何も変わっていないのでは?その3
人が孤独になる時って
心の中に誰もいない時で
ずっと一人でいても
心の中に誰かいれば、
温かいもので満たされている。
自分さえ閉じていかなければ
いつもいつも誰か側にいる
よっぽどのことがあっても
本当に誰か側にいる
そして誰もいなくなってしまっても
やはり心の灯火があれば
一人ではないから
愛に包まれている
完全に閉じてしまうとき
人は し を選ぶ時があるのかもしれない
ここ数日、楽しすぎて
いつも一緒に誰かといて
肌でくっついている感じ
気のおけない大好きな人たちと一緒だったから
帰ってきてポツンと一人になって
寂しい。
子供が1日の終わりにぐずるような感覚
寂しくて、気持ちがすぐに切り替わらなくて
そしてちょっと疲れているから
不機嫌で泣きたくなるような気持ち
私はいつも何か課題を作って
人生に取り組んでいるような感覚があって
それに対して、今、うんざりしていて
結局、私は何も変わっていないんじゃないかな?
と思い始めてこのシリーズを書き始めた。
対して読まれていないブログを何のために書いているの?
と少しやさぐれていた時に
1年前の自分のブログを読んで
愕然とした。
そこには母が八ヶ岳で骨折した時のことが記されていて
その時、まだ父は私に対して結構ひどい暴言を吐いていた時期だった。
そのことが記されてあって、記憶が蘇り
何にも変わってないなんてことはない、と確信したのでした。
父はもうそんな態度を私に取らないし、
私もそんな態度を父に取らせることを許していない。
確実に日々は過ぎていき変化している
それは私が何かの課題に取り組んだからかもしれないし
実はそんなことは関係なくてただ変わっただけなのかもしれない
どっちでも良い
と思っている
ここ数日の楽しい日々も
こんなに沢山の友人に会えて楽しい時間を過ごせる自分でいることが
とても不思議で、
以前の私なら考えられない変化である
そして、友人たちも
私のことを好きなのがわかって
こんなに幸せな時間が過ごせることに
感謝している。
今、大きな課題の一つに取り組んでいて、
なかなか自分の中でOKと思える時がない。
一つ変わったことといえば、
非常に面白くない、苦しい最中にあっても
それに飲み込まれる事なく
日々を過ごせているという事だ
SITHホオポノポノみたいに
みている自分と
みられている自分がいて
乗りこなしているような感覚
この課題を
あんまりにも長く取り扱っているものだから
変わってない、苦しいまま、と感じていて
イライラしているのでしょう。
けれど日々は過ぎていき
変化はし続けている
私が何もしなくても
変化し続けていることは確か
この課題が私の中で変容して
ブログに書ける日が来ることを
私は待っています
日記シリーズ読んでくれてありがとう
追記:
この旅で、またひとつやってみたいことができました
瞑想をほぼ毎日しているのですが、インスタでライブしてみようかなあ、と思っています。
5分瞑想、夜に一緒に誰かと瞑想したいなあという気持ちが出てきました。
もしよかったら登録してみてください。一人でもいてくれたら嬉しいです^^
https://www.instagram.com/etsuko_healing_lomilomi
インスタライブ終わりました!ありがとうございました!
インスタは常に新しい情報を発信しているのでご興味のある方はどうぞ登録してくださいね!