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Essence of Life

これもひとつの捉え方2

2021.09.29 09:07

例えば、過去に誰かに言われたことやされたこと、または自分が言ったことやしたことで、今でもそのことがひっかかっていたり(怒り、憎しみ、恨み、悲しみ、不安 、後悔、罪悪感などの感情として)今の自分自身の状況に多少なりとも影響を与えているということはありませんか。ことあるごとにそういった過去のイメージが出てきては、現在に作用することがありますが(忘れてしまっている場合もあるのですがエネルギー的には残っていて影響を与えるように感じることがあります。)物理的には今のわたしにはまったく影響がないはずなのに、感情的なレベルで大なり小なりのダメージがあることに気づきます。でもこれ、なんだかフェアでないな、と思うのです。今のこの瞬間に、本質に出会えるチャンスはいつもあるのに、そういう重いイメージが黒雲のように本質を隠してしまうからです。ですが、もし、これが自作自演?!だとしたらどうしましょう?

真理を学ぶうちに、こういったネガティブな経験や出来事がわたしたちの無意識の罪悪感からの投影であるということを知ることになります。無意識の罪悪感?これは一体何なのでしょう。もともと大元とひとつであったわたしたち(このわたしたちというのは個々人のことではなく、大きなひとつのマインドととらえます)。ところがこのマインドの一部分で大元から離れてしまったという夢を見始めてしまいました。離れていないのに離れてしまったという思い込み(分離の意識)により、とんでもないことをしてしまったという罪悪感がうまれました。わたしたちはその罪悪感から逃れるためこの世界(宇宙や体も含めて)作ったという。。。別の言い方をすれば、無意識の罪悪感があることを直視しなくていいように、外側に何かや誰かを作ってそこにそれを投影させている、という。。。こうすれば罪悪感はわたしたちの内にあるものではなく、どこか別の外側にあるものとして、とらえることができますから。

ですがここで忘れてはいけないのは、この無意識の罪悪感は、離れていないのに離れてしまったという思い込みから始まっているということ。その思い込みの無意識の罪悪感が、外側にネガティブな現象となって投影され、まるでわたしたちの外側で出来事が起こっているようにみえるようになっているのです。それも個人レベルの無意識からのものもあれば、集合的な無意識からのものという場合もあります。そういうことからすると、わたしたちは、自らのうちにある無意識の罪悪感(思い込みではありますが)が作り出した幻想により苦しんでいる、ということになります。そういう意味での自作自演です。そしてその無意識の罪悪感の幻想が根底から癒されない限り何度も何度も使いまわしされて投影されます。登場人物や状況設定はさまざまですが、いろいろと形を変えてやってきます。途方もなく膨大で複雑に見えますが、でも、すべて夢の中の話です。夜、寝ている時に見ている夢と同じで実体はありません。

夢なら目覚めたらいいのにと思いますが、この世界では、自分の意志で選択して考えてやっているようにみえて、実はそうでもなく、過去からのパターンや習慣、または決められたプログラムにそって、ロボットのように自動的に反応し、行動し、夢のシナリオを演じるという状況にあるようです。夢を見ているマインドの力に則ってそうなっているという。。。眠っているマインドの抵抗は計り知れません。ではどうしたらいいのかということになりますが、目の前で起こっているようにみえる幻想をひとつひとつ見抜いて、抵抗否定することなく、それらを取り消していくという作業が必要になってきます。起こっているように見える出来事を幻想として確認し、許し、手放し、そして本質に置き換えます。(置き換えてもらう。)もうその繰り返しといっていいぐらいです。自動的に夢の中に埋もれていかないように、決して消えることのない自身の中の神聖な部分、ハイヤーセルフ、本質(言葉はいろいろとありますが)と常につながっているようにします。その神聖な部分で働いてくれている見えない存在(これも結局はわたしたちの本質でありスピリットですが)にサポートをお願いします。そうやって忍耐強く続けていくうちに、雲の隙間から少しずつ光が差してくるように大なり小なりギフトが届くようになり(本来の目的はそれではないですが)、いろんな枠がとれ軽やかになり、また物事の本質を見抜けるようにもなってきます。最終的に夢から覚め、スピリットであることを思い出すことが目的なのですが、その途中のプロセスも喜びをもって行えるものなのです。

幻想を実在とせず、夢から覚めるための手段として活用していく。。。わたしたちに選択をする自由意思があるとするなら、それは、幻想を実在とする選択をするか、または幻想を実在とせず本質を思い出す手段としてゆるし手放していくという選択をするか、のシンプルなもの。シンプルかもしれませんが簡単という意味ではありません。地道な作業であり、決心も必要ではありますが、とても価値のある試みだと感じます。日々の暮らしを通して、いつも心のなかでできること。そして今この時点で行われるゆるしと手放しが時空を越えて作用するという。。。わたしたち(マインド)が結果ではなくすべての原因であったと見方をかえてみるのは大きな一歩になるかもしれません。

これは一つの捉え方ではありますが、幻想の世界においての向上や成果を求めてのものではなく、また幻想の世界で幻想の何かをさらに引き寄せることを目的としているものでもありません。あくまでもすべての原因、根源にアプローチすること、そして幻想を取り消し、真の本質へ戻るということを目的とした考え方です。そして最終的に、純粋な非二元へと戻っていくために。