つる植物の右巻きと左巻き
http://forests.world.coocan.jp/flora/issue/issue-1.html 【特集-Ⅰ つる植物の右巻きと左巻き】より
日本語の「右巻き、左巻き」については、各分野の学会で定められた「学術用語集」によるべきであると述べた。(ヤマフジのつるは左巻き?) ところが、それだけでは片付かないとのご指摘があったので、今一度、巻き方向の定義と、その背景について改めて整理する。
巻き方
つる植物の巻き方の呼称について、現在の主要な植物図鑑と古いものでは異なっている。 この違いは、観察者の視点を何処に置くかということに由来している。 学術用語では、dextrorse と sinistrous が用いられるが、もともと、回転方向ではなく、進行方向の左右を表わしている。 つまり、右に動けば dextrorse、左に動けば sinistrous である。
植物の場合は、つる植物の「らせん運動(構造)」を回転軸から外に向けて見る立場と、らせんの外側から見る立場の二通りがあり、混乱を生じさせていた。 例えば、A.P. de Candolle などは前者の伝統的立場、G. Bentham や Asa Gray らは後者である。 植物図鑑の作成でこの分野の牽引役となった牧野富太郎は、後者の立場をとりながら、dextrorse を「左巻き」と意訳していた。
(略)
改訂新版 日本の野生植物 2** 2016 右巻き 左巻き 左巻き
* 第6巻 p.296-297の植物形態チャートにある「つるの巻き方の模式図」に当てはめると「右巻き」
** 巻頭に[つるの巻きかた]の図解がある
命題: アサガオ、ヤマフジのつるの巻き方向を「右巻き」と呼ぶか、「左巻き」と呼ぶか
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簡潔版
要旨:つる植物が支持木に巻きついて生長する方向は、観察者から見て右向きか、左向きかで区別される。 このとき、観察者がつる植物の「らせん構造」を外側から眺めるか、内側から眺めるかで反対の表現になる。これが、混乱の原因である。 ところが、日本の場合は、視点の置き方の違いではないようだ。 牧野(1913)はアサガオの巻き方向を「学術用語ではDextrorse、日本の慣用語では左巻き」と書いている。 この表現では動物学や地学、工学の学術用語と逆になることから、異論があった。 日本植物学会(1956)が「学術用語集植物学編」を作成した際に、dextrorse と sinistrousを、字義通りに、右巻き、左巻きと訳したことにより、混乱は決着した。
表1の通り、日本の伝統的な表現ではアサガオのつるの巻き方向を「左旋・左纏」と表現している。 これは、ラテン語由来の学術用語を併記した牧野富太郎(1913)の植物記載学によれば、dextrorse に相当する。 この時代に、牧野の植物記載学に匹敵する詳細な用語集は見当たらない。 この定義は、1940年に刊行された牧野日本植物図鑑の「植物学述語ト其小解」でも用いられ、植物学用語の標準となったと考えられる。
表2.つる植物の巻き方向の表現の時代変遷
植物の例 発行年 著者:文献 日本語 学術用語
すべて 1709 ① 貝原益軒:大和本草巻の一、論物理 左旋 なし
あさがほ 1913 ② 牧野富太郎:植物学講義第2巻(植物記載学 後篇) 左纏 dextrorse
例示無し 1956 ③ 文部省(日本植物学会):学術用語集 植物学編 右巻き dextrorse
牧野(1913)は、左巻きの定義の説明に「原語ノDextrorseハ右ト云フ字ト囘轉ト云フ字ガ合シテ成レルモノニシテ、 字面通リ譯セバ右纏トナルベケレドモ、 其ノ意味ハ右ヨリ左ニ囘轉スルコトナリ。 故ニ日本ノ慣語ニテ言フトキハ、左巻キ即チ左纏ナリ。 即チ西洋ニテハ上ノ「右カラ左ヘ」ノ上半ヲ用ヰテ右ヨリ廻リ来ル意ニテ呼ビ、 我ガ邦ニテハ其ノ下半ヲ用ヰテ左ヘ廻リ去ル意ニテ呼ブナリ。」という文章を付けている。
牧野(1913, 1940)によれば、アサガオの巻きつき方向は“dextrorse”であって、Jackson (1928) が Glossary で述べた伝統的な定義の“sinistrous”ではない。 これ以降の日本の文献で、アサガオの巻きつき方向を“sinistrous”とした例は見つからなかったことから、牧野の定義は広く受け入れられたと判断される。
(アサガオのつるを左巻と定義すると、巻貝やネジの外観と反対になることから、おかしいとの声があった。)
日本植物学会が、9年の歳月をかけて作成した「学術用語集植物学編」では、“dextrorse”を「左巻き」ではなく、「右巻き」とした。 これは、他の分野の学術用語集、及び一般の英語辞書との整合性を考慮すれば当然である。
従って、現代の学術用語では「アサガオのつるの巻きつき方向は右巻き」 となる。 実際に、学術用語集植物学編(増訂版)の刊行(1990)後に執筆された図鑑等で、逆の表現が標準であると主張した例は見当たらない (例外あり、詳細版参照)。
巻き方の判定
(1) 支持木に巻きついている「つる」を外から見て、右方に向いていれば「右巻き」
(2) 「つる」の伸張方向を出発点(下)から見て、時計回りならば「右巻き」
https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=0089 【蔓を伸ばす植物の巻き方】より
質問者: その他 池田公昭 登録番号0089 登録日:2004-06-21
自給農園を自然農法や有機農法によって営んでいます。
蔓を伸ばしてからみつきながら伸長する植物の、蔓が巻き付いていく様子を見て不思議に思うのは、蔓の巻き方向です。
例えば自然薯で、巻きつかせるための支持棒を垂直に立てたとしますと、天に向かって時計回りで巻いていきます。
いたずらで左巻きに誘引しても、なんとしても右巻きになろうという意志が感じられます(^^;
巻き方向を決めているのはどういう仕組みからなのでしょうか?
左巻きが得意なものもあるのでしょうか?
南半球で栽培すると、反対になったりするのでしょうか?
池田公昭様
蔓はほとんどの場合、茎が進化したもので、その巻き付く方向は植物種により右巻きか左巻きのどちらかに遺伝的にきまっています。巻き方向の左右性は、植物の生育条件や生育場所(北半球や南半球)には影響されない、その植物種固有の性質です。
根や茎などの軸器官の細胞は、細胞分裂により細胞がうまれた最初は立方体に近い形をしていますが、軸器官が伸びるに従い、細長くまっすぐに伸び、最終的に長い円柱状の細胞になります。すなわち、細胞が一定方向にまっすぐに伸びるおかげで、根や茎という多くの細胞で構成される軸器官がまっすぐに伸びると考えられます。一方、蔓などのねじれて伸びる器官では、本来ならばまっすぐに伸びるはずの細胞が右または左のどちらか一定方向にわずかに傾いて伸びる為に、右巻きや左巻きの蔓になります。
それでは、細胞がまっすぐに伸びたり、右や左に傾いて伸びるのは、どういう仕組みによるものでしょうか?遺伝子解析が容易なシロイヌナズナという実験植物のねじれ変異株の研究から、微小管という細胞骨格が重要な働きをしているらしいことが最近解ってきています。シロイヌナズナはつる性植物ではありません。従って、つるを持ちませんし、根や茎といった軸器官もまっすぐに伸びます。しかし、根や茎がねじれて伸びる変異株がいくつか発見されました。興味深いことに、これらのねじれ変異株は変異株により右巻きか左巻きのどちらか一方にのみねじれ、ねじれ方向は無秩序ではありません。ねじれ変異株の原因遺伝子はすべて微小管の構成成分や微小管の働きを調節する因子であり、微小管の働きが通常とは異なったおかげで、細胞がまっすぐに伸長できなくなり、右または左に傾いて伸びることが解りました。
植物細胞はセルロース繊維などで構成される堅い細胞壁に囲まれています。細胞が膨らむ時には細胞壁はゆるむことが必要ですが、ただ一様にゆるむだけでは風船が膨らむように丸い細胞ができてしまいます。細胞が細長く伸びる為に、伸長方向に対し直角にセルロース繊維が並び、細胞の側面にぐるぐると円を描くように巻き付いています。ちょうど、樽の側面をはがねで締め付けているような感じです。この時、細胞が膨れようとすると、横方向には膨れることができず、縦方向にのみ膨れる、すなわち細長く伸長することになります。セルロース繊維は細胞の外側にある細胞壁に作られるため、その繊維がどの方向に並ぶかは細胞の内側からコントロールしなければなりません。長年の顕微鏡観察により、伸長している植物細胞では、細胞膜の内面にへばりついている微小管(表層微小管と呼びます)がセルロース繊維と同じ方向に並んでいることが解り、この表層微小管が細胞膜を隔てて、細胞壁のセルロース繊維の並び方を決めている、すなわち細胞の伸長方向を決めていると考えられるようになりました。
面白いことに、右巻きのねじれ変異株では表層微小管は左巻きのヘリックスを作るように傾いて並んでおり、一方、左巻きのねじれ変異株では反対に右巻きヘリックスを作っていました。図を描いてみると理解しやすいのですが、左巻きの微小管は細胞の外側から見て右斜め上方向と左斜め下方向に伸長する力がかかると想像されます。右巻きの微小管ではこの逆です。すなわち、細胞が右または左に傾いて伸長するのは、表層微小管の並び方によって決められている可能性が強いことが解ってきました。微小管の働きがどのように変わった時に、微小管が右巻きや左巻きのヘリックスを形成するのかは、まだ解っていません。
植物細胞がまっすぐに伸びるのは、微小管細胞骨格の並び方が厳密にコントロールされるおかげであり、このコントロールが少しでもおかしくなると、細胞は右または左に傾いて伸びてしまいます。つる性植物は進化の段階で、植物が元来備わっている微小管コントロールの仕組みを少し変えることにより、積極的に右または左の一定方向に傾いて蔓を伸ばすようになり、支柱に巻き付きやすくなる性質を獲得したものと想像されます。
回答者 橋本 隆
奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス研究科