俳句スクエア 二〇二一年 同人年鑑
俳句スクエア 二〇二一年 同人年鑑 オンデマンド (ペーパーバック) –
2021年における「俳句スクエア」同人の作品、鑑賞、エッセイ、評論などを総括した年鑑。
目次
一、巻頭言 五島高資・・・6
二、同人作品 五島高資/石母田星人/朝吹英和/服部一彦/松本龍子
加藤直克/十河智/眞矢ひろみ/大津留直/干野風来子
松尾紘子/生田亜々子/珠雪/於保淳子/和久井幹雄
児玉硝子/阪野基道/平林佳子/眞島裕樹/大久保俊克
野島正則/石川順一/石田桃江/毬月/歌代美遥
菊池宇鷹/中川洋子/今井みさを・・・8〜36
三、同人作品鑑賞Ⅰ 石母田星人・・・38
同人作品鑑賞Ⅱ 朝吹英和・・・46
同人作品鑑賞Ⅲ 松本龍子・・・52
同人作品鑑賞Ⅳ 五島高資・・・60
四、エッセイ 「両極を往還するもの」朝吹英和・・・71
「深雪」珠雪・・・76
「家の五〇年、庭の五〇年」十河智・・・78
「北岳よ永遠に」干野風来子・・・79
五、評論 「芭蕉とモーツァルトは宇宙の響きを掬い取った」朝吹英和・・84
六、編集後記 朝吹英和・・・90
http://kodaibungaku.seesaa.net/article/480859673.html 【シンポジウム「古代文学における〈両極〉」】より
【趣意文】
古代文学研究会では、大会や例会、また、機関誌『古代文学研究第二次』によって、古代文学のありかたを問い続けてきました。この度、第三〇号を迎えるにあたって、これを特集号とし、特集テーマとして「古代文学における〈両極〉」を設定することにいたしました。 古代文学は、様々な対立概念によって構築されているということができます。たとえば、「都と鄙」「男と女」「和と漢」といった〈両極〉は、多くの文学において、基本的枠組みを作り上げています。また、これまでの研究史においても、文学の中に潜んでいる「物語と史実」「身体と心」「パロールとエクリチュール」といった〈両極〉が発見され、それらが手掛かりになることで、文学のもつ価値が読み解かれてきました。しかしながら、これらの〈両極〉は、単に相反するものとして存在しているわけではありません。〈両極〉は、互いに対立しながら、互いに協調しつつ存在しています。〈両極〉からこぼれ落ちるものや〈両極〉の外側を考えてみることもできれば、このパラダイム自体を論じることも可能であるはずです。 そこで、こうした発想の枠組みを改めて取り上げることによって、これまでの研究史で議論されてきた、いろいろな「両極」をふりかえりつつ、新たな一歩を踏み出すことを目指したいと考えました。個別の作品や研究領域に細分化を極めた息苦しい現在の研究状況に対し、〈両極〉を問うことにより、架橋し風穴を空けたいという壮大な願いも込めています。
https://www.kongohin.or.jp/blogs/3613.html 【「五大に皆 響き有り」】より
いつもお世話になっているお寺さまで、五智如来(五仏)の開眼法要がありました。
五仏とは、宇宙の中心であり真理そのもの大日如来。
鏡のようにすべてを映し出し、清らかな信仰心の阿閃如来。
世の中をよく観察し、正しい姿を大慈大悲の智徳で示す阿弥陀如来。
すべての存在に価値を認め、その利益を本願とする宝生如来。
必ず、必ず、すべての円満成就を示す不空成就如来。
凜とした奈良の山の中で由谷倶忘大仏師によって3年の年月を経て完成した五仏を、本堂に安置して立体的な曼荼羅を表現した総開眼法要・・・。
大日如来を万物の根源として、壮大な真言密教の宇宙観を羯磨曼荼羅で表現したものです。
しかも「密教伝来ー五智如来讃嘆」と称した、弘法大師さまの「言葉」を通して、真言宗の教えとその流れを朗読、オーケストラ、声明で展開される創作法要でした。
人であれ動物であれ植物であれ「あらゆる世界のあらゆる存在は、すべて仏さまの言葉で成り立ち、それぞれが響き合って共鳴している」と言います。
空があり、太陽があり、谷があり、水があり、山がある。
鳥が鳴き、風を感じ、そして自分がいます。
それぞれの森羅万象の波動が響き渡り、そこに「存在」するという奥深さを、あなたは感じたことはないですか?
それが大日如来の説法であり、弘法大師の「五大に皆 響き有り」というすばらしいお言葉です。そんな、心地よい「響き」に酔いしれた法要でしたね。