なぜドイツではエネルギーシフトが進むのか
ドイツ、ハノーファーに住むジャーナリストの田口 理穂さんがドイツのエネルギーシフトの現状や、自身が住むハノーファー市のエネルギーシフトの取り組み紹介した本です。(御存知の通りドイツは欧州の中でも再生可能エネルギーへの取り組みが先進的な国として知られています。)
ドイツではエネルギー政策は、連邦経済エネルギー省の管轄です。この省のホームページに、(ドイツの)エネルギーシフトの要旨についてに次のように説明されています。「エネルギーシフトとは、安全できれいな未来への我々の道である。再生可能エネルギーを推進し、エネルギー効率化を進め、原子力発電から脱却する。エネルギーシフトとはエネルギーを持続可能につくりだし、ドイツを世界で最もエネルギー効率がよく、環境にやさしい市民経済にすることである。」 そして、*脱原発を可能にする。*石油やガスの輸入から脱却する。*工業国であるドイツの成長と雇用に寄与する。*環境によくない排出ガスを減らす。*持続可能エネルギーは経済的でもあることを証明する。と具体策が定められています。
ドイツの再生可能エネルギーの特徴としては、市民参加が多いことです。特にエネルギー共同組合という、発電設備を建設運営する組織がドイツ国内にすでに970以上存在(2014年現在)していて、この組合の九割が電力の供給や小売りを手掛けてます。この組合組織のメンバーは、エネルギー運営理念に共感する地元市民で、しかも出資費用も小額からの出資が可能なのです。そして、エネルギー共同組合で発電する電力の多くが地元地域で消費にされています。地元市民が、自分達で地域のネルギー政策を考え、地元の環境保全や資源の有効活用にも目配りが出来、その結果、地元の経済活性化を促すことになります。
一方、日本では、九つに分けられた地域(沖縄を入れると十)のそれぞれに電力会社が存在し、その地域で発電、送電、配電を独占的に支配・運営する一極集中型となっています。日本においては、電力における原子力政策は国策とされ、1950年代から政治家、官僚、そして、電力会社が一体となって開発の青写真をつくり、技術開発を進めて来ました。
また、地域独占や総括原価方式(総費用に適正利潤を加算した独自の電力料金計算方法)による電力料金の設定などで黒字体質化した日本の電力会社は、強力な広告主としてマスコミにも影響力を行使するようになり、原発は安全であるというイメージ、「原発の安全神話」創られて行きました。このように、日本では福島の原発事故が起こるまで、原子力開発や原発建設に関わる事故や危険性が、国民が十分に知らされてこなかった歴史があるので、福島の原発事故以降も、ドイツにおける反原発活動のような市民運動は、全国的で活発な広がりは見せていないようです。(*)
著者の田口さんは、(本書で)自らが住んでいるハノーファー市の環境政策を紹介しています。ハノーファー市は北ドイツ、ニーダーザクセン州の州都で人口およそ52万人の工業都市です。1990年に市議会で脱原発を決め、原発の電力を市内に入れないという決断をしている。市内の電力の半分は地元の電力公社からの自家発電で賄い、残りを外部から購入。計算上は、外部からの電力の7.5%は原発の電力が混じっていることになりますが、しかし外部からの電力を周辺町村にも供給しているので、理論上は原発フリーを実現しているのです。同市は、2050年までに、地元の再生可能エネルギーだけで市内のエネルギーを賄うことを目標に、フレキシブルに風力や太陽光エネルギーを抑制するシステム、蓄電・蓄熱の技術、エネルギー効率化の徹底化、風力発電を最大に効率よく行える立地の確保、ソーラーパネルを設置する建物や壁の選定、産業や生物処理の過程で生まれる熱の利用調査などを行っていて、周辺21市町村と協力すれば、再生エネルギーですべて賄えると試算したのです。同市では、街灯LEDの実験を行い、今後既存ランプの寿命に合わせ、徐々にLEDに切り替え最終的には市内街灯のすべてをLED化する計画を立てています。(また、ドイツでは、「節電による余剰電力が、発電所を建設するのと同じくらい効果がある。」という考えで、市民や事業所に節電を呼びかけ需要を供給にあわせる節電行動を「節電所」をつくる、とか、「節電発電所」を実施する、とかいう言葉があるそうです。) 100年以上も前から、送電線や地域暖房を市民組合が運営してきた実績があるドイツの小型分散型発電は、各地方、地域毎の地産地消型のエネルギー消費に寄与する運営形態になり、また、住民の環境意識にもポジティブな影響を与えられる、まさにSustainable/持続可能なエネルギー消費の在り方だと思いました。
著者は、「あとがき」において、日本とドイツは同じ敗戦国で、戦後大きな復興を果し、技術力が高く、職人仕事に秀でているなど共通点が多いが、しかし社会全体でみるとかなり違っている、といいます。例えばドイツ人は政府の言うことを疑ってかかり、デモをよく行い、家族との時間、自分の生活を大切にするが、日本は長いものにまかれ、従順で、労働時間が長い。。。 そして、この違いは、ドイツ人の場合、ナチスの教訓、つまり「市民は何も知らなかった、政府のいうことに従っていただけ」という言い訳を二度としないよう、教育の中で過去の過ちについて学び、自分の頭で考える訓練をしているからだ、と考えています。「(ドイツ人はチェルノブイリや福島などの)原発事故を見て、市民は脱原発を求め、再生可能エネルギー推進のための行動を始めた。エネルギーシフトは下からの運動であり、それが政府を動かしたのである。ドイツのエネルギー政策は政権が変わるたびに、方針が右往左往してきたが、目標を定め直実に前進している。」(著者)
最後になりますが、原子力発電というと、ドイツはよくフランスから原発の電力を輸入していると批判されますが、2001年以降、ドイツでは、電力輸出が輸入を超過しているのでこの批判は当てはまらない、と著者は指摘しています。
(*)次回、このブログでも紹介しますが、「電力と政治/日本の原子力政策全史」(著者/上川龍之進)(上・下)を読むと、政治家、官僚、電気会社が一体となって、また時にはお互いがけん制し合いながら日本の原子力政策を推進してきた歴史がわかります。