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貝原益軒『大和本草』に見る江戸ハーブ

2018.09.16 10:28

https://www.totolab-shop.com/blank-86?fbclid=IwAR2CavtxJQtWnluVn0J7oLJ3RNgnWb19T7_96LjF8iY3nBHtZ8Mb_9DmLgk 【貝原益軒『大和本草』に見る江戸ハーブ その1】

​~江戸時代,庶民が用いたナチュラルメディスン~

『養生訓』の著者として知られる貝原益軒が,1709 年に著した日本初の本格的な本草書『大和本草』。掲載されている本草(ナチュラルメディスン)は1300 種以上で,植物・動物・鉱物等多岐にわたります。

この講座では,その中から現代の私たちにとって身近な植物(ハーブ)をピックアップし,その植物を益軒がどのように捉えていたのか,当時はどのように利用されていたのかを,読み,考えていきます。「本草学は民の日々の生活に役立てるものである」という益軒の思いを感じてみてください。

※この講座は,2015~2016 年まで開催していた講座をリニューアルし「その1」と名付けたものです。各論の内容が大幅に濃くなり,前回ご受講いただいたみなさんにもオススメです。

【日程・内容】 すべて月曜 14:30-16:30

第1回 5/17 ヨモギ,ハハコグサ,ツクシ(スギナ),カキドオシ,ノイバラ

第2回 6/14 ウメ,シソ

第3回 7/12 ドクダミ,ハッカ,オトギリソウ,クチナシ,クワ

第4回 8/23 センブリ,カキ,イチョウ,マツ

第5回 9/13 カンキツ類,チョウジ

第6回 10/11 ツバキ,クズ

〔講師〕

小野薫(江戸ハーブ研究家、JAMHA認定ハーバルプラクティショナー・日本のハーブセラピスト、日本漢方養生学協会認定漢方上級スタイリスト)


https://loconavi.jp/events/77115 【貝原益軒『大和本草』に見る江戸ハーブ 秋・冬編】より ~江戸時代、庶民が用いたナチュラルメディスン~

『養生訓』の著者として知られる貝原益軒が1709年に著した日本初の本格的な本草書『大和本草』。掲載されている本草は植物だけでなく動物、鉱物等多岐にわたり、植物については、いわゆる薬草以外の、今私たちに馴染みのある野菜や果物なども数多く掲載されています。江戸時代の日本の本草学・本草学者は中国の本草書『本草綱目』に大きな影響を受けました。『大和本草』を著すにあたり益軒は、『本草綱目』にとらわれず,日本独自のものや南蛮渡来のものなどを収録、分類についても独自の分類法をとりました。そこには「本草学は民の日々の生活に役立てるものである」という益軒の強い思いが感じられます。

本講座では、『大和本草』にみる貝原益軒ならではの植物、自然のとらえ方を学びながら、『本草綱目』や『大和本草』以外の江戸時代の書物なども参考にして当時の庶民にとってその植物がどのような存在であったのかを探りつつ、薬草だけでなく季節の野菜や果物なども紹介していきます。

https://loconavi.jp/events/82074【貝原益軒『大和本草』に見る江戸ハーブ (春〜秋 編)-】より

『養生訓』の著者として知られる貝原益軒が1709年に著した日本初の本格的な本草書『大和本草』。この講座では、『大和本草』にみる貝原益軒ならではの植物、自然のとらえ方を学びながら、『本草綱目』や『大和本草』以外の江戸時代の書物なども参考にして当時の庶民にとってその植物がどのような存在であったのかを探りつつ、薬草だけでなく季節の野菜や果物なども紹介していきます。

詳細はこちら>>

http://www.totolab.com/2018/01/2018-6685.html 【2017年 年頭のご挨拶】より

2017年のはじめに、今年のトトラボについて考えてみました。

昨年もさまざまなことに出会い、充実した一年を過ごすことができました。

特に、プロダクツをつくり始めるということでいうと、昨年は大事なチャレンジの年でもありました。

フィジーの友人たちと一緒に、フィジーの文化を載せたプロダクツをつくろうと、FijianTradと名付けて販売させていただいたことは大きな一歩となりました。

また、CoCooNプロジェクトでとりくんでいる南相木でのものづくりでは、森の香り豊かなシラビソのクレンジングソープを仕上げることができました。

今年のトトラボでは、人と植物の正しいおつきあいを象徴するような、これらのプロダクツを大切にして、みなさんの近くに置いていただけるような取り組みをしていきたいと思っています。

また、トトラボ植物療法の学校では、これまで以上に、自然の営みと人の知恵の力強さを感じられるようなセミナーをご用意していきたいと思っています。みなさまにいらしていただいてできあがる、心地よく刺激的な場となるように努めていきたいと思っています。

〜 太陽へと向かえ。太陽の眩しさは自分のなかにあるのだから。〜

これは一昨日、南相木のシラビソから受け取ったメッセージ。

自らのなかにある太陽を自覚しながら、さらに太陽に近づくような、進んでいくトトラボでありたいと思います。

新しい年が美しく、光り輝く年になりますよう。本年もよろしくおねがいいたします。

https://www.totolab-shop.com/ 【トトラボ Totolab Inc.ハーバルメディスン, 植物の力と人の知恵with herbal medicine, botanical power and human intelligence】より

トトラボは、メディカルハーブ(薬草)やアロマテラピーといった植物療法について学ぶための「トトラボ植物療法の学校」としてスタートしました。

人と植物が生命を持つもの同士としておつきあいすることを学び、自然とのつながりをしっかりと感じ、考えて、植物の力、人の知恵を暮らしに活かし、毎日を健やかに過ごすことをめざして活動しています。

Totolab started as Totolab School of Herbal Medicine to learn about phytotherapy such as herbs and aromatherapy in 2009.

Our action is aiming to spend a healthy life every day by learning how humans and plants interact with each other as living creatures, feeling and thinking about the connection with nature, and using the power of plants and human intelligence. 


https://tenki.jp/suppl/mike/2015/11/19/7891.html 【知識より体験! 自然界の力を生命維持や健康に役立てる、江戸の「本草学」とは?】より

知識より体験! 自然界の力を生命維持や健康に役立てる、江戸の「本草学」とは?

自然とのつながりを深めることで、生命エネルギーを増大させる術が本草学です

近代医学が進んだ現代では考えられないことですが、その昔、病気に対して投薬による治療法以外は存在しなかった日本やアジアの国々。

そんな事情もあり、アジアでは独自の薬学である「本草学」が発達してきました。

中国で生まれ、日本で独自の進化をとげた「本草学」とは、どんな学問だったのでしょう。

今回は配信を2回にわけ、西欧医学と東洋医学の考え方の違い、健康と長寿を追求した本草学のあれこれをご紹介します!

「本草学」のルーツは古代中国にさかのぼります。もともと本草学とは、動物・植物・鉱物などに薬用の効果があるかどうかを研究する分野であり、自然界の力を生命維持や健康に役立てようとするものでした。“本草”とは、薬の本(もと)となる草という意味です。

19世紀以前の世界では、まだ医療は発達しておらず、手術よりも投薬による治療が一般的でした。そのような時代背景もあって、当時の最先端の薬学である本草学が大きく期待されていたのです。

本草学は、古代中国で生まれました。紀元1~2世紀頃に編纂された、最古の薬物書である『神農本草経』がその源流です。この書物は伝説上の皇帝である炎帝神農(えんていしんのう※左画像)が記したといわれ、当時の薬物に関わる情報をまとめた集大成でした。

やがて、明代の李時珍が自ら収集・研究した800種をまとめた『本草綱目』(全52巻)を編纂し、中国の本草学はより発展していきました。

中国には、宇宙の現象を陰と陽との働きによって説明する「易」の思想があります。

人体や生物の中にも陰陽の要素を見いだし、その二元素の変化によって万物の体系づけを行ったこの本草学もまた、「易」の系譜に連なります。それゆえ、医学や薬学のおおもとでありながら、占術的な意味合いが強いものでもありました。

※画像の炎帝神農はあらゆる草木を毒味し、人々のために有害性や医薬効果を調べたことから「漢方」の発見者とされ、角のある鬼のような姿で描かれたものが現存します。

日本独自の「本草学」が発展した江戸時代

李時珍著『本草綱目』より

一方、日本における本草学は、中国唐代の書物『神農本草経』の注釈書をはじめとする重要な文献が遣唐使によって、平安時代にもたらされたことに端を発します。当初はただ文献として参考にされる程度で、本格的な研究が行われたのは江戸時代になってからでした。

1604(慶長9)年、長崎で『本草綱目』を入手した儒学者・林羅山は、これを徳川家康に献上。

以後、『本草綱目』は多くの本草学者によって研究され、医家や儒学者らにも多大な影響を与えました。鎖国していた当時の日本には、病気や治療についての資料が存在せず、この輸入された『本草綱目』が唯一の手がかりだったのです。

当時の本草学者が『本草綱目』を研究していたところ、植物の百科事典である『本草綱目』に載っていない植物が日本にあることを発見します。

それまでの日本の本草学は、中国から伝わった書物をもとにひたすら研究するだけの文献学でしたが、ここに至りついに、日本の風土と結びついた日本独自の本格的な本草学辞典が必要であることに気がついたのです。

※ 画像は、江戸時代の儒学者が関心をもった本草学の代表的な書物『本草綱目』(李時珍著)。

シーボルトも尊敬した貝原益軒

日本初の本格的な本草学辞典『大和本草』の一部

そんななか、本草学者の貝原益軒によって、日本初本格的な本草書『大和本草』が1709(宝永7)年に出版されます。

全21巻におよぶ大著であり、独自の分類で1362種を紹介するものでした。

著者の益軒は、自ら観察・検証することを最も重視し、自分の手で自然に触れ、採取し、その目で体感することを欠かせませんでした。文献学ではない本当の意味での本草学が、日本で初めて開花したのです。

後の時代に、益軒の業績を非常に高く評価した人物がいました。オランダ経由で江戸後期の日本を訪れたシーボルトです。医者であり、日本の動植物にかかわる資料を収集・研究していたシーボルトにとって、「大和本草」をはじめとする益軒の著作は、非常に価値の高いものでした。

西欧の実証主義と同じく、自らの経験をもとに日本版『本草綱目』ともいえる『大和本草』をまとめ上げたこの偉業を尊敬し、シーボルトは益軒を「日本のアリストテレス」という称号で讃えたのです。

文献学にとどまらない、体験に基づく真実の本草学。益軒のマインドは、日本の学者のみならず、先進国から訪れた外来の学者の心にも響いたのです。

※画像は、貝原益軒による本草学辞典『大和本草』。当時の日本では、生物学や農学における唯一の参考書だったとされています。


https://tenki.jp/suppl/mike/2015/11/19/7901.html 【「本草学」にまつわるあれこれ! 不思議ないきもの「冬虫夏草」のこと、ご存じですか?】より

「本草学」にまつわるあれこれ! 不思議ないきもの「冬虫夏草」のこと、ご存じですか?

「冬虫夏草」。漢方生薬として扱われるのはコウモリ蛾科の幼虫に寄生した一種のみ

前配信では「本草学」の概略についてお伝えしてきましたが、

今記事では「本草学」にまつわる 「冬虫夏草」についてご紹介!

これから宴席に出席する機会も増えますが、美味しいものを前にすると、つい箸は進んでしまうもの。

結果、胃腸や肝臓などに負担をかけがちですが、「暴飲暴食気味かな?」と思ったときに思い出してほしいのが、動物・植物・鉱物などの薬用効果を研究する「本草学」なのです。

「冬虫夏草」という不思議ないきもの

ヒマラヤ山脈を臨む、地球上で最も広大な高原・チベット

本草学の面白い点は、動物と植物を分けずに研究していることです。このような発想から「虫草」という虫と植物のあいだの属性をもつ生き物がイメージされました。

易の思想によれば、植物(草)は陰の性質をもち、動物(虫)は陽の性質をもつとされ、「冬には虫として動きまわり、夏に草となって実を結ぶ」生き物が存在してもおかしくないと思われていたのです。

本草学の文献のなかに登場する「蝉花」や「冬虫夏草」という記述は、いずれも「虫草」の別称であり、動物(昆虫)でもあり植物でもある生き物を表していました。

「冬虫夏草」については、中国の高級珍味として現在も売買されているもので、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。もともとチベットの高山帯に生息するコウモリガの幼虫に寄生する植物のことをいいましたが、日本では虫に寄生する植物の代名詞として用いられました。

陰陽の要素をあわせ持つ「冬虫夏草」は、不老不死、強精強壮の秘薬として尊ばれるとともに、宮廷料理にも最高級の食材として用いられたのです。

19世紀初頭に日本の本草学者が書いた『千虫譜』などにも、長崎に中国寧波から「蝉花」が薬草としてもたらされたとあり、日本でも薬として用いられていたことが確認できます。

近代化のなかで失われた“本草”マインド

明治5(1872)年に開かれた「第1回京都博覧会」の様子(新聞の挿絵)

江戸中期になると、文献で知ったものを実際に見たいという欲求が強くなり、植物や昆虫の実物を持ち寄る展覧会が本草学者によって開催されるようになります。

世に知られていない“本草”が公開されるこの展覧会は、学者たちの情報交換の場であり、庶民にとっても楽しめる娯楽イベントでした。

この本草学者による展覧会が、名物学、物産学といった新たな学問分野へと発展し、のちの「博物学」へと進化しました。明治以降の万国博覧会の日本におけるひとつの起源は、この本草学にあったのです。

幕末の時期に最盛期を迎えた日本の本草学ですが、やがて明治維新が起こると、西欧から導入された近代薬学が普及し、生薬を研究する東洋医学の小さな一ジャンルとして軽視されるようになります。

本草学から博物学へ。

東洋医学から西欧医学へと進化を遂げたようですが、実際はそこで損なわれたものも多かったといわれています。たとえば、動物・植物・鉱物といったジャンル分けは西欧的な分類法にもとづくものであり、対象物の自由なイメージを固定化してしまうものでした。

つまり、もとの草にふれる“本草”マインドは近代以後、徐々に失われていったのです。

体験(実践)に、常にたち戻ろうとする本草学

福岡市にある貝原益軒の銅像。地元の偉人として時代をこえて尊敬され続けている

「知って行わざるは、知らざるに同じ」

これは、江戸中期の本草学者、貝原益軒の言葉です。五感を用いた実体験によって情報を得ることも重要ですが、その得られた情報をもとに実際の行動に移すことも、本草学が重視した姿勢でした。

もしかすると現代は、自然に体で触れてリアルな体験を得ること、得た知識をまた体験に戻すこと、いずれも欠けている時代なのかもしれません。

二次情報にばかりに惑わされるのではなく、オリジナルとしての「実物」に触れること。また、いままでのルールにとらわれず、虫と草を組み合わせた「虫草」のようにとらえる見方から、次世代の新たなアイデアが生まれるのではないでしょうか。

博物学は逆に過去のものとなり、「本草学」的な発想が復活し、次世代の意外なイノベーションを生み出すかもしれません。