芭蕉とモーツァルトは宇宙の響きを掬い取った
https://textview.jp/post/hobby/9793 【旅について詠んだ句は人生の暗喩】より
「日本人は大の旅行好きである」と書き残したのは、幕末の駐日イギリス外交官アーネスト・サトウ。本屋の店頭に旅行案内の印刷物がたくさん置いてある様子を見て、こう記したのだとか。自身も旅にまつわる本が大好きだという俳人の神野紗希(こうの・さき)さんが旅を詠った俳句を選んだ。
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月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず……
『おくのほそ道』の書き出しです。「古人も多く旅に死せるあり」とは、自らもまたそのようにありたいという憧憬(しょうけい)の表明でしょう。〈旅に病(や)んで夢は枯野をかけ廻る〉と詠(よ)んだ最晩年まで、彼はその姿勢を崩しませんでした。旅する文学者への憧れを表明し、その系譜に連なることで、芭蕉もまた、私たちにとって偉大な古人となり得たのです。芭蕉にとって旅とは、空間的地理的移動のみならず、詩歌の伝統を遡る時間的歴史的な道程でもありました。
旅人と我名よばれん初(はつ)しぐれ
芭蕉
『笈(おい)の小文(こぶみ)』の出立吟です。旅人と認識されることを自ら誇っている風ですね。「初しぐれ」は初冬の断続的な小雨のこと。和歌では、定めなきものとして感傷を寄せるわびの精神の象徴でした。芭蕉はその伝統を踏まえ、定めなき旅に生きる己の風狂を、初しぐれに託したのです。
この旅、果(はて)もない旅のつくつくぼうし
種田山頭火(たねだ・さんとうか)
近代の漂泊の文学者といえば、自由律俳人の種田山頭火でしょう。「この果もない旅」と書けばすっきりまとまるものを、「この旅、果もない旅」と、旅という語を二回重ねて畳みかけました。その調子が独自のリズムを生み出しています。夏も終わり、つくつくぼうしを聞きながら、いつ終わるともしれない旅を続けている作者。やわらかな秋の日差しは、その道程を明るく照らします。
私はこの句を読むとき、山頭火の経験した個別の旅を想起するだけでなく、人生もまた果もない旅のようなものだと呟(つぶや)きたくなります。旅という主題が奥深いのは、旅について詠んだ内容が、すなわち人生の暗喩(あんゆ)になり得るところです。
https://www.yuko-hisamoto.jp/trvl/pre.htm 【モーツァルトの旅】より
はじめに
「モーツァルトと旅」のページでは、モーツァルトが過ごした都市を、生まれ故郷のザルツブルク、そして、移り住んだウィーンを含め、年代順にたどります。
全体は、次の4つの部分に分かれています。
モーツァルトの足跡については、多く文献がありますが、特に、
Peter Dimond(compiled), A Mozart Diary ; A Chronological reconstruction of the composer's Life,1761 - 1791 (Greenwood Press, 1997)を参考にしました。
人生の3分の1が旅
モーツァルトは、36年に満たない短い人生の中で、およそ3分の1にあたる10年以上を、旅先で過ごしています。とりわけザルツブルク時代には、多くの国々を回り、「神童」の腕前を披露する一方、あちこちの音楽や音楽家を知り、自らの中に取り込んでいきました。
モーツァルトは、旅は人を豊かにすると考えていたようです。ですからモーツァルトは、旅をしないでザルツブルクに閉じこもっているような人を軽蔑していました。ザルツブルクの閉鎖性は、モーツァルトにこの街を捨てさせることになる、ひとつの原因となったようです。
もっとも、このような考え方は、当時として際立ってユニークだったわけではありませんでした。18世紀後半のヨーロッパは、とても人の交流が活発で、とりわけ音楽家たちは、あちこちの宮廷や貴族の館を渡り歩いていました。
モーツァルト自身、そのような世界に生き、旅また旅を続けていったわけです。モーツァルトの人生は旅そのものだったのかも知れません。
私は、このページで、モーツァルトのそのような旅の跡を、自分なりにたどりたいと思いました。いわば私にとってのバーチャル・モーツァルト・ツァーです。
もちろん、ザルツブルクやウィーンには何度も足を運んでおりますし、ほかの多くの街にも行ったことはあるのですが、まだ行ったことのないところもたくさんありますし、実際に訪れたところでも、どうしてもじゅうぶんな時間がとれず、行ってみたいスポットに行けたわけではありません。
幸いなことに、モーツァルトの足跡やヨーロッパの各都市にお詳しい方からいろいろなお話をお伺いでき、そのようなお話も参考にしながら、このページをつくっていきました。また、美しい、価値のある画像を公開しておられる方から、多くの素晴らしい画像をお借りすることができました。とくに出典を明示していない画像は、引用フリーと明示されているサイト、公的機関のサイトに掲載されてあるものを使わせていただきました。厚く御礼を申し上げます。
本当は実際にモーツァルトがたどった道筋をたどることが理想ですし、私にそのような機会が回ってくるのはまだ先のようですが、いつかは、そのような機会を持ちたいと願っています。
引用の御礼
モーツァルトの旅をたどる上で、モーツァルト、父レオポルト、母マリア・アンナが旅先から書いた手紙、そしてザルツブルクから書かれた手紙がとても大切な手がかりになります。これらの手紙については、海老沢敏・高橋英郎 編訳 『モーツァルト書簡全集』全5巻(白水社)から引用させていただきました。
また、必要に応じ、ベーレンライター社の原文、
Mozart Briefe und Aufzeichnungen (Baerenreiter, 1962)
を参照させていただきました。
厚く御礼を申し上げます。
18世紀後半のヨーロッパを広く旅し、各地の音楽事情を書き残した英国の音楽学者に、チャールズ・バーニー(Charles Burney 1726 - 1814)がいます。バーニーは、イタリア、フランスを旅し、見聞録を著した後、1772年からドイツ、ネーデルランドなどを旅行し、1773年には、各都市の表情、教会やホールでのコンサートの模様などを書き記した下記の著書を出版しました。バーニーの著書に出てくる都市は、モーツァルトが歴訪した場所と相当程度重なっており、モーツァルトが作曲、演奏した当時の事情を知る上で貴重な情報を提供してくれます。
https://www.gla.or.jp/compass/rashinban199/ 【宇宙と響き合う】より
高橋佳子
1日の生活にも宇宙全体が必要
皆さんが普段暮らしているときに感じているスケールとは、どういうものでしょう。
多くの人々の現実、その日常生活は、通勤範囲が数十キロメートルでも、およそ半径5キロメートル程度といったところでしょう。つまり、ときには数百キロメートルや数千キロメートルの遠出をすることがあっても、基本的に私たちは数キロメートルから数十キロメートルの範囲の世界に生きていると言えるでしょう。
そんな私たちですが、今月は、「宇宙と響働する」ということを考えてみたいと思います。
「宇宙と響働する」と聞くと、「とてつもなく大げさな話」という印象を持たれるかもしれません。しかし、少し考えてみれば、私たちが毎日の生活を営めるのは、自分1人で可能になっているわけではないことがわかります。そこに地域社会があり、それぞれの国家が安定し、国際社会が一定の秩序を保っていることが必要です。そして、それが可能なのは、地球環境が人間の生命を支えているからであり、地球が太陽系の中で安定した運行を保っているからでしょう。
さらに、地球の運行は太陽系の安定、銀河系の秩序によって成り立っていて、銀河系の安定は他の銀河との相互的な秩序が保たれ、宇宙全体の運行に支えられているからと言えるでしょう。
私たちが日々、当たり前のように呼吸し、地上を歩くことができるのは、ほとんど意識することができなくても、その根底に宇宙のつながりとその法則に支えられている現実があるからなのです。
呼吸すること、歩くこと、誰かと話をすること、人と協力して何かをつくりあげること……。私たちが日々行っている、それらのどれ1つをとっても、宇宙という土台、その法則なしには果たし得ないことだということなのです。
逆に言えば、私たちは日々、その宇宙の力を大前提にしながら、その力を本当には生かせず、その何万分の1しか使えていないということです。だからこそ、宇宙の力と響き合う生き方があることを、ぜひ考えてみていただきたいのです。
宇宙と響き合う道がある
スポーツの世界に、宇宙との響き合いを感じさせるときがあります。どうしてこんなプレーが可能だったのか、奇跡のように思えるプレーが現実になるときです。
ゴルフで何ホールもバーディーを連続し、10メートルを超えるパットも沈めてしまう。サッカーやバスケットボールなどのチームスポーツでも、人間離れした技の連続で試合を支配してしまうということがあります。ドリブルで何度も相手の守備陣を抜き去ってしまったり、スリーポイントシュートを次々に連続して決めてしまったり、普通ならなかなかできないようなことを軽々と成功させてしまう……。
「ゾーン(超集中状態)に入っている」「フローの状態になっている」と言われるとき、その選手は、その人自身を超えて宇宙的な助力を得ているように見えます。
もちろん、スポーツだけの話ではありません。
後から振り返ったとき、「奇跡のような道すじをたどることができた」と感じることがあります。ラクダが針の穴を通るほど困難に思えたことが実現してしまうようなときです。
「どう考えても成就はむずかしいだろう」と思っていた交渉だったのに、自分の気持ちが定まり、考え得る最善の解決がもたらされる。
新たな製品開発が八方塞がりの状況で「万事休すか」と思われていたとき、思わぬ助力者が現れ、それを解決する鍵を与えられる。
期限までにいくつもの難題が持ち上がり、「とても実行不可能」と思われたのに、次々に扉が開いて導かれ、事業に道がついてしまう……。
自分に揺るぎない中心軸が生まれ、助力者が現れ、どこからともなく道が開かれる──。そのようなとき、私たちは、自分自身を超越して、宇宙と響き合っているのです。
ただ宇宙という土台の上に生きているだけではない。宇宙の法則、宇宙の力と共鳴し、そのエネルギーと力を生かすことができる──。
「魂の学」(*1)が求め、追求する生き方がここにあります。
「人間は魂の存在である」ということは、この宇宙のつながりと響き合いながら、宇宙全体と信と応えを繰り返しながら生きることができるということなのです。
2020.09.27
〈編集部註〉
*1 魂の学
「魂の学」とは、見える次元と見えない次元を1つにつないで人間の生き方を求めてゆく理論と実践の体系です。物質的な次元を扱う科学を代表とする「現象の学」に対して、物質的な次元と、それを超える、見えない「心」と「魂」の次元も合わせて包括的に扱おうとするのが「魂の学」です。それは、私自身の人間の探究と多くの方々の人生の歩みから見出された法則であり、「魂・心・現実」に対する全体的なまなざしによって、人間を見つめ、あらゆるものごとに応えてゆくことを願うものです。
(ご著書『最高の人生のつくり方』50ページより引用)