたんで海鼠食ひ         小池 昌代

1点句。腹(はらわた)、悪事、海鼠と三段階に畳みかけることにより原始的な海鼠の得体の知れなさがよく表れている。/腹(はらわた)と海鼠、関連あるのは詠まない方がいい。もっとスパッと行く方がいい(長谷川主宰)。/なかなかスパッとは行かないんです(作者)。

海鼠には海鼠の強き意志のあり

 1点句。太古の昔から海底に生きながらえて来た生命力。固まっている様子に見られる海鼠の意志。/シンプルなのがいい(小池)。/ぐにゃぐにゃして意志の無さそうな海鼠にも強き意志ありとしたとしたところが面白い(長谷川主宰)/海鼠にも意志があるんだから自分もしっかりしなければと(作者)。

○長谷川櫂主宰特選三句  

米といで句集に戻る秋灯

十日ほど友でありたる青虫よ

仕事してをれば短き夜長かな

      

○自由題 

時雨とはいまを忘れるための時

5点句(長谷川主宰)静かにしとしとと降る時雨の中で自分も自然に溶け込んで今の時を忘れてしまいそうな様子をしっとりと詠っている。/心の写生の句。「今を忘れるために」、今現在を必死に生きているという感じ、巧い句だなと。/とても巧く出来ている句。下五は雨でなく時なのがいい(長谷川主宰)。/時で始まり時で閉めてということも考えたという作者に、それは言わない方がいいと長谷川主宰。

いつまでの二人三脚根深汁

3点句(長谷川主宰選)。人生の経験を積んだ夫婦。これから先も元気でとの希望のようなものを感じた。/希望だったら「いつまでも」でしょう。「いつまでの」だから今までのことを大事にして惜しんでいるのでは。「の」に味わいがある(長谷川主宰)。

/作者の意図も長谷川主宰と同じ意味合いで「いつまでの」とのこと。

白鳥の声こそ夜の帳なり

3点句。俳句には驚き、意外性が大切。白鳥の声が夜の帳(とばり)という感覚が素晴らしい。/白鳥の声が今一つ分からない。句会に参加して少しひねくれてきた感のある私には、きれいすぎる句に思う(小池)。/白鳥の声はアヒルみたいな声。文法のことは良く分からないが、「こそ」とくれば「なれ」でしょうか(長谷川主宰)。

乙女らの踏みては醸す葡萄かな          長谷川 櫂主宰

2点句(小池選)。私も乙女の時に山梨のワイナリーで経験した。清純な趣のある句(小池)。/踏みてはの反復が葡萄の房を思わせる。初々しい香りが漂ってくるような。/軽やかなイメージでいい句とも思ったが、そのまま述べてしまったような気が若干した。

鷲の影呑みこむ砕く怒涛かな

1点句(小池主宰)。断崖絶壁に一羽の鷲。ダイナミックでいい句かなと(小池)。/冬の寒々とした怒涛の感じが良く出ている。/言葉が沢山入り過ぎている感があるが、力のある言い方(長谷川主宰)。

反抗期マフラーかたく結びけり

分かり過ぎた感じでちょっと見えすぎで惜しいかなと(長谷川主宰)。

麵茹でる陽気な殺意古女房         小池 昌代

 シェークスピアの「陽気な女房」を想起。殺意の矛先は夫かなと(長谷川主宰)。

/ドラマか映画のワンシーンのような。/鼻歌を歌いながらの殺意。私のことでしょうか(作者)。

○長谷川主宰の感想

  前篇(兼題)も後篇(自由題)もいい句が並んでかつ選も良かった。


https://www.bioweather.net/column/ikimono/manyo/m0511_1.htm 【生きもの歳時記 万葉の生きものたち 海鼠(なまこ)】より

 海岸の岩場にごろんと転がったナマコや魚屋さんで売られているナマコを見たことがある方は多いと思います。その容姿は一見気味のよいものではありませんが、日本や中国において古くから食用とされてきたことが知られています。その最古の記録は古事記とされ、その天孫降臨<猿女の君>神話の中に、ナマコの口が裂けている理由が記されています。

フタスジナマコ

・・・・問言汝者天神御子仕奉耶之時。諸魚皆仕奉白之中。海鼠不白。爾天宇受売命。謂海鼠云。此口乎。不答之口而。以紐小刀。拆其口。故於今海鼠口拆也。・・・・

(古事記)

天宇受売命(あめのうずめのみこと)が海の魚を集めて「天つ神の御子に従うか?」と聞いたときに、魚達は皆「従う」と言ったのにナマコだけは黙殺した。そこで怒った天宇受売命は「この口は答えぬ口か」と紐小刀でナマコの口を切り裂いた。そのためいつまでもナマコの口は裂けているという。

 また、ナマコのもつその独特な雰囲気に魅せられた?俳人も数多く、ナマコを題材とした俳句もいくつか知られています。

生きながらひとつに凍る海鼠かな

(松尾芭蕉 続別座敷)

台所の桶の中で海鼠が何匹も重なりあい、あわれにも生きたまま、一つになって氷りついているよ

尾頭の心もとなき海鼠かな

(向井去来 猿蓑 巻之一)

どちらが尾とも頭ともおぼつかない不得要領な海鼠だこと

 このように日本人とナマコのなじみは深く、江戸時代には天下の三珍の一つとして越前の雲丹(うに)、長崎の唐墨(からすみ)とともに三河の海鼠腸(このわた:ナマコの腸の塩辛)が挙げられています。

 その名前の由来については諸説ありますが、有力なものとしては古くは「海鼠」と書いて「コ」と呼んだが、後にミミズ形の動物一般を広く「コ」と呼ぶようになったので、混同を避けるため、家の中で飼うものを「カイコ(飼い子、蚕)」、生で食べるものを「ナマコ(海鼠)」のように区別して呼ぶようになったとする説があります。ナマコ料理の海鼠子(このこ:生殖巣の素干し)、煎海鼠(いりこ:ナマコの煮干し)もこれに由来するようです。

 ナマコのうち食用とされるのは主にマナマコです。本種は北はサハリンから南は奄美大島付近まで広く分布しており、主に体色の違いによって、アカナマコ、アオナマコ、クロナマコの名前で呼ばれて取引きされています。特にアカナマコとアオナマコは市場価値が高く、関東では体色は暗緑色で肉が軟らかめのアオナマコが、関西では体色は赤褐色で肉が堅めのアカナマコが好まれます。

  マナマコの活動が活発な時期は水温が19℃以下となるような晩秋から初夏までで、この時期には積極的に餌を食べ成長します。ただ、高水温には弱く、水温が25℃以上となると「夏眠」と呼ばれる断食状態に入り、全く運動しなくなることが知られています。

マナマコ

 ナマコにはこの他に奇妙な習性があり、外敵に襲われるなどの強いショックを受けると、肛門から内臓を吐出して敵の攻撃をかわす「内臓吐出」と呼ばれる行動をとることが知られています。失われた内臓は約1ヶ月ほどで再生するようですが、そのメカニズムに関してはまだよく分かっていません。

  ナマコは捨てる部分のない生き物で、その加工方法も様々です。先に挙げた「内臓吐出」の習性を利用して取り出した腸を塩漬けにした「海鼠腸(このわた)」や、生殖巣を素干しにしたもので高価な「海鼠子(このこ)」、内臓を抜いたナマコを煮て干した「煎海鼠(いりこ)」など、主に珍味とされるものが多いようです。

このわたに唯ながかりし父の酒

(松本たかし)

 秋の夜長にナマコを肴に杯をかたむけてみるのもよいのではないでしょうか?

ニセクロナマコ

■参考文献

荒川好満 (1990) なまこ読本 緑書房.

大島 廣 (1962) ナマコとウニ-民謡と酒のさかなの話 内田老鶴圃.

今栄蔵校注 (1982) 新潮日本古典集成 芭蕉句集 新潮社.

白石悌三・上野洋三校注 (1990) 新日本古典文学大系70 芭蕉七部集 岩波書店.