観音寺葉月(3話)
「だから私は、ずっとここで1人で歌うだけでいいのです。歌うのは好きですから」
葉月はそう言って微笑みながら庭園を眺めた。
葉月のさらさらの細い髪が春風になびく。
円はそんな妹の姿を見ながら呟いた。
「……やっぱり勿体ない」
「えっ…」
「私は葉月の歌をたくさんの人に聞いてほしいの」
今の会話で、思っていた以上に自分は葉月の歌が好きだったのだと気付かされた。
あの大好きな歌声を、ここだけに留めておくのは勿体ない。
「あんたの歌声は透き通っていて、だけど芯があって。絶対に多くの人に感動を与えられる」
だって身近な存在の私が言うんだもん間違いないって、と言いながら円はジーンズのポケットからスマホを取り出す。
歌手以外でもいい。何か、この子の歌を世界に届ける方法は。
必死に検索ワードを何度も変えながら調べる。
すると、1つのオーディション情報にたどり着いた。
「これだっっ!」
「びゃっ」
思わず立ち上がって大声を出してしまった。音に敏感な葉月の体がびくっと上下する。
「これよ。葉月、アイドル目指しましょ」
葉月は思わず耳を疑った。この家では誰も口にしない言葉だ。おそらく両親はサブカル文化をあまり良く思っていない。
だからこそ信じられないのだ。
「何言ってるんですの?そんなの無理ですわよ」
「アイドルなら歌も歌えるし、何よりグループだから仲間がいる。あんた1人だと恥ずかしくて、怖気付いて歌えないわけでしょ?それを一緒に頑張って、サポートしてくれる存在がいたら絶対歌えるって」
円は一度夢中になるとまわりの話が入ってこない。葉月は姉のこういうところも嫌いだ。
「お母様たちが許してくれるわけないでしょう。もうすぐでお帰りになる時間ですわ、部屋に戻りましょうよ」
葉月はぐい、と円の腕を強引に掴んで立ち上がらせた。これ以上変な夢物語は聞きたくない。
しかし円はその手を掴み返した。
「歌が好きなんでしょ、その気持ちがあればきっと大丈夫よ。お母様たちだって、あんたの歌は好きだもの。ちゃんと話せばわかってくれるわ」
「えっ!?」
途端に葉月の顔が耳まで真っ赤に染まる。
「えっ、お、お母様たちにも聞こえてたんですの!?!?」
「うちみたいな防音も何もない襖でしか隔てられてない家で大声で歌ってたら嫌でも聞こえるって」
円は知らなかったの?と小首を傾げる。
「し、し、知ってるわけないでしょう!!あぁ、もう終わりです、恥ずかしすぎて今夜食卓に行けませんわ」
葉月はへなへなと床に崩れ落ちる。今度はそれを円が起き上がらせ、ずるずると引きずりながら居間へと向かった。
「じゃあもう大丈夫じゃない。人に歌を聞いてもらうのって結構楽しいものよ」
自分が歌ったわけでもないのに、また適当なことを言う。
ほら、お母様たち帰ってくるなら説得の準備しよう、とこちらの意見を聞かずにまた勝手に物事を進める。
嫌いだ。
睨むような目つきで頭上にある円の顔を見上げた。
円の頼もしい表情が目に映る。
そしてすぐに視線を逸らした。
やっぱり嫌いだ。
心の中でそう呟きつつも、葉月の頬はまだ少し紅く染まっていた。
アイドルか。
ちょっとやってもいいかも、と思ったのは円には内緒にしておこう。