2017年・冬ドラマ
3月も半ばに差し掛かり、各局のドラマも、あと1、2話で最終話を迎える。
今期、一番好きだったのは『カルテット』。
話が進むにつれ、巻も別府もすずめも家森も好きになっていった。たびたび映される、ていねいに拵えたと伝わってくる唐揚げ、サンドイッチ、おでんなども、とてもおいしそうだ。もうすぐ終わってしまうのが、すこし淋しい。
『お母さんの娘をやめていいですか?』も、最後まで楽しく(?)観た。テーマは毒親。母親の行動が常軌を逸しており、ともすれば陰鬱になりそうな話なのだが、登場人物ひとりひとりの心情が濃やかに描かれているため、「こういう気持ちもわからなくはないな」と思える。
なんとなく、『ポイズンドーター・ホーリーマザー(湊かなえ・著)』を思いだした。こちらも毒親を扱った作品で、母から・娘からの視点が、章ごとに一人称で書かれている。どちらか片側の言い分のみを聞いていると、同じ出来事でもオセロをひっくり返すように印象が変わった。母が毒なのか、娘が毒なのか。手品を見ているようで面白かった。見せかたは違うが、『お母さんの娘をやめていいですか?』に通じるものがあるような気がする。
こういう、誰もが持つ、しかし人には明かせないような後ろめたい感情を、責めることなく綴る話が好きなのかもしれない。共感できる分、目が離せなくなる。逆に、一方的に仕立てあげられた悪者がでてくる話は嫌いだ。そうした話では、たいがい、作者の分身となるキャラクターがでてきて、その悪者を糾弾する。もしくは、作者の分身に同情が集まるよう、えげつないことを悪者にさせる(当然といえば当然か)。悪者側の事情などお構いなし。サンドバッグかい、とつっこみたくなる。
ここまで書いて、「好き」と「嫌い」で形成されている自分のものの見かたや考えかたに、すこし呆れた。でも、すっきりもした。頭の中でもやーっと留まっていたことを、はっきりと言葉に変換するのは気持ちがいい。
脱線したが、『A LIFE』と『バイプレイヤーズ』も気にいって観ている。
『カルテット』や『A LIFE』は酷評も多く、「この良さがわからなんて」と思うこともある。そういう時の私は、きっと、優越感に塗れたスネ夫みたいな顔になっている。自分の価値観が普遍的だと当然のように考え、人に押しつけるのはやめたい。難しいけれども、できるだけ。
ヴァイオリンの練習もぼちぼちはじめている。
6通りの弾きかたを指示されたカイザー1番は、「弾きなれた曲だし、楽譜さえつくれば余裕のよっちゃん」などと舐めてかかっていたが、実際に弾いてみると、存外難しかった。
スラーが加わり、弓順が変わっただけで、こんなにも混乱するとは。
その上、各々2回ずつ弾くだけで、40分くらいかかる。
レッスンまであと10日ほどしかないのに、しかも今日は練習をさぼったのに、間に合うの?
できれば先生には、だされた宿題はちゃんと練習して、それなりに仕上げてくる、真面目な生徒だと思われたい。否、そこまででなくてもいい、だらしがない生徒だと印象づけたくないよお。