俳句で巡る 日本の樹木50選
https://ameblo.jp/tansioremon2/entry-12696813388.html 【『俳句で巡る 日本の樹木50選』 広渡敬雄著】より
『俳句で巡る日本の樹木50選』 広渡敬雄著(本阿弥書店)
「俳壇」に連載されていたシリーズを書籍化されたものです。
長年にわたり全国各地を訪ね、踏破してきた著者が、多くの出会った樹木のなかからえりすぐった50選をピックアップしたもの。その意味では、「樹木の俳枕」を集めたものとも言える一書です。カラーの写真も美しく俳人としてばかりではなく、観て楽しめるページばかり。土地の歴史、文化にふれながら琴線に響く句をあげながら詳細な解説をしてくれます。日本山岳会会員であればこその紙面です。つい引き込まれてしまう癒やしの時間を提供してくれます。
「最近の俳句では、樹木も含めた自然が詠まれることが少なくなった。我々は少しでも自然に目を向けその一員であることを自覚し、その素晴らしさとともに恐ろしさも知るべきでだとも思う。」とあとがきで述べておられます。まさに至言。
手元に置いて、季節折々、作句のきっかけにしたいと思います。
ご恵贈ありがとうございます。
https://blog.goo.ne.jp/kitamitakatta/e/1b2353d6913921b403dfbbdb9fbb7a4d 【俳句で巡る日本の樹木50選】より
筆者から届いた。句集ではなかった。雑誌『俳壇』に寄稿したものをまとめた一書。
本の題名から、目次に、杉、椿、楠、水楢、落葉松、檜、ポプラ、白樺、銀杏、松……と紹介されているのは当然であるが、この樹木の並びの中に、魚付林 豊かな漁場を育む森林
都会のオアシス<永遠の森>を目指した人工林 防風屋敷林 出雲や礪波・十勝平野の防風林などの、地域、植生に関するテーマが散らばっているのが目を引く。さらに、
植林杉 秩父の林業家俳人・引間豊作を取り上げていることに目を瞠った。引間豊作は鷹同人であった。すでにこの世にないと思うが林業の俳句をよく書いた。
造林を一途に生きて斧始 豊作
伐採のしよつぱな春のみぞれ来る 豊作
広渡が敢えてそう有名でない山奥の引間豊作を紹介したのに驚いた。引間の飾らない句風は広渡の句風と似通っていて愛着を感じたのかもしれない。
とにかく日本をよく歩いて見て書いていて、労作である。
https://blog.goo.ne.jp/kitamitakatta/e/c7e6b2f1994ce46d9d7c0275b6341e67 【広渡敬雄の誠実な吟行句】より
『俳句で巡る日本の樹木50選』の著者、広渡隆雄は日本中を歩いて行く先々で句を書いている。この本には彼の吟行句が詰っている。鮮やかなレトリックを駆使するのではなく、とにかく丹念に歩いて見て俳句をつくっている。愚直といっていい姿勢。その中から気になった句をいくつか取り上げて著者へのはなむけとしたい。
みづならは綿虫の来る淋しい木
奥多摩。水楢の実はすんわちどんぐり。どんぐりも葉も落ちたころ綿虫がやって来る。
空かたき十一月のポプラ見よ
北海道大学。葉の美しいポプラは青嵐の素材として映える夏のイメージが強いが幹と枝だけの立ち姿もいいだろう。命令形にはっと冬のポプラが見える。
観兵碑へ雀隠れを踏みてゆく
神宮外苑、聖徳記念絵画館前。作者が「銀杏並木の賑わいとは裏腹に、御観兵碑を訪ねる人はまばらである」と記す。碑文には興味がないが作者の執念に拍手。
涼風や芭蕉翁とて四十六
草加松原。「奥の細道」で芭蕉が通った場所である。46歳は今は働き盛りだが当時は晩年。翁の健脚を励ます涼風を感じたのである。
雷鳥の潜る這松霧雫く
北アルプス・薬師岳。しまいに「霧雫く」が来て作者はまこと実直である。雷鳥は這松を潜るし霧は雨のようにしたたる。高山の濃霧に読み手も濡れたような錯覚に陥る。
稚鮎汲み盥しばらく草の上
湖西高島市マキノ町。静かな草の上に置いた稚鮎の盥。その中の水と稚鮎が動くひとときの平安。
蚊遣香腰につけたる漆掻
奥九慈・大子町。蒸し暑い中での作業で汗の匂いに敏感な蚊が寄る。それを防ぐ蚊遣香。それでも刺されそう。
東京マラソン芽起し雨となりにけり
西新宿。作者が季語とした「芽起し」は「木の芽」「芽立ち」の傍系にもない。いわば季語の改変なのだがこの句にかぎり決まっている。誠実な作者のこの逸脱に驚いたが、「東京マラソン」と「芽起し雨」の取り合せは秀逸である。
桃配山から来る鶫かな
関ヶ原・光成陣地。家康軍が陣取った桃配山、そこから一斉射撃のように鶫が来た。地名は俳句に入れるのが難しいがこの地名に作者が味わいを感じたのは理解できる。
茶畑の前山高し日脚伸ぶ
牧之原台地。「茶畑の前山」がおもしろい。茶畑は起伏が多い山間地にあったりするので作者は山と感じたのである。
観測所より雪焼の男出づ
北アルプス・乗鞍岳。ここにあるコロナ観測所に職員が5月から10月末までつめるらしい。シンプルにして見える句である。
椴松や熊の爪痕鋭く深く
富良野市・東大演習場。椴松(とどまつ)はマツ科モミ属の常緑針葉樹で北海道ならではの樹木。熊の存在が無気味である。
初しぐれ鞴(ふいご)祭の近づきぬ
出雲。古代出雲は大和に対峙した一大勢力があったとされる。斐伊川から出た鉄の加工に秀で、刀剣類が数多出ている。鞴は火に風を送る装置である。郷土色豊かな句。
裏返りつつ沢蟹の遡る
大阪府箕面の森。水の流れに押されるのだろう。七転び八起きの奮闘である。よく見ることが情であり俳句であると感じさせる一句。
東京は西に山なす新酒かな
神田界隈。そう東京は西に2017メートルの雲取山をはじめとする山塊が控える。これに「新酒」をつけたのはちょっとした驚き。多摩地方には酒蔵も結構ある。
啄めるかほの小さしななかまど
蔵王山。小生はずいぶん山を歩きななかまどの紅葉も見たがこの景色を知らない。鳥が啄んでいるでは話にならないが「かほの小さし」と絞ったことで作者自身の小鳥にした。今回取り上げた句のなかで、東京マラソンとこの句は双璧であると思う。
https://sectpoclit.com/hirowatarijumoku/amp/ 【樹木で学ぶ日本の輪郭――広渡敬雄『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店、2021年)――】より
俳句は足で稼ぐものだ、といわれる。
机の上でうんうんと唸っていてもいい句はできず、身の回りの景色や音に身体をひらいてこそ、言葉に息が吹き込まれる。とくに初学のうち、季語になっている植物などの知識がなければ、積極的に山や野原に吟行に出かけることで、だんだんと勘が身についてくるというものだ。
しかし、これほどまでに「足で稼いだ」本というのは、なかなかお目にかかれないだろう。巻末には、「日本の樹木50選 最適地分布図」が添えられているが、すべて作者みずからが訪れた地であり、北は富良野、南は沖縄本島まで、それが全国各地に点在している。
もともと旅行や歩くことが好きな著者なのだろうが、そこにかけられた時間と体力はそれほど強調されることなく、本としてもコンパクトで軽々とした一冊となっている。連載時はモノクロだったが、オールカラーで写真が見られるのもうれしい。
「50選」は連載時と同じくすべて見開きで、植物の特徴や歴史の記述からはじまって、その植物を詠んだ句がまず6、7句程度紹介される。そして、それら一句ずつに対して簡潔な鑑賞(説明)が添えられている。ここまでが、前半である。
後半は、著者みずからが訪れた「最適地」の記述に入る。たとえば、「杉」なら熊野古道、「ポプラ」なら北海道大学、紙の原料となる楮・三椏であれば「越前」といった具合だ。そして今度は当地の句が6、7句程度紹介され、さらに一句ずつに対して同様の鑑賞が付け加わる。以上が、見開きの基本フォーマットだ。
こういう本は本当にありがたい。植物の種類や鳥の鳴き声というのは、やはり経験を重ねていかないと、どうにもならないからだ。よく言われることだが、近年の傾向として、かつての「風土俳句」がねざしていたような自然詠というのは少なく、社会や人事を詠んだ句が多い。もちろんその楽しさもあるのだが、しかし俳句が自然を相手にする以上、自然を学ぶことはやはり必修科目なのである。
ちょっと小難しい話になるが、横道にそれてみよう。俳諧が発展を遂げた江戸期において、植物学にかんする知のベースになっていたのは、『本草綱目』である。明朝、つまり16世紀に編纂された中国の書物で、いわば薬草のデータベース。これを林羅山が長崎で入手し、実学重視かつ多趣味だった徳川家康に献上した。こうした知のフレームが、現在でいう百科事典である『訓蒙図彙』などにつながっていく。
しかし芭蕉から一茶まで、俳諧のなかにこのような「博物学=自然史的」なまなざしというのは、見出すことができない。それよりもずっと、過去の文学的テキストのなかで、どのように記述されているかのほうが、圧倒的に重要だった。科学と文学で出会うことは、江戸時代にはまだなかった。
両者が出会うにはおそらく、牧野富太郎(1862-1957)が改造社版『俳諧歳時記』に協力するのを待たなければならなかったのではないだろうか。牧野は『牧野日本植物図鑑』に代表される仕事を残したことで知られ、「日本の植物学の父」と称される。小野蘭山(1729-1810)が著した日本最大の本草学書『本草綱目啓蒙』との出会いから、本草学を植物学へと脱皮させた人物だ。
改造社版『俳諧歳時記』が出版されたのは昭和8年、つまり1933年のことで、質量ともに日本初の百科事典的な歳時記であった。そのあたりの事情は、たとえば橋本直さんの「近代俳句の周縁 1 〈豊かな時代〉の網羅主義 昭和八年刊改造社『俳諧歳時記』」などを読んでいただきたいと思うが、牧野のほかにも、「時候・天文」を気象学の国富信一が、「宗教」については神道史学の山本信哉が、「動物」については寺尾新が、執筆している。
そのような専門知は、文芸である俳句で重視すべきなのだろうか。楽しく俳句をやりたい人にとっては、このような「お勉強」は堅苦しいものであろうし、知識があれば、いい句が作れるかどうかというのもまた別の話だろう。しかし、まったく何も知らなければよいかというと、そうではない。一言でいえば、俳句の世界が「小さく」まとまってしまう危険性があるからだ。先ほど述べたように、人事詠がメジャー化している現在ならなおさら、である。
本書には、そこまで専門的なことが書かれているわけではない。あくまで「必修科目」の教科書という体である。俳句を嗜む方が、座右においても損はない一冊だ。旅行のミニガイドにもなるし、佳句を知るのにも役立つ。
もうひとつ本書のいいところは、タイトルに「日本の」とありながらも、その境界線に意識的だということである。詩人の藤井貞和が、その日本語論のなかに「アイヌ語」を取り入れているのと同様に、ここで扱われている樹木はすべてが「純国産」というわけではない。ハイビスカスもあるし、オリーブも、ザクロもある。
夏の季語である「泰山木」が、明治初年に北米からやってきた渡来樹であることなど、それほど知られていないだろう。「檜」が福島県以南と台湾にしかない――というよりも台湾にはある――ということも知らなかったし(だから福島県の入口には「檜枝岐」があるのだ)、「梛」は伊豆が北限である神木であることもまた、知らなかった。樹木を知ることは、文化を知ることにつながる。
そして最も大事なことだが、文化を知ることは、狭い意味での「日本」に閉じこもることではない。むしろその輪郭のあいまいさと多様性を知り、日本のイメージを複数化していくことである。
やや心配なのは、地球規模で問題になっている地球温暖化である。それによって、ここに記述されている内容が影響されやしないか。俳句に関心を寄せるわたしたちには、いったい何ができるのか。樹木の今昔を知り尽くしている作者だからこそ、俳人として、樹木の「未来」についてもぜひ語っていただきたい。
【執筆者プロフィール】
堀切克洋(ほりきり・かつひろ)
1983年生まれ。「銀漢」同人。第一句集『尺蠖の道』にて、第42回俳人協会新人賞。第21回山本健吉評論賞。2020年9月より「セクト・ポクリット」を立ち上げて、不慣れな管理人をしております。