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さいたま自死遺族の集い*星のしずく

近影(4年8ヵ月前)

2021.09.21 14:52

私が見た、この世て生きて居た最後の娘の姿を描きたいなと、ある時から思うようになりました。


冬の日の朝、いつも通り学校へ行くときの、いつもと変わりない会話、出がけの挨拶を交わしたときの、振り向きざまの、あの姿。


きっと、大切な人を突然亡くしたご遺族の殆どは、自身が最後に見た姿や会話を、何度も何度も思い返すのではないでしょうか。

敢えて思い出さないようにしている人もいるとは思いますが、そういう記憶こそ、いつまでも一番心に残っていたり。


私は愛しくて愛しくてならないのです。

家族の中では、私が最後に見た、生きて居た娘の姿が一番新しい、私しか知らない近影。




生きて居る姿が見えなくなってから今年の9月22日で、5回目の娘の誕生日になります。

去年は、(中学校での最後になってしまった合唱コンクールの)動画をやっと観ることができました。

その合唱コンクールの時よりも、私が最後に見た『生きて居た娘』の姿は、当たり前ですが写真などありません。

私の記憶の中だけにある近影を、描けるようになったら描いて残しておきたいと思っていました。



 ――あの日の朝


私: 「行ってらっしゃい」


有希: 「うん」


私: 「あ、気を付けて」


有希: 「…うん…」


 ――なんてことない1日になるばすだった




今だから思うのか。

笑顔未満の、笑顔になろうとしているように見える表情。


どこか… なにかを… 決意しているようにも思い出されるのは、やはり今だからなのか。


そういや、ちょっとためらいがちな「…うん…」だったな、とか。


表情、微妙なニュアンスがやっと描けました。




やっぱり愛しい者です。

頬っぺたを何度も何度もなぞり、指でこすって抱きしめました。


髪の毛を結う高さも微妙な位置の違いで、雰囲気が大きく変わってしまいます。

何度も何度も結い直してあげて、髪の毛も撫でまわしました。


絵を描くのが大好きだった娘からは、たくさん絵のプレゼントをもらったものですが、私が描いてちゃんとプレゼントしたものって1枚も無いのです。

こんな形の近影(えんぴつ肖像画)になってしまいましたが、それでも5年目の誕生日を前にして『あの日の娘』を描けたことは、私にとっては巨大な岩を動かすのに匹敵するほど難しく、でもどうしてもやりたかったので、とりかかるまでに時間がかかってしまいました。



やっと、現実味も出てきたと思います。

来年のお誕生日までには成人式の振袖姿の娘を描いてあげられるかもしれない。


そんな思いを胸に、これを描くために娘のクローゼットから取り出していた、あの日のオーバーコートを片付けようとすると、フード内側部分に一本だけ残っていた娘の髪の毛を見つけました!

(こんなことが、いまだに飛びあがるほどに嬉しいという…)


まるでフードの毛に、根っこでも生やしたように、引っ張っても簡単に抜けないので(;´Д`)、これはそのまま保管しておくことにしました。

娘からのお礼と受けとめて(←)!

星のしずく*管理人


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