思考の川
今日はなんだかすごい風の日。
寒いのもあれなんですが、風が強い日はほんとうに外に出たくありませんね。
今、旦那の車は修理が必要で乗れず、代わりにわたしの車を旦那が仕事に乗って行きわたしはここ数日交通手段がなくて買い物もままならぬかんじの日々。
だからそれもあり、今日はずっと家の中でした。
とはいえ大風の外をしりめに家の中でゆっくり自分のことができた良い1日でございました。
今日のイラストです。
「思考の川」
無数の考えやアイデアが見えない川を流れていく。
人も動物も、生きとし生きるものすべてはここからそれらを取り出して
自分の世界をつくっていく。
それは当たりくじを引くときのように
どちらかというと何も考えずに取り出す方がうまくいく。
さて、先日のことです。
旦那にたとえば今いるお母さんが亡くなったらさみしくないのか?と聞いたら「さみしくない」とのこと。
「あんたがおるでな」な〜〜んて、言ったと思ったら、「でもやっぱり、おれは一人でもさみしいとかはないやろな」ということです。
そういえばお父さんが亡くなったときも涙ひとつ見せなかったっけ。
いつぞやそれは、親というものは自分より先に行くのが当たり前だからということを言っていたっけ。
ちなみに弟さんが亡くなったときは泣いていたと思う。
なかなかクールではあるけれど、わたしはぜんぜんそれでいいと思うのです。
こうみえてあまり感情的なのは苦手だったりするもので。
わたしも一人になりたいと思うことは多いし、ひとりになってもやりたいことはきっとたくさんあると思うから。
そのてんわたしもけっこうクールだろうなと思っていたんだけど、でも1年半前にモンちゃんがいなくなって人生の中ではじめて味わったあのどうしようもないさみしさを体験してしまうと、もしかしてわたしは今よりもっと年をとって一人になったらとてもとてもさみしいと思うかもしれないというふうに思えるようになりました。
何気ない日々も手の届かない過去となったら、ほとんどが美しいものになっていくのだもの。
でも、さみしいからといって若い頃のように大勢の友だちと家でわいわいっていうのは、もう何か違うというのもわかってる。
何で埋めて行くかは、やっぱり創作だろうなと思います。
もちろん、大切なお友達との静かな会話もきっと有効だと思います。
自分の中にはいろんな自分がいます。
「わたしはこうだ!」という強いしばりで生きていないというのもその理由かもしれないけど、とりあえず今は、もし将来旦那が先に亡くなって一人になったらこれまではさみしくないさと思っていたけど、もしかするとさみしいと思うかもしれないというふうに変わりました。
とはいえ、そうなったら奇跡のようなあたたかな出会いがあって最後はその愛にやさしく包まれてなくなっていく〜なんてことも、ないとはいいきれず(笑)。
人生とは最後までなにがあるかわかりません。
それに起こってもいないことをあれこれ考えるのもよくないことではあります。
それなのに今日は、ついつい旦那へ投げかけた質問からあれこれ考えるハメとなってしまいました(笑)。しかも話題がさも高齢者(笑)。
失礼致しました。
どちらにしてもできれば、いつどんなときも変わらぬ静かな心でいられるのがいいなと思います。
ご清聴ありがとうございました(笑)。