ピア門 Porta Pia (Museo storico dei bersaglieri)
アウレリアヌス城壁にある城門。教皇ピウス4世が、当時既に使えなくなっていたノメンターナ門の代わりに建設した。ミケランジェロの設計。1561年に着工、ミケランジェロの死後の1565年に竣工。後を引き継いだのは、サン・ジョヴァンニ門も設計したと言われている、ジャコモ・デル・ドゥーカ。
中心街側はミケランジェロの最後の遺作。
外側
現存する外側のファサードは、1869年に完成した、新古典主義のヴィルジニオ・ヴェスピニャーリによる設計。
聖アグネスSant'Agnese
アレクサンデル1世 (ローマ教皇) Papa Alessandro I
内側
このデザインには、ミケランジェロのアーティストとしての、ちょっとしたジョークが隠されています。ピウス4世 (ローマ教皇)がミラノの床屋さんの子孫であるということから、タオルと桶と石鹸をイメージしたものをポイントに入れている。
ミケランジェロのマスケローネ
これはミケランジェロ自身のつもりで作ったとも言われている。
ピウス9世 (ローマ教皇)の紋章
外側のファサードを設計した、ヴィルジニオ・ヴェスピニャーニ(Virginio Vespignani)のだと思われる。 ミケランジェロは未完のまま亡くなった。
内側の門の裏のモザイク
(次回に写真撮る)
1870年の大砲の裂け目 Breccia di Porta Pia
ピア門から十数メートル西に大砲の砲弾が当たってできた城壁の裂け目がある。1870年9月20日、ここからローマにベルサリエーリ(狙撃兵)部隊が侵入し、イタリアが統一した。裂け目があった地点には、大理石と青銅でできた記念碑が建てられた。
(次回に写真撮る)
ベルサリエーリの記念碑
ピア門外側前の広場中央に、1932年にムッソリーニの命で、イタリア統一を成し遂げたベルサリエーリの記念碑が建てられた。
4月の藤の花
ピア門内側近くにある建物に彩られる藤の花。4月上旬に見られる。
ベルサリエーリの歴史博物館 Enrico Toti Museo storico dei bersaglieri
ピア門の2つのアーチの間にある建物はかつては税関だったが、現在は博物館として使われている。第一次世界大戦の英雄、エンリコ・トーティの墓もここにある。
ブログ
参考